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雑記19 不快な虐めの記憶を

 私の知らないところでAに対する虐めが始まった。きっかけを作ったのはもちろん担任さ。ガキの私にはまったくわからなかった。担任が何故そんなにもAを嫌っていたのか。うん、私が思うには多分、Aが自分のクラスに存在するのが似つかわしくないと思える生徒だからさ。生活保護世帯。Aは給食費だって、修学旅行の積み立てだった、すべてが免除されていたんだ。いや、そもそもAは他の誰とも違っていた。私の祖父の言葉をそのままに信じるなら、Aの一家は山ん人、要するに普通の市民ではないんだ。昔のこの国にはそんな人々が存在していたのさ。多分担任にとってAは、たまたま外の世界から紛れ込んで来た厄介な奴ってな訳だ。
 
 ともかく担任のAに対する理不尽な暴力は、皆にAを苛めてもいいとのお墨付きを与えたんだ。鬼の形相でAを殴った直後、殊更に満面の笑顔を作って皆に向き直った。私は今でもそのわざとらしく顔に貼り付けた笑顔をはっきりと憶えている。何しろその笑顔、そいつは私が子供の頃目にした大人の表情の中で、最も醜いものの一つだったからさ。ともかく態度を変える事で、皆さんはAとは全く違う存在なんですよと、そうあからさまに告げたって訳さ。しかも担任は、授業をボイコットした私とAがその場にいない間に、Aの家庭に事情を苦々しい表情でそこにいる全員に、自分の可愛い教え子たちに喋り続けたらしい。

 酷いもんさ。動物が、例えば四肢の一つが欠けていたり、盲しいていたり、群れの中にいる一頭の異形の存在を寄ってたかって小突き回すように、皆が陰湿にAを苛め続けた。結局なんだかんだでAはひどい怪我をして、卒業も待たずに転校していった。だが、その事について、実は私も未だに分からない事ばかりなんだ。そもそも半世紀以上も前の事、記憶だって曖昧さ。当時の状況、それは擦り切れかけたモノクロのフィルムのように、私の呆け始めた頭の中で、かたかたと乾いた音を立てながら、朧気に再生されるだけだ。

 メトロノームのように首を左右に振りながら、ああでもない、こうでもないと憶測だらけの文章を書いたところでしょうがない。ならばいっその事、お得意の法螺話、作り話、フィックショオンとやらに押し込んでしまった方がまだすっきりするってなもんさ。実は長い間、描きたいと思っていたんだ。人の酷さと、それから滅んで街の姿を。子供の頃の「撲」と、すっかり年老いた「私」、その二つの視点から消え去ろうとする小さな世界を描いてみたいとずっと思っていたんだ。遺言代わりにさ。うん、何だかわくわくするじゃないか。

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