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夢日記│狐

記憶が曖昧なメモ。覚醒後に無自覚に、あるいは日本語として成立させるために改竄している部分があると思われる。


 近所にある山を麓まで丸ごとひとつ使ったような自然公園に、日が完全に落ちていた夜まで居座っていた。大きな池に隣接した舗装された通路に凹みが出来ていて、雨が降ったからなのか、水溜まりがてきていた。
 近くを通り掛かったとき、全長60cmを超えるくらいの二匹の動物が、それぞれ水溜まりの対面に居て水を飲んでいるように見えた。どのような種だったかはわからないが、少なくとも関東の森には確実に生息していないものだったと思う。私はそれらが、なにやら人のような話し声を発しているのを感覚的に悟った。同時に、妖魔の類であることも。
 襲われるといったこともなく、声をかけられてしまったので色々話した。途中から、彼らが木の棒を取り出して水溜まりの中をまさぐり始める。よく見るとその窪みは、アスファルトにできるものとしては異様な程に深く、壺のような形状で雨水を貯めているようで、ひとつの生態系を織り成す宇宙のようにも見えた。彼らは、その中で天の川のように浮いているなにか白いもや・・の様なものを、棒に引っ掛けて、水揚げして食べていた。さっきまで漂っていた天衣は大気に晒されると漁獲された深海魚のように縮み、見るも無惨なグロテスクさを獲得し、単なるゴミのように私の目には映った。その質感を例えるならば、かつて小学生の時分、藤棚の池の横にあった水甕に湧いていたオナガウジを更にぐちゃぐちゃにしたような、不衛生な印象だった。そのとき、それがオナガウジだとは知らず、またそもそも昆虫の幼虫だとか、生き物だとかそういうことも定かではなく、ただ汚い水にいる動く何かとしか考えていなかったが、現在の感覚よりもむしろ当時のそれに近い何かを、彼らが掬って、また食っているものには感じた。
 私がなぜそんなものを食うのかと問うと、彼らは、タバコの味がするからだ、と端的に答えた。水に浮かんでいるときは確かに空中に漂うタバコの煙のようにも見えるが、どういうことなのか。昼間歩きタバコをしている公園の利用者の煙の成分が、このアスファルトに現れた水甕の水に浸透し、このもやとなったのだろうか。そんなことを夢想しながら、へぇ、とだけ言った。
 また暫く話しているうちに、どうも彼らが夢中でそれを食べ続けるので、自分も彼らのように木の棒を握り、白いもやを水から掻き出して、味見をしてみたい気分になった。実際にやってみたが、私には雨水と水草の匂いしかせず、池の水を飲んでしまっただけに等しかった。
 それで興ざめした私は、彼らに別れを告げて帰途についた。

一・五


 の、つもりだったが、気づけば私は先程の道路と池とに共通して面している小高い丘のような場所で、いつの間にか眠りこけていたようだった。例の水溜まりは見えず、それ以外は時間も景色も変わり映えなかった。いや、もう一つひとつ違っていたのは、おそらく覚醒直前から聞こえていて、はっきりと起きたときにはほぼ終わっていた、公園内の放送があることだった。真冬でもこの景色になるには午後六時や七時でなければならないだろうと思うような真っ暗な夜で、人気も見えず、従ってこの時間に園内全体に放送をかけるのは甚だ不自然だが、明確に覚醒したときには、その放送の終わりのジングルのような音楽が耳に何となく残っているくらいだった。
 よくよくその内容を思い出してみると、なにか、昔話のような感じだったように思われる。狐と、あと何か同じくらいの大きさの動物に人間が化かされたような、そんな話。
 先程までに経験した不思議な怪異との会話や「もや」の味見は、この放送が、睡眠時の私の耳に無自覚に流れ込んで創造させた夢だったのではないだろうか。私は起き抜けに夢日記を書き、またそれをあわよくば小説のネタにでもしてやろうと考えていたが、既存の物語を睡眠学習によって模倣していたら、無自覚に盗作を行ってしまいかねないと躊躇って、帰宅後に該当する話型が存在するのか調べておこうと決めた。
 雨上がりのような空気に湿り気のある公園を後にした。


