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友と呼ばれた冬~第25話

 昨日の休日にまともに身体を休めなかったツケが夜になって回ってきた俺は、新宿御苑の大木戸門の前に車を止めて休憩に入った。
 外に出て新鮮とは言えない新宿の空気を吸い込み身体を伸ばすと、御苑からヒマラヤザクラの花びらがヒラヒラと足元に舞い落ちてきた。

 都心から新宿に入る実車のタクシーが旧甲州街道をひっきりなしに走って行った。都内だけでも約300社の法人タクシー会社があると言われている。すべての会社の車両を合わせると、その数は3万台近くになる。

 タクシーで使われる車両は、日産がセドリックの生産を中止し、日産のセダンタイプのタクシー用車両が完全消滅したことにより、TOYOTAのクラコン(クラウン・コンフォート)の一強体制だ。
 車体カラーによほど特徴がなければ、行灯あんどんの形や車体のサイドに入れた独自アプリの広告などで見分けるしかなくなった。

 昨日俺が見た映像は数ヵ月おきの記録だったが、それにしてもタクシーの溢れかえる歌舞伎町であんなにも都合よく俺の会社の車両に同じ客が乗ってくるだろうか?

 俺はまもなく走行距離が30万キロに達するくたびれた自分の車両を眺めて見た。会社独自の行灯とサイドドアの広告、上野営業所を現す(上)の文字。

 何かが引っ掛かりかけた時、タイミング悪くジャケットのポケットの中で携帯電話が震え、思考が中断された。

 電話は梅島からだった。

「もしもし?」
「やけに不機嫌だな?何度も電話を貰ってすまなかった。事故が続いてな、対応に追われていた」

 梅島は申し訳なさそうに言った。タクシーの事故は日々途絶えることがない。元ドライバーの梅島は、事故を起こしたドライバーのケアまで自分で面倒をみていたに違いない。そういう男だ。

「お前に頼まれていた大野のクレームの件だが」
「客が殴られて怪我をしたって内容じゃないですか?」

「おまえ、どうしてそれを?」

 俺は大野のアパートからノートパソコンを持ち出し、その中に隠されたUSBメモリの中に車内映像が入っていた経緯を梅島に話したが、大野のクレームの映像以外は伏せた。

「それが本当なら相当まずい話だぞ。大野は車内映像を個人的に持ち出したってことになる。あいつはなんでそんなことを……」
「まだ会社ですか?」

「あぁ、心配するな、俺一人だ」
「わかりました。大野のクレームの詳細はわかりましたか?」

 休憩のタクシーが俺の後ろに車を止めた。俺は車に乗り込んで電話に耳を傾けた。

「お前の見た映像の件に間違いないと思うが」

 梅島はそう前置きして大野のクレーム内容を説明してくれた。

「あの時、後ろの一般車から降りてきた二人組に最初に引きずり出されたのは大野だ。胸ぐらを掴まれた大野は客がいちゃついていて行き先を言わないから車を出せなかったと、馬鹿正直に二人組に説明したらしい」
「真面目なあいつらしいですね」

「もう少し言い方があったもんだろうにな。それで矛先が客に変わったことで余計に客の怒りを買っている。女は引きずり出されたが近くの店に逃げ込んだようだ。その際に打撲傷を負ったと後日会社に診断書が届いている。客の男の方は二人組に捕まって小突かれるなどの暴行を受けたようだ。目だった外傷は負わなかったそうだが、男の診断書も提出されているな」
「警察には届けていないんですか?」

「あぁ、記録には残っていない。あとはお前が映像で見た通り、大野が会社に電話をかけ、男が直接電話に出てクレーム案件になった。男は会社に対して謝罪と慰謝料、自分と女の治療費を請求し会社側はそれを払うことで和解となったようだ」

 俺は映像が不自然に終わっていたことを梅島に話した。

「大野の持っていた映像は、客の男が電話で会社の者と話しているところで突然終わっていました。その後、客が降りたのか家まで送ったのかすらもわかりません」

 梅島が紙をめくる音が聞こえてくる。パソコンが苦手な梅島はクレーム記録を印刷したのだろうか。

「当直の記録では電話対応にて終了と書かれている、詳しいその後の対応が書かれていないのは……」

 珍しく梅島の歯切れが悪い。

「客のあの剣幕では当直の者では対応しきれないように思えましたが……、電話で客の男は俺を誰だと思っているんだ、と息巻いていました。何者だったんですか?」
「それなら確かにその客の言う通りだ」

 梅島の声に落胆が混じっている気がした。

「どういうことですか?」
「この件は相手が悪かったんだ。その映像に写っている客の男は関東運輸局の役人だ」

「最悪だ」

 俺は思わず呟いた。

 関東運輸局は国土交通省の下部組織だ。要するにタクシーという旅客運送業の元締めで、タクシー会社にとっては煙たい存在だ。
 重大事故を起こしてしまったりすると会社に対して関東運輸局からの監査が入り、きちんと休憩を取って乗務をしていたか、決められた帰庫時間を守っていたかなど事故を起こした乗務員や他の乗務員の乗務記録が調べられる。

 そこで法外な乗務をしていると判断されると、厳しいところでは「業務停止処分」が下される。役人一人の権限で会社に対して大きなペナルティが与えられるとは思えないが、藪から蛇になるくらいなら下手に逆らわないでおくに越したことはない。


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