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友と呼ばれた冬~第24話

 すべての映像を見終わると24時を回っていた。大野が隠し持っていたこれらの映像には共通の特徴があった。

 車内での男女の睦言むつごと。ラブホテルを利用している証拠。そして最後は男の家が判明している映像記録で終わっていること。たった一点だけ異なる点があった。大野の映像だけが本来保管されるべきクレームの映像だったことだ。

 大野の対応がどうだったにしろ客のあの剣幕ではクレームになってもおかしくない。だが他の映像記録にはトラブルがあった様子はなかった。そもそもトラブルではない記録が抜かれて保存されているのがおかしい。大野が他の乗務員の記録を持っていることも普通では考えられなかった。

 当然それは正規に抜き出されて保管されたものではない。フォルダごとにまとめられた同じ客の記録は、故意に集められたものだと明白だった。千尋を尾行した男が俺や大野と同じタクシードライバーで、大野と同じ客を乗せ、その映像記録が大野の持つUSBメモリに保存されている。

 全てがリンクしているに違いないが、そこから大野の失踪へと繋がるピースが見当たらなかった。

 俺は念のため映像のバックアップを取り、ドライバーの顔が出来るだけ鮮明に映っている場面を一時停止して携帯電話で撮影した。携帯の画面に並んだあの男を含めた8名のドライバーの顔写真は、まるで警察の面割台帳のように見えた。

 仕事を休んで調べたいこともあったが歩合制のタクシー運転手は乗務をしないと金にならない。All You Need is Cash金こそ全て――か。疲れきった身体にアルコールが回った俺はベッドに倒れ込み、すぐに眠りに落ちた。

 昼前に目覚めカーテンを開けると弱々しい陽射しが差し込んできた。昨日自分に起きたことや知り得たことが急に他人事のように思えたが、大野の失踪だけが現実感を伴って今朝の雲のように厚く重たく頭上にのしかかっていた。
 出勤前に梅島に電話をかけたが繋がらなかった。会社に着くと他所の営業所で起きた失踪騒ぎはもう話題にも上っていなかった。5年間続いてきた変わらない風景がそこにはあり、これからまた始まろうとしていた。俺は誰とも話すことなく出庫した。

 新宿駅東口から身なりのよい女性が乗ってきた。

「どちらまで?」
「東京医大までお願いします」

「病院ですか?学校ですか?」
「えっ?あぁ、学校の方です」

 新宿で「東京医大」と言われると多くは西新宿にある「東京医大病院」に行くが、まれに新宿六丁目にある「東京医科大学」に行くパターンもある。客層や乗せた場所でどちらか想像がつくことが多いが東口が出発点の場合、両所は真逆の場所になるため思い込みで走り出すと面倒なことになる。

 確認して良かったと胸を撫で下ろしながら東口を左に出て大ガードを右折し靖国通りを上った。医大通りに入り大学の正門前で車を止めた。

「こちらでよろしいですか?」

 確認したが女性は車内から正門周りを眺めているだけだ。


「お客さん?」
「あっ、すいません。市谷柳町という駅は近いでしょうか?」

 行き先を変える客は面倒なことになるパターンが多いが、この女性に怪しい雰囲気はなかった。

「牛込柳町駅のことですか?」

 新宿を知らない者はたまに間違えてこう言う。「牛込柳町駅」は都営大江戸線の駅で大久保通りと外苑東通りの交差点にあり、交差点名は「市谷柳町」なので間違えやすい。

「すいません、田舎から出て来たもので」

 女性はそう言うとここから駅まで歩いて何分位かかるのか、この辺りの治安はどうか、と聞いてきた。

 東京医科大学から牛込柳町駅までは、車で入れない細い道や一方通行を歩いたとしても結構な距離になる。抜け弁天までは上りで若松町から大きく下り坂道も多い。同じ新宿区内だが歌舞伎町や新宿二丁目と言った繁華街からは離れていて治安は悪くないエリアだが、住宅街の中の路地は決して明るくはない。俺は一通り説明してから聞いてみた。

「お子さんがご入学されたんですか?」 
「はい。初めて一人暮らしをさせるんです」

 一人娘が東京医科大学に合格し今春から牛込柳町駅の近くにアパートを借りて一人暮らしをするという。心配でたまらなくなり娘に内緒で山梨から出てきて大学やアパートの周りの環境を見に来たらしい。

「車で通れない場所も多いですが出来るだけ歩いて通る道に沿って駅まで行ってみましょうか?」

 そう尋ねてみると女性はお願いしますと頭を下げた。俺は道中色々と説明をしながら車を走らせた。女性は耳を傾けながら一生懸命外の様子を頭に入れている様子だった。15分弱で目的地に到着した。

「結構ありますね」
「徒歩だと近くはないですね」

「ご親切にありがとうございました」

 女性はそう言うと料金を払って車を降りようとした。

「これからどうされるんですか?」
「ここから学校まで歩いて戻ってみようと思います」

 迷うと思いますよと言いかけたが女性の目を見て言葉を飲み込んだ。

「お気をつけて。ありがとうございました」
「運転手さんも気をつけてね」

 女性は深々と頭を下げると若松町への急な上り坂をしっかりとした足取りで戻っていった。

 ルームミラーで歩いていく女性を見ながら、母の愛情が娘に伝わることはあるのだろうか?と考えた。きっと伝わらなくても構わないのだろう。あの女性は自分の心配を解消するためにやっているのだ。東京に出る一人娘の事を心配し悪い想像に苦悩するくらいなら自分の目で確かめたかったのだ。

 行動した結果がどうであれ、曖昧な気持ちのままでいるよりはましだ。俺もそうして生きてきた。たとえそれで自分の身に危険が降りかかろうとも。大野は……、もし大野もそうだとしたなら?大野に対する俺の思いが少しずつ傾いてきたように思えた。


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