見出し画像

Ⅰー16. 聞き取り調査が実施できなかった中部高原コントゥム省での顛末

ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(16)
★2010年9月2日~15日:ハノイ市、ザライ省、コントゥム省、ホーチミン市

今回は、少数民族地区とされる中部中部高原のコントゥム省で聞き取り調査をおこなおうとしたが、結局、実施できなかった顛末をご報告する。

ハノイにて


2010年9月2日、渡越し、ハノイ市に到着。
翌日午後、調査でお世話になっている社会学研究所の所長夫妻とカフェーで懇談。夕方、友人の文芸評論家ファム・スアン・グエンさんと会食。

9月5日朝、グエンさんの紹介でホテルのレストランにて作家ホアン・ミン・トゥオン氏と初めて会う。そしてトゥオン氏の話題作・小説『神々の時代』の翻訳許可をいただく。6年後の2016年にその翻訳をようやく出版することができた(ホアン・ミン・トゥオン著、拙訳『神々の時代』東京外国語大学出版会、2016年)。ベトナム現代史を理解するのに非常にいい小説だと自負しています。

小説『神々の時代』(2008年)


トゥオン氏との面談の後、『スポーツと文化』紙の取材を受ける。その記事が同紙の9月21日号に掲載される。https://thethaovanhoa.vn/imai-akio-nghien-cuu-chien-tranh-vn-qua-ky-uc-cuu-binh-20100921101753153.htm

今回の聞き取り調査予定地は中部高原のコントゥム省で、そのための手続きを進めてはいたが、コントゥム省からの最終的返事がなかなかこなかった。飛行機のチケットも手配済なので、見切り発車で出かけることとした。

9月5日午後、ハノイのノイバイ空港からプレイク空港に17時30分着。相棒ダイ氏の知り合いが車で空港に迎えに来てくれていて、その車でコントゥム省コントゥム市へ。18時30分に同市内のホテルに投宿。

コントゥム市にて


コントゥム市は美しい街だ。カフェーがやたら多い。9月6日午前、コントゥム省人民委員会に行く。まだ受け入れの決定がされていないといわれる。その後、同省退役軍人会事務所に行く。退役軍人会では聞き取り調査はOKだが、人民委員会の許可がおりてからとされる。ということで、人民委員会の決定が出るのを待つしかない。

9月7日、相棒ダイ氏の知人の家を訪ねてダックハー(Đăk Hà)県に行く。路線バスに乗って約40分(8000ドン)。その知人はキン族で入植者。家は国道沿いにある。その人によると、ダックハーは2002年の頃はまだジャングルでFULRO(被抑圧民族闘争統一戦線)(デガĐêga と勘違いか?)の残党がいたが、今はキン族が多数入植していて、カラオケ屋もあるとのこと。

コントゥム省は2010年で人口は44万2000人で、省内には42の民族がいる。2009年の統計では、キン族が20万人余りで1番多く、次にセダン(ソダン)族約10万5千人、バーナー族約5万5千人、ジエ・チエン族3万人余りとなっている。中部高原は少数民族地区とのイメージがあるが、主要民族はキン族が占めるようになり、かつ彼らは幹線道路沿いを押さえているので、かつて2000年前後に発生した少数民族によるデガ国家(Nhà nước Đêga)樹立の試みはなかなか難しいのではないかと思わされた。

その知人の家で昼食を食べ夕方までいたのだが、昼食の準備中、私一人で留守番をする時間が小一時間ほどあり、たまたま部屋のテーブルの上に置かれていた『コントゥム省・共産党史』を手に取ってみた。拝見すると、そこにはセダン族とバーナー族が長く対立してきた歴史が記されていた。
夕方、ダックハーから路線バスに乗ってコントゥム市に戻った。

9月8日午前、再度、省の人民委員会と退役軍事会を訪れるも、成果を得られず。9日午前、退役軍人会になんとかお願いしてみたが、駄目。その足でコントゥムの有名な黒色の木造教会(コントゥム大聖堂)を見学しに行く。
10日朝にも退役軍人会に行ったが、無駄足となる。その後、コントゥム博物館(まだ陳列品なし)とコントゥム獄歴史遺跡を見学。

ソ・レイ・タン氏(一番左)

中部高原の優良児、ソ・レイ・タン医師

万策尽きて、相棒ダイ氏は、元コントゥム省党委書記だったソ・レイ・タン(Sô Lây Tăng)氏(見出し画像の上部中央の人物)の個人的コネに頼るべく、9月10日にタン氏の自宅を訪れた。夜討ち朝駆けよろしく、10日、11日の両日にわたって押しかけ、タン氏の家で昼食をご馳走になったが、聞き取り調査の件はどうにもならなかった。

(1)ソ・レイ・タン氏の紹介

ソ・レイ・タン氏は本名ア・タン(A Tăng)で1937年生まれ(1940年説も)、ジエ・チエン族。抗仏戦争期にダック・グレイ(Đắc Glei)県の革命運動に参加。ジュネーブ協定後、北部に「集結」。1955年6月1日にはホー主席と面会している。61年、共産党(当時の労働党)に入党。70年にハノイ医科大学を卒業後、ソ・レイ・タンを名乗り、郷里に戻り、抗米戦争に参加し治療活動に従事。74年、コントゥムにて重職を歴任し、91年にコントゥム省党委書記になり、10年間務めた。彼は「中部高原の村の長老(Già làng Tây Nguyên)」と呼ばれている。
(以上の記述は以下の2つの新聞記事に依拠している)
https://baodaknong.vn/bac-si-so-lay-tang-nguoi-con-uu-tu-cua-tay-nguyen-127299.html
https://cand.com.vn/Nhan-vat/Ong-So-Lay-Tang---nguoi-con-cua-nui-rung-Tay-Nguyen-i310756/

ヌーヴァイ村の入口

(2)ジエ・チエン族の村、ヌーヴァイ(Nú Vai)村

気の毒に思ってか、タン氏は彼の郷里の村の訪問に我々を誘ってくれ、12日早朝7時にタクシーで出発。途中、ダックハーの町で朝食。ダックトーの戦場跡を訪問。ダックトー戦勝記念台があり、戦車が展示されていた。近くに舟形屋根の高床式住居もつくられていた。

9時半頃、タン氏の郷里のヌーヴァイ村に到着。村の人たちが集まり、高床式の集会場で会食となった(見出し画像)。この村はジエ・チエン族の村。ラオスにも同族がおり、ラオスとの関係は強い。ふつうの家は高床式ではなく、テレビなどもあり、キン族化が進んでいる感じである。学校では民族語を学んでおらず、民族語を書ける人がいなくなっている。ベトナム戦争中の1968年に部隊の人に教えてもらい、水稲の稲作が始まったという。近年、中国人が中部高原で森林の借用を進めており、中国人が現地人妻を娶るのが脅威になっているとのこと。

午後3時頃、ヌーヴァイ村を出発し、その後、タン氏の妹の家や知り合いの家を訪ね、その途中、大衆食堂で夕食。午後9時頃、ホテルに戻る。朝から飲み続けで疲労困憊し、バタンキューで就寝。

帰国の途へ


9月13日午前、省の退役軍人会にお別れの挨拶に行く。その後、セダン族で国会議員だった女性の家を訪ね、懇談。彼女は少数民族がキン族化していることへの懸念を語ってくれた。最後に省の人民委員会に行き、担当の女性とようやく会えた。出張中で手続きがおこなえなかったという。真相は闇。2019年の夏にはザライ省での聞き取り調査を申請したが、これもいろいろと理由をつけて断わられた。どうも中部高原は鬼門のようだ。

13日午後、ザライ省プレイク市に移動。市内のホテルに一泊。翌14日午前、ザライ博物館を見学。博物館前に少数民族の英雄ヌップ(Anh hùng Núp)像があった。夕方、プレイク空港へ。ここで相棒ダイ氏と別れ、私はホーチミン市へ。15日、タンソニャット空港から帰国。

少数民族の英雄ヌップの像

余談

この記事を書いている時に、中部高原において「武装グループによる省庁舎襲撃事件、逮捕者47人に 反政府組織がSNSでデマ流布も」(VIETJO 2023年6月17日付け)というニュースが飛び込んできた。

この事件には在外反政府組織「ベトナム更新革命党(ベトタン=Viet Tan=越新)」の関与が疑われているようだ。さらに同記事は、反政府組織「正義主張山岳地帯人民(Montagnards Stand For Justice=MSFJ)」が、FURLOの元メンバーやその関係者とコネクションがある者らによって2019年に新たに結成され、現在も独立運動を続けているが、今回の事件との関連性は不明だ、と紹介している。

箇条書き的に中部高原等の少数民族の独立運動を整理すると以下のようになるだろうか。(WIKIPEDIAベトナム語版などを参照)
◆バジャラカ(BAJARAKA)運動(1958ー1964年)
◆高原解放戦線(Mặt trận Giải phóng Cao nguyên)、被抑圧少数民族闘争統一戦線FURLO(Mặt trận Thống nhất Đấu tranh của các Sắc tộc bị Áp bức)(1964ー1992年)
◆チャンパ民族解放戦線(Mặt trận Giải phóng dân tộc Champa)(1962ー1975年)
◆カンポチア・クロム解放戦線(Mặt trận Giải phóng Campuchia Krom)(1958ー1975年)
◆北カンプチア解放戦線(Mặt trận Giải phóng Campuchia Bắc)(1958ー1975年)
◆高原デガ組織(Tổ chức Đêga Cao Nguyên)(1999ー)
◆正義主張山岳地帯人民MSFJ(Người Thượng Vì Công Lý)(2019ー)
MSFJについては以下の新聞記事を参照されたい。
https://cand.com.vn/Chong-dien-bien-hoa-binh/vach-tran-bo-mat-that-cua-nhom-nguoi-thuong-vi-cong-ly-msfj-i697317/












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?