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さらば、2020年。

どうも、雪之丞です。

年末の慌ただしさに呑み込まれ、おそらく人生で初めて爆弾低気圧とやらにやられ、筋肉痛と頭痛の合わせ技で一本取られてしまいそうな日を迎えてしまいました。

大掃除、終わってますか?
雪之丞は頑張りました。太ももプルプルです。短い正月休みは子鹿です。兎年うまれなのに、子鹿です。

毎年のように「来年は大掃除したくないな〜」なんてことをぼやきながら、日々の小掃除をサボってしまいがちになりますよね。
やり始めたら細かいところまでやってしまうのに、やり始めるまでが……ね?

掃除が苦手な皆さん、私と共に日々の小掃除を少しだけ心掛けてみませんかみましょうやってみよう!!

まずは、気持ちだけでも一回リセット出来た箇所でそのうち『あれ…埃が…』とか『これ、水垢だな…』って感じる瞬間が絶対にやってきます。そのときが大事で!
放置せずに拭いたり軽く擦ったりしてみましょ。綺麗になりますよ。
その積み重ねがあれば、きっと大掃除する事にはならないはずだから!やれるよ!!

……って、自己暗示するために書き残してみました。

なので参考にしなくて大丈夫です。

来年のことは、来年の自分がどうにかしてくれるので。
自分を信用して、今年は出来ることだけやりましょう。

無理は良くない。

ポルノグラフィティさんも『無理はしないことにした』って歌ってるじゃないですか。
すきですよ、ポルノさん。

さてさて。
本日ここに書き残してみたいのは、学生時代に経験した恋愛記……ではなく。

まもなく新年を迎える、ということで

目標、夢、希望、そんな事をテーマに記憶の引き出しを探ってみました。

恋愛記についてはまた後日、ちゃんと書き出してみますので。
ゆっくりペースにお付き合いくださると、嬉しいです。

フリースタイルで書いてるため読みづらい箇所が多々あるかもしれません、ごめんなさい。

気楽に読んでくださいね。

それでは本日も、つらつらと。

大きくなったら、なにになりたい?

誰しも、そのような事をきかれた経験があると思います。

かく言う私も、物心ついたときから中学の頃まで、漠然と “パティシエになりたい” というそれはそれは素敵な夢がありました。

その夢を抱いたのも、我が家では
・兄の誕生日(初夏)
・私の誕生日(初冬)
・クリスマス
の3回だけ、ケーキを食べるチャンスがあったことがきっかけでした。

その日ばかりは、本人の大好物が食卓に並び、食後にはクリームで可愛くデコレーションされたホールケーキがドンと用意され、ロウソクの明かりだけが灯る暗い居間で家族みんなが歌を唄い、火を吹き消せば拍手と共に「大きくなったら、何になりたいですか」「どんな一年にしたいですか」と、ヒーローインタビューのようなものを受けるのが恒例でした。

共働きで日々忙しく働いてくれていた両親も、その日だけはと普段より早く帰宅して盛大にお祝いしてくれたものです。
自分の娘が歳を重ねた日に何を夢みているのか、一つの楽しみになっていてくれたらなーなんて思い耽ってしまう33歳の私です。

いま思うと、誕生日プレゼントというものを貰ったことがなかったのですが(笑)、おもちゃを買ってもらうよりも大好物の食事が並んでケーキまで用意してもらえるだなんて、最高の日じゃないか!!!と子供ながらに都合よく変換できていた子だったなと。
当時の健気な自分を褒めたくなりますよ、ほんと。

そんなことが年々続いていたおかげで、私は
「ケーキやさんになりたい」
「ケーキ屋さんになって、みんなを笑顔にしたい」
「パティシエになって自分の店を持ちたい」
そんな夢を語るようになりました。

で す が 。

高校受験の際に事件は起こったのです。

15歳の決断

進路希望調査票の段階で、私は目の前が真っ暗になりました。
というのも、成績や出欠状況に関しては何の問題もなかったので当然のように第一志望の高校へ推薦入試で行くつもりでいた私。
けれども、保護者の承諾印を貰うときの母の第一声…

「この学校へは、通わせられない」

何を言われたのか分からない私は、ただ呆然と母を見つめるだけでした。

「ごめんね。ここへは、行かせられません」
「何で?」
「調理科だよね」
「もちろん。だって、」
「うん、うん……ごめんね。」

静かに謝る母から調査票を返されたときは、思わず叫びそうになりました。暴れ回りたかったし、泣き喚いてしまえばどうにかならないかと考えてしまった。
今の今まで私の夢を応援してくれていたと思っていたヒトが、手の平を返した瞬間に思えたのです。

暴れたい気持ちを抑えつつ改めてワケを聞くと、それは簡単な理由でした。
経済的理由です。なんとまぁ分かