「お幸せに」という言葉について。
人間関係で気安く使ってはいけない言葉は多々ある。
例えば、「頑張って」とか「大丈夫」とか。
本人が頑張っているのにもかかわらず、頑張ってと言うのは余計であるし、
本当に大丈夫でない人にそう聞いても大丈夫と返してしまうこともある。
僕は「お幸せに」という言葉もそれに含まれるのではないかと感じる。
結婚式などの場でよく耳にするこの言葉であるが、
口先だけでのセリフならば何も気にすることはない。
そんなものは物理現象の域を出ないのだから放っておけばよい。
しかし、そこに真の感情が加わるとこのセリフはどうもしっくりこないことがある。
幸せになること。それ自体を願ってしまって大丈夫なのだろうか。
果たして、それが僕の本当の願いなのだろうか。
僕はどうしてもその人の幸せが誰かの不必要な犠牲の上にないかと考えてしまうのだ。
そんなことは考えたくもないが、
もし自分の大切な人が誰かを騙し裏切ることによって幸せになるのなら、
僕はその幸せをその人から奪いたい。
この考えは極端に言ってしまえば僕の中の理想を押し付けているのであり、
それはそれでいい気分ではないのだが。
とにもかくにも、幸せになることを願うだけではどこか足りない気がするのだ。
僕はそういった道に足を踏み入れるきっかけを含めた意味での災いがその人にないことを願うようにしている。
その人の幸せの形を僕が決める資格はないのだから、願えることはそれくらいしかないのだ。
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