初めまして🤗みさねぇです

私はそう、中学校位からかな⁇
みさねぇと呼ばれる様になりました。

別に抵抗は無いんです。

でも同級生からみさねぇは無かろう⁇😂

これから少しずつ、ここで開示をして行こうと思ってます。

まずは…育ってきた家庭環境が酷すぎた。

今では理解も許す事⁇もできますが、

当時の私は産まれてきた事への不満、不信感、孤独感を誰よりも感じて居たんです。
私が小学校2年生で、親が離婚して、お腹の大きな継母が一緒に住む事になりました。

私はもう継母ととにかく合わない、だらし無い継母が嫌いで嫌いで堪らなかった。
初めて家に来た日、私は子供だったので、
「やっとご飯作ってくれる人何きてくれた」なんて喜んでいた。

しかし…今でもハッキリ覚えてる。
『出前一丁』の箱📦ドーン💥

今日からこれ食べてねー

開いたら口が塞がない。
この人何言ってるの?
慌てて九州の祖母に電話して、お米の炊き方、卵焼きの焼き方等など…
必死でメモをとった。

まだ小学2年生の私の作った玉子焼き…

まるこげで辛いし…

去年亡くなった弟は、亡くなるまでこの話をしていました。

「ねぇちゃんの作った卵焼きの味が忘れられん。
あれは酷かったぁ〜」

その後、一家で九州の祖母の家です暮らす事になりました。
台所に祖母と並んで料理するのが1番の癒しの時間になって行ったんです。

そう私の料理は祖母の味なんです。
また親の話は次回にとって置きます。

読んで頂きありがとうございます。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?