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鎌倉(由比ヶ浜)シーキャッスルのこと

1年前に閉店したことをさっき知った。
異国の地に根を張り、決して媚びることなく65年間続いてきた硬派な店が閉店していた。

初めて店を訪れたのは学生時代だった。
ちょうど今くらいの季節だったから、もう海辺には人もまばらで、午後の店内には他にお客はいなかった。

当時つきあっていた人が由比ヶ浜を好きで、よく2人で海辺に行ったのだが、店に関する情報は何も持たないまま、ある日何気なくドアを開けた。

彼女は酒を飲めず、私だけがビールを頼んだ。
マダムは彼女にスープをすすめたけれど一旦は断った。
そして料理が運ばれてきた後で、やっぱりスープをくださいと言うと、マダムの言葉は塩対応には違いないけれど、巷間言われているような怖いものではなく、
記憶が確かなら「だから言ったでしょう」だったと思う。

何年か後、彼女とは別れていたけれど、たまに1人で由比ヶ浜を訪れてシーキャッスルでビールを飲んだ。
海を眺めながら1人でビールを飲む私に、マダムは特別優しかったわけではないが、厳しいわけでもなく普通に接してくれた。
相性もあるのだろうが、あのマダムがなぜあれほど怖がられていたのかわからない。

そのマダムにもう会えないだけでなく、由比ヶ浜の海を眺めながら飲める絶好の場所もなくなった。

彼女と2人のときも、1人のときも、マダムが横に立っているときも、あの店から眺める由比ヶ浜の海はいつも輝いていた。

過去の風景が記憶に残るように、あの頃手にしたものも消えずに残っている。
たとえば、輝きの核のようなものが。

それは片手ではなく両手の中に残っている。
少なくともその半分、片手分は誰かに手渡すべきなのだと思う。

誰にかは、今は、わからない。

あの頃つきあっていた彼女やマダムから受け取ったものは、今考えるととても大きなものだった。

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