見出し画像

雑記18 山奥からやって来たガキ

 とことん能天気でお調子者だったと思う。小学生の頃の私は。山のガキ共と、街のガキ共はそれぞれに幾つかの小さな仲良しグループを作っていたが、私は誰彼構わず楽しくつき合った。一方で親友のAは誰ともつき合う事がなかった。いつも口を閉ざしたまま、俯いているA、同級生の多くはAの声を聞いた事すらなかった。

 大人しく、成績がいいわけでもないAに関心を持つ者はいなかったが、私はAが途轍もなく頭が良い事を知っていた。ガキの頃に頭が良いと持て囃されるのは、所詮、言葉を上手く使いこなせるやつだった。無口なAは、だが言葉で物を考える事をしなかった。積み木を積むように言葉を組み立てて物事の結論を得るのではなく、直観であらゆる事の本質を見抜くのだった。ちょっとした山の天候の変化から様々な兆候を知り、それを吐息のような短い言葉や、小さな手振りで私に教えてくれた。ある時は数枚の三角定規を組み合わせて、これまでに見た事もないような複雑は図形を作ってみせてくれた。学校では無口だが、一旦山に入るとAは別人のように生き生きとなった。Aと遊ぶのはクラスで私一人だけだったが、二人で山の中を駆け回る時間は本当に楽しかった。

 クラスで誰よりも小柄なAの顔は浅黒く、彫が深かった。地方によって顔の違いに特徴があるとすれば、Aの顔は私が住むこの地方のものではなかった。Aと似ている顔を持つものは私のまわりには誰もいなかった。そんなAが周りのやつらから疎まれ軽んじられる一番の理由は、やはり彼が誰よりも山の奥に住んでいるという事にあったと思う。

 ある日、学校を休んだAの家に給食のパンと、授業で配られたプリントを届けに行った某が、次の日皆の前でAの家がいかに貧相であったかという事を大袈裟に捲し立てた。某がAの家に給食のパンを持って行かされたのは、クラスの誰よりもAの家の近くに住んでいたからだ。ならば某の家の貧相さもたいして変わらないのではないかと思うのだが、多分ちょいとした違いが某にとっては重要なのだろう、某はまさに「鬼の首を取った」かのように騒ぎまくったんだ。うん、でも実は他の回りのやつらもほっとしたんじゃないだろうか。Aに対する違和感を今、とうとう某が言葉にしてくれたんだ。
 
 それからも私は変わらずAと遊び続けたが、頓珍漢なお節介心から私に向かって、Aとは遊ばない方がいいぞと忠告してくるやつが何人もいた。その事で何度、私は言い争いをしただろうか。時には小突き合いになる事もあった。
 
 ある時、私は祖父にAの事を話した。Aについて一通り話した私に向かって祖父は「ああ、その子は多分、山ん人の子やろうな」と言った。山ん人?祖父に向かって「山ん人」とは何かと、そう訊ねたのか、祖父が私に答えたのか、そのあたりの記憶はまったくない。ただ「山ん人」という言葉だけが、それから半世紀もの間私の頭の片隅に残ったままだった。
 
 冬のある日、朝の朝礼の時間にいきなり教壇から大股で降りて来た担任教師、うん、若い男の教師さ、そいつがAの鞄を取り上げ、その鞄で大きく二発三発とAを袈裟殴りにした。その後、教師は教壇に戻ると殊更に笑顔を作り、「皆さん、おはようございます」と声を上げた。俯いたままじっと耐えていたAは、いつの間にかぽとぽとと机の上に大粒の涙を零していた。いったいどういう理由でAが殴られたのか、それはいまだにわからない。休み時間にAに訊いてみたが、A本人もわからないという。頭に来た私は、Aを誘ってそのまま教室を抜け出し、山に遊びにいった。授業をボイコットしたって訳さ。次の日、学校に来てみるとAに対する級友たちの視線が前の日のものとはすっかり変わっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?