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特撮おじさんとジュラワJK

元々今の日本ではあまり見られない他人に話しかける場面は、コロナ以降では更に珍しくなったし、やりづらくなったが、すべきすべきでないラインは行わなければ学べないし、だから我々は本当に行き過ぎた(手遅れな)場面でようやく声を出したりするのかもしれない。逆に、大したことでもないのに声をかけるのは異常だという印象を受けてしまう。

倒れ込んでいる人、座り込んでしまっている人に対しては勿論それが勘違いとして迷惑がられたとしても、声掛けを行うべきである。そのように思われるような行動をとっていた人間が、迷惑がるのほうが間違っているのだから。とはいえ、そんな割り切った行動は簡単ではない。この場合ならともかく、そもそも迷惑な人を諌めるために話しかけることなんて、殊更難しい。


「シン・ウルトラマン」を二回観た。一度目は公開直後に一人で行き、二度目はまだ観ていない友人と二人で、無印ゼットン回付きのものを。
そもそも二度目のその日は太田記念美術館で行われている浮世絵の動物特集の展示を観覧する予定だったのだが、確認不足で休館日に出向いてしまったため、ついでの用事であった映画がメインに置換されたのだった。

その数日後、本来の目的であった太田記念美術館に改めて赴き、公開して間もなかった「ジュラシック・ワールド」シリーズ三部作の最後「新たなる支配者」を友人と観た。
入場開始からやや遅れて当該スクリーンに入り席につくと、三人の女子高生が既に私の隣に並んでいた。身体が強ばった。腕が触れたりしないよう、高級な骨董でも扱うかのように、注意深く腰掛けた。

劇場が明るい間は、比較的ポピュラーな作品ということもあり、周りもガヤガヤしていて、それは私達も、隣の娘たちも同じだった。しかし、照明が落ち、本格的な予告編が流れ、上映時の注意点などが示される頃になると流石に観客は静かになった。
私の隣の三人組を除いては。

常に喋り倒しているというわけではないが、驚かせるシーンや恋愛関係を仄めかすシーンなど、ある程度コメントしたいと思えるようなところは大体横のお友達とあーだこーだ話していた。とてもコソコソという次元ではなく、家で友達三人で映画を観ている感じの声量だった。

例えば、演者の一人が取り残されてしまったシーンとかに差し掛かると、この後恐竜が現れて殺戮を行うことを予見して「絶対この後死ぬじゃん!」とか言ってみたり、巨大イナゴのシーンで拒絶感を示したり(そこだけは、ある程度許せるほど、あのイナゴはグロテスクだった)あるいは登場人物の整理が出来ていなくてイアン・マルコムを指して、「これなんのおじさんだっけ?」とか言っていた。

え? イアン・マルコムも把握してないのに、JK三人組がわざわざジュラシック・ワールド完結編を見に来るの?

と、私は面食らってしまった。
マルコム博士は初代ジュラシック・パークにも、ジュラシック・ワールドシリーズにもちょくちょく出てきて人類の科学技術の暴走に警鐘を鳴らしているハズだ。なんなら初代主人公であるグラント博士よりも有名でもおかしくないのに、彼女たちは何を目的にこのジュラシック・パーク懐古厨御用達映画を観に来たのだろうか。恐竜パニックものが単に観たかったのか。今作に数多ある初代パロディシーンを何一つ楽しめないというのは、随分損をしていると、厄介オタクしぐさを頭の中で留めるのに精一杯だった。

彼女たちは、迫力のある重要なシーンでは流石に黙り込むものの、基本的には五分に一回程度、一言二言必ず喋るので、私は注意しようか迷った。映画内容に完全に集中できるとは言えない環境だった。
しかし、映画の暗闇の中で女子高生にいきなり話しかける、ということのハードルは、酷く高い。ただでさえ高いのに、更に私には、シン・ウルトラマンを観に行った数日前のあの日に、似て非なる経験をしていた。

というのは、シンマンを観に劇場に入り、まだ照明も落ちずに予告編を垂れ流している待機時間のことだ。友人と私とは、映画が始まるまで黙って買ってきたポップコーンを食べてしまうのもおかしいので、私の読んでいた本の内容や装丁について、それを取りだしながら様々評していた。
私の友人が座ってない側には空席がひとつあったのだが、暫くしてナイロンのベスト(下図参考)とキャップを着用した中年男性が座った。既に客席はかなり埋まっていて、無言で通路から真ん中の方まで突っ切ってきたのでほのかに怪しさを感じていた。
その中年が、暫く本の内容について話していた我々(というか私)に向かって、いきなりこっちを向いて「お前うるせえよ」と言ってきたのだ。確かに普段より館内は話し声が少なかったが、まだ照明も落ちていない待機時間だった。
咄嗟にすいませんと謝ってしまったが、なんで俺が怒られる必要があるのか、いきなり知らない人間からお前などと言われて許せるのか、色々考えながら、しかし黙り込んでいた。これ以上ことを大きくすれば周囲の観客を巻き込む可能性があるし、何より真横に何をしてくるのかわからないヤバいおっさんがいるという状況が怖い。極論、突然ナイフを突き刺されてもおかしくない。
結局私は終始沈黙を選択した。映画が終わりスタッフロールが流れ切り、照明が再び我々を照らすまで、ただの一言も喋らなかった。中年側の肘置きだけは譲らなかったが。

