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継続は美しいみたい

割引あり

 芸歴が11年になったが、ゾロ目!なんていうて笑ってられない。売れていない芸人にとって10年というのはかなりの節目であり、過去、ぴちぴちの芸人一年生のときには10年目の私ったらば、タワマンに住んで、でかい車で颯爽と街の空気を混ぜながら乗り回すみたいなことを想像していたが、実際は古ぼけたアパートに住み、自転車で杉並区の空気をゆるく撫でている。

 続けるか、続けないかの瀬戸際にはいつも立たされているが、まるで立たされていないような顔でしれ〜っと続けている。ここまで来たんだから売れるまでやらないと意味わかんないという気持ちと、少しずつ現実が動いている感じを、微細ながら感じ取っているから、最近は猫ミームのあいつくらい両手バタバタして生きている。ただし、売れていないからとスパっと引退を選択する芸人に花束を渡したいという気持ちは十二分に持っている。自分にはできないからだ。

 一方でただやみくもに続けることに意味はあるのか?と思う。サクッとやめた方がいいのでは?と悩む。実は神様があんたは向いてないよと言っているから売れさせてもらえていないのでないか、とスピってしまう。でも最近は、そんなことを考えていれば心が荒んでいく一方なので、いや、これからでっかく売れるために今は耐えてるのよとスピっておくほうを取っている。そうすると割と健康に生きられる。ただ、雨の降った大層寒い夜とか、長時間カフェに居座ってネタができずあげくのはてに閉店ですと外に放り出された時、自分が100歳まで生きたとして(必ず生きる)後69年生きるとして、こんなにずっとお金がない状態でいいのだろうかとか、縁側で長年連れ添ったじいさんとお茶を飲む老後を迎えられるのかなど、将来のことを心配すると心配が尽きない。

 そんなとき(いつもそうだが)SNSで継続を美しいと書いている人がいた。あの時は鍵垢ではなかったのだが、今は鍵垢になっていて全文を見せることができなくて申し訳ない。何か物事をやり出した時が良い様に見えるが、継続を美しいとしたいという文章だった。

 後、こんな本を読んだ。
ここにも継続することが才能だと書いてあった。なぜ継続が困難を極めるのかが心理状態と共に解説されてあって、そうか、私が継続できない人間の種類にいるわけじゃないのか、みんなそうなのかと納得してもりもりと続けれそうな気にまんまとわかりやすくなった。


 確かに、物事は、物事の始まりを評価されやすい。何かをし出した人や作った人がすごいとなりがちだ。私の身の回りでよく起こる現象は「ライブ」と「ユニット」だ。ライブとユニットは作り出した時に賞賛される。かなり賞賛される。すごいじゃん、動き出したじゃんと。これは作り出した側からするとかなり気分のいいものである。さらに、作り出した時が演者さんのモチベーションが一番高いときなので、ライブやユニットにわかりやすく活気がでる。ムチムチの活気がお客さんを巻き込んで、初回というハンデもありアラが見えづらく、とにかく楽しかった、大成功だと言って終わることが多い。

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