 私は家に着いた。実際にその公園の当該の場所から家までは歩いて十分程のところであり、そのくらいの時間をかけたのだと思う。今思えば、本来の自宅とはかなり様変わりしていた。本当の私の住む家屋は一般的な近代建築で、二階建てであったが、その家は二階建てでこそあったものの、一階部分は土間と居間と、炊事場しかないような変に古めかしい作りだった。玄関は耐久性のないすりガラスを金属で枠組みしたもので、家の中は薄暗かった。キッチンのシンクを照らす蛍光灯だけが囲炉裏のある居間をか弱く照らしていた。出入口と水場の真ん中に居間があり、入って左側に部屋分けされていない畳の間があって、そこに雑貨や雛人形のような節句の飾り物が壁際に敷き詰められていた。壁はベージュ、というよりは経年で黄ばんでしまった白い漆喰のようだった。木の柱が埋め込まれている。この風景は、現実の我が家が建て直される前の私の生家の寝室に似ていた。
 父親と母親に出迎えられて、さっきまでの、公園での出来事を話したか、話さなかったか、とにかくただいまと言った流れで色々話していた。でも、多分不思議なことがあった、くらいは話したのだろう。親たちは怪訝な顔をして、何かあっても動じるな、というような忠告をしてきた。とにかく、実体験の怪談話を聞いてしまったときのような気まずい、どこにいればいいのかわからないような不安がその場をいつの間にか席巻していたように思う。
 突然、玄関の方に家族の誰ともなく視線を向けた。大きな、和風の装束のシルエットが浮かんでいた。その影が少し動くと、頭に烏帽子を被っているのも見えた。すりガラスにほぼくっつくような立ち方でなければ見えないほど、ある程度その着物の模様と色とが判明し、少し遅れて土気色に見える老人の顔が出現した。呆気に取られて、また「静かに」と誰かが他の誰かを制して静寂を保ち、様子見の時間が暫くあった。すりガラスの向こうの和装長身の男は、おもむろに玄関をノックした。金属とガラスの引き戸が軋みぶつかり合う独特の長い響きが起こる。我々が何も反応しないでおくと、痺れを切らしたかのようにその者は口を曲げて扉を叩き出した。動揺する私を差し置いて、父親は土間の方に近づく。私は、どこへかはわからずともとかく飛び出したい気持ちを抑えて引き戸を凝視していた。父親は扉に近づいたものの来訪者の問いかけに応じないでいたが、遂にその者はなにやら鈍器のようなものを取り出したようで、振りかぶってガラスを割って強引に玄関を破壊し、侵入してきた。
 家族は全て飛び退いた。侵入してきた彼の姿がはっきり映し出される。やはり烏帽子を被った、茶色を基調とした模様のある神主のような風貌の老人だった。手にはハンマーを持っている。強引に侵入してくることがあるのかと身構えていると、彼は顔色の悪い面を歪めて、
「なにをしておる! そこにいるじゃろ! 狐が!」
 と古風な言葉遣いで我々に唾を飛ばした。彼は人差し指を左側に向けていた。その先には、炊事場の蛍光灯が殆ど届いていない、暗い畳の間と漆喰の壁と、それから乱雑に積み立てられた人形やらなにやらがあった。
 さっきまで、私は彼を来訪した物の怪だとばかり思っていたが、いざ玄関を破り直接その姿を見ると、むしろ狼狽した人間のようにしか見えなかった。
 彼は大幣おおぬさのような棒を取り出して先程指さした闇に向かって、杖で魔法を放つように中空に突き出した。そうすると、変に間の抜けた、ぽんっ、という音とともに、何かがその雑貨の山から飛び出した。
 それは白く細長いぬいぐるみのようなもので、どうも白い狐を象った人形だった。耳に三角の黒布、目と鼻には黒い珠を使い、身体中には等間隔にポルカ・ドットのような密度で、その身体を包む生地と同じような白色のスパンコールが縫い付けられていた。それが微かに反射し差し込んでいる蛍光灯にキラキラ光っていた。前後の足は捨象されたデザインで、頭と胴体と、それから長いしっぽだけがある芋虫のような形状だった。
 それが、乱雑に配置された物々の影から飛び出したのだ。かがみ込むような姿勢で宙に浮かぶ。さながら現実の狐が雪下の獲物を抑え込むように前足から着地するような姿勢で。あるいは驚いた猫の飛び上がり方にも見えた。
 しかし狐が着地する前に、神主のような風貌の彼が放った目には決して見えないなにかが、その白狐の人形に届いたようで、クラッカーを爆発させた時のような音と、それからそこから弾き出されるリボンのようなファンタジーじみたエフェクトを出しながら人形は忽然と姿を消した。それもつかの間、今度は老人にまた見えない何かが巻きついたように、苦しむミミズの体をくねらせるかのような、不自然で歪な動きをしながら彼は土間から土足で床の間に二、三歩歩いたところで泡を吹いて苦しんでいた。
 余りに一瞬の出来事であったから家族の誰も適切と呼べるような対処をすることも無く、結局その老人はその場で息を引き取った。

三(蛇足)


 夢特有の場面の唐突な切り替わりで、かつ要約的な記述になるが、神主のような老人が死んでしまったあと、どういうわけか、二人目の除霊師のような男が来た。
 尚、彼の容姿は、以下の画像に酷似していた。

東大医学部頭悪くないか!?
と叫ぶおじさん

 ここ数年のインターネットの情勢に明るい諸兄ならご存知であろう、「東大医学部頭悪い」でお馴染みのおじさんであった。
 見た目が酷似しているだけで、真面目に怪異への対処法を教えてくれていたような気がするが、如何せんこの印象が強すぎて、あまり覚えていない。
 私が古い作りの二階か三階建てのビルの上の階に併設されている青果店のような場所で品出しをしているとき、入口の窓ガラス越しにこちらをずっと見てくる黄ばんだ白を基調とした山姥のような化け物がいて、目を合わせるなと忠告され続けていたのだけ覚えている。
 面白い夢だと思っていたのだが、おじさんのせいで一気に世俗に引き戻されてしまった。
 残念。

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