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(再考)津軽弁は本当に汚い言葉なのか

こんにちは、うがいまさみです。

以前書いたnoteに
津軽弁は汚ねえ言葉だはんで、人前でしゃべるのは、まいね」
(津軽弁は汚い言葉だから、人前でしゃべってはいけない)
と言われた伊奈かっぺいさんのお話しを書きました。
▼  ▼

方言詩人高木恭造

かっぺいさんのインタビュー記事の中で
方言詩人の高木恭造氏に、影響された話が書いてあったので、
どんな人だったのか、ちょっと調べてみました。

高木恭造氏は、眼科医でもあり、
日本で初めて方言で詩を書いた人でもあったそうです。

昭和6年(1931年)に津軽弁で書いた
代表詩集「まるめろ」を出版し、
ご自身で自分の詩を朗読されていました。
現在、YouTubeでその朗読を聞くことができます。

今の楽しそうな津軽弁YouTuberのみなさんと比べると
正直、暗いです。

…嗚呼、90年前まで津軽地方は何もなく
本当に貧しかったんだ…
そんな絵が思い浮かぶような
迫力のある朗読です。
(動画のコメント欄に、共通語訳がありますので、
ぜひ読み比べてみてください)

標準語を話せることの意味を深読みする

で、これを聞いているうちに
私は
「津軽弁は汚い言葉だから使うな」
という人の気持ちもわかるような気がしました。

こんなに貧しいままだと、生きてはいけない。
言葉を変えることで、環境を変えたい。
都会の進んだ情報や技術を受け入れて
もっと豊かになりたい。

そんな津軽弁ネイティブの切実な背景も
あったんじゃないかなと思います。
(もちろん、これは
津軽地方に限った話ではないのかもしれませんが…)

ちょっと脱線しますが、
以前COTENラジオの「日本の社会福祉の歴史」で
日本の明治以降の社会福祉の歴史を扱っていました。
これを聞いたら、地方の貧しさはどのぐらい過酷だったのだろうか
とさらに考えてしまいました。
(最近私の中で、室越さんの存在感が、
ヤンヤンさんを上回ってきた~▼)

話を戻しまして。

都会へ出て、標準語を使って仕事をすると言う事は、
もしかすると、今でいう
「英語を学ぶことで、世界で活躍できる人になりたい」
という気持ちと、どこか通じるのかもしれません。

そう思うと
「方言は汚い言葉だから使うな」
の意味が全く違う印象になりました。

言葉を変えたら、貧しさから抜けられるかもしれない
という当時の切実な願いがあったなら、
私は
「方言は汚い言葉だから使うな」
と言われても否定できないですね。。
なんだか、切ない。

あれから時代は変わって、
方言は貧しさの象徴ではなく、
言語文化の豊かさの一面であることが認められてきました。
言葉の保護や継承語運動にもなっています。

今では「方言萌え」なんて言葉があることを
高木氏が知ったら、どんなふうに思うでしょうねぇ。

それでは、今回はこの辺で。

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