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にわかライバーの旅行記

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メインの記事です。 主にドライブ、観光、道の駅巡り等をした記録を残しています。
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記事一覧

猛暑よさらば!中山道和田宿本陣と諏訪地域を行く【和田宿・諏訪大社編】

前回の記事の続きで、こちらは後半となります。 中山道和田宿中山道和田宿は、現在で言う小県…

大納言
4週間前
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猛暑よさらば!中山道和田宿本陣と諏訪地域を行く【スカイラインミュウジアム編】

中山道というのは江戸幕府が整備した五街道の一つで、東海道、甲州道中、日光道中、奥州街道と…

大納言
4週間前
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【蓮ノ空舞台巡礼】行ってきました金沢へ!めぐ党員の聖地巡礼記

これを書いている3月17日、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブの運営から、noteの記事で蓮ノ…

大納言
4か月前
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再び冬の和歌山へ!ショッピングセンターマニアと行く紀伊半島【白浜町編】

1月28日(三日目)南紀白浜リゾートホテル 古賀浦別邸 楽しかった二泊三日の和歌山旅行も、…

大納言
2か月前
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再び冬の和歌山へ!ショッピングセンターマニアと行く紀伊半島【東牟婁郡・西牟婁郡・…

実は今回の旅行では、熊野三山のうち未踏だった熊野本宮大社及び熊野那智大社のうち、どちら…

大納言
2か月前
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再び冬の和歌山へ!ショッピングセンターマニアと行く紀伊半島【南牟婁郡・新宮編】

紀伊半島では熊野古道とそれに関係する多数の場所が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化…

大納言
3か月前
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能登半島ほぼ一周!夏の能登、加賀、越中道の駅スタンプラリー旅④

一泊二日となった道の駅スタンプラリー旅も、いよいよ後半戦に突入だ。 宿泊のために越中(富山県高岡市)まで来たが、再び能登へと舞い戻る。 ここでいう能登というのは旧令制国における能登国という意味だ。 このあたりの地理上の分類がややこしいのだが、能登半島の大半は石川県に属しているものの、その一部は富山県に属しているのだ。 能登半島の東側の付け根部分にあたる地域は旧令制国における分類でも越中国とされており、現在は氷見市となっている。 要するに、能登国=能登半島ではないというわけ

能登半島ほぼ一周!夏の能登、加賀、越中道の駅スタンプラリー旅③

前回の記事は文量の多さから八世乃洞門を区切りとしたのだが、行政区画の境目でもあったようで…

大納言
6か月前
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能登半島ほぼ一周!夏の能登、加賀、越中道の駅スタンプラリー旅②

粟津海岸から先は奥能登絶景海道という道路を使い、次なる目的地である道の駅狼煙へと向かって…

大納言
7か月前
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能登半島ほぼ一周!夏の能登、加賀、越中道の駅スタンプラリー旅①

石川、富山、新潟の3県に跨る北陸道の駅スタンプラリーを進めていく中で、新潟の次に進捗状況…

大納言
7か月前
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初の鹿児島!駆け抜けろ九州道【鹿児島編④】

九州遠征三日目も後半となった。 鹿屋航空基地史料館を堪能した私たちは、次なる目的地である…

大納言
7か月前
8

初の鹿児島!駆け抜けろ九州道【鹿児島編③】

日本軍が運用した航空機は数多くあるが、その中でも傑作と謳われる飛行艇が二式飛行艇、通称二…

大納言
9か月前
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初の鹿児島!駆け抜けろ九州道【鹿児島編②】

前回の記事で、知覧と言えばお茶、武家屋敷、そして知覧特攻平和会館の3つが有名だと述べたが…

大納言
9か月前
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初の鹿児島!駆け抜けろ九州道【鹿児島編①】

一日かけて一宮から福岡までを駆け抜けて一泊し、ようやく今回の目的地である鹿児島へ歩を進めた。 福岡まで来たとはいえ、福岡市から鹿児島市まではおよそ300キロ離れている。 この距離は概ね一宮市から小田原市くらいまでに相当する距離であり、お世辞にも近いとはいえない距離だ。 そのため、この日も朝早くから出発し再び九州道の終点を目指した。 7月15日(二日目)九州道については4年前に走行しているが、その際は鳥栖JCTから長崎道方面へ向かって走行したのみで鳥栖以南に行ったことは無かっ