見出し画像

強迫性障害だった話 弐


 さて、前回早く前の自分に戻りたいと願っていた私。ここからはだんだんと症状が良くなる様子を書きたいと思います。



※私は精神科などにも行っておらず、個人的にやったことがたまたま改善に繋がっただけですので、参考にするというよりこの人はこのやり方が合ってたんだなくらいで見ていただけたら幸いです。




 とにかく私は人に頼れなかった!自分でどうにかするしかなかったのです。そこで、色々調べてみると当事者の人のSNSや強迫性障害の人たちのコミュニティ、コミックエッセイや日記(今日どのような事を不安や恐怖に思ったか)を書きましょうなどいろんな人や治す方法などが出てきた。

 まずは日記を書いてみた。そして手洗いも気が済むまでやればいいやと思った。汚れた手で触ったシャーペンは使いたくないと思う思考になったら新しいものに変えた。とにかく恐怖や不安に思う時間を減らそうと思った。


 高校3年生。飲食店のバイトを始めた。(ちなみに強迫性障害を治そうという目的ではなく、周りからそろそろバイトくらいしたら?と言われたため。)
 バイトを始めると汚いとか、いちいち手を洗っていたり洗い続けるなんてことはできない。このバイトが良くなるきっかけになったと思う。
※きつくて3ヶ月で辞めました。

 この頃からだろうか。少しずつ良くなっていった。本当ちょっとずつ。
 それでも落とし物をしてないか、めちゃくちゃ見てたし、だから本当に必要最低限のもの(財布とスマホ)しか持って歩かないとか。隠しカメラで撮られてるんじゃないかと思うから、外でも家でも落ち着かなかった。
 大学生になっても強迫性障害と付き合うことになる。電車を利用してて、人が多すぎると落とし物したかもしれないと思っても、改札までとりあえず進むしかなくて、振り返って落とし物をじっくり確認したくても出来ないこともしばしばだった。

 こんな感じで、高校2年生の春から大学生になっても強迫性障害は続いた。今でも疲れすぎると強迫行為がひょこっと顔を出す。
 ちなみにあの電卓は今でも使いたくない。まだあの時の思考が完全に拭えていないのだ。


 あの電卓から私の強迫性障害は始まったけど、その前からいろんなストレスを感じていたんだと思う。
 中学生頃からだろうか。学校に行きたくなくても、行くものだから毎日行く。人とのコミュニケーションがよく分からなくて、どうやったら人と上手く関係を作れるのか、ずっと悩んでた。嫌われるのが怖かったり、どう思われるかを凄く気にして、当たり障りのない会話しかしない。卒業したら私の側には友達と呼べる人が1人もいないとか。そういったストレスや抑えていたものもたくさんあったのだと思う。それが爆発しての強迫性障害だったのではないかと今なら思える。

         現在のわたし

 今、私は農業をしている。1年3ヶ月経った。とても汚れる環境に身を置いている。普通に働くより何倍も汚れ仕事だ。だが、汚れを気にしていては、虫が体を歩くのを気にしていては、作業はできない。苗の植え付けもできないし、収穫もできない。その環境があたしにはとても良かったのだ。爪の中に土が入り込んでいる手を見ても今日頑張ったなって思える。空の下で体を動かすのも気持ちいい。



 でも強迫性障害を良くするために農業をしたわけではない。心病んで、たまたま来た場所が農業をしていた。そこで最初はボランティアとして農業をしていた。そこから今、スタッフになった。そして向いていたから続けられた。そしたら強迫性障害もたまたま良くなっていっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?