そういうシンマン観劇時の経験があったので、尚更この女子高生たちに注意するのははばかられた。どうせこんな酷い観劇マナーの女子グループは一度他人から注意されたところで頭のおかしいやつに絡まれたのだと正当化し、次の機会にはまた繰り返す可能性はあるし、私の観劇の満足度を上げるために黙らせたところで、私には真横の女性を怯えさせてしまった、注意を行ってしまったことによる厭な興奮を映画館を離れるまで背負わなければならない。私の映画体験のクオリティは、むしろ注意した方が下がってしまうのは明白だった。

シンマンにおける私は、照明が落ちる前に友人と全然関係ない話をしていたら横の中年に乱暴な言葉遣いで怒られたのであって、本編上映中に喋り倒す女子高生を丁寧な言葉遣いで諌めるのとは全然訳が違うというのが理屈だが、そんなことは成人男性と女子高生という逆説的な上下関係が無化してしまうような気がしてならなかった。
なにより彼女たちにとってみれば、真横のデカい男がいきなり話しかけて来た、話しかけて来るやつなんてヤバいやつだ、真横にヤバいやつがいるのはストレスだ……そういうことになってしまって、この時間を楽しめなくなる。そうなる可能性は全然ある。

それに、彼女達の会話内容をよく聞けば、映画に対する理解やシリーズの知識は皆無と言っていいほど酷かったが、映画に関係のない話は全くせず、純粋に目の前の映像と音楽とに対する感想を共有したり、疑問を解決しようとしていたりするのだ。プライベートでやるなら、むしろ熱心な鑑賞態度なのかもしれない。
私は、その方向に認識をシフトしようと考え直した。つまり、全然シリーズのことを知らない若者が直感的に何を思いながらこの映画を見るのか、それを副音声に映画を楽しむ。そういう態度をとることに決めた。注意しても仕方ないし、私は損しかしないなら、今を上手く耐え忍ぶ工夫をするべきだった。
そもそも映画は今でこそ黙って鑑賞するのがマナーだが、原初にはかなり乱暴な見方が普通だったはずだ。上映中に平気で文句を言い、関係の無い会話をし、つまらなければ食べているものを投げつける。ポップコーンが映画館の看板商品なのは、投げても銀幕が傷つかないからだ……

そういう貴重な経験なのだ、そう自分に言い聞かせた。
それで、二時間くらい耐えた。映画の出来は正直微妙で、エンタメとしての見所は過去作の登場人物集合とオマージュシーンというファンへのサービスが最も大きな部分かと思う。ギガノトサウルスはT-REX、あるいはインドミナスレックスやインドラプトルのような歴代悪役恐竜のような威厳もなく、申し訳程度に配置されたメイン恐竜で、活躍も恐ろしさも乏しい。人間関係の意外な変化なども少なかった。クレアがすっかり母親ヅラしているのが面白かっただけだ。
またどこかで映画自体の感想を書くかもしれないが、あの映画はジュラシック・ワールドシリーズおよび、ジュラシック・パークの頃から続く全体的なシリーズの完結を担うように作ってあると思う。どちらにしても完結編で、次回作に「引き」をする必要がないわけだ。それで、映画という作品形式自体の面白さより、思想的なメッセージを優先したのではないかと私は思っている。

というのは、つまり、人間は既に支配者ではなく恐竜と同じ生物群であって、人間にも恐竜にもさして肩入れしない描写だったのではないか。だからどちらも微妙に感じる。
世代交代が明らかにテーマのひとつにあった。ティラノサウルスたちも、シャーロットとメイジーも、グラント博士とオーウェンも、それぞれ役回りを引き継いだ。そういう巨視的な視点で描かれているように見える。だからあまりみんな特異なことはせず、クレアとオーウェンはまるで父母のような振る舞いをするし、大ボスの腹心は普通に良心的にボスを裏切るし、当然のことばかりする。ドラマはあまりない。それがヒトという生物です、そういうことです、みたいな。
ヘンリー・ウーを殺さなかったのも、またあまりにも人間的だった。彼が本当の意味で改心するはずがないことはシリーズを通して観てきた人間なら明白だが、科学の失敗を科学で取り戻そうとする傲慢な態度のあらわれとしては適役だろう。

ともかく、そんなことを考えながらエンドロールを眺めていると、横でチラチラ光るものがあった。
なんと、隣の女子高生たちは、エンドロール中にスマホの電源をONにし、SNSで連絡をとっていたのだ!
そんなことをするくらいならエンドロールを見ずに直ぐに帰ってくれた方がいい。最後の最後で、私は最大の打撃を喰らい、同時に、注意をしてもやはり無駄だったであろうことを悟った。これは天災のようなもので、どうしようもなかったということだ。

彼女たちの両親たちは、彼女たちをしっかり映画館に連れて行ったりしたことがあるのだろうか。なにか教育的な欠如を感じる。そう思うと、やはり彼女たちを叱っても仕方ないようにも感じる。

微妙な気持ちになりながら、その後友人と夜の街に繰り出した。
私はどうするべきだっただろうか。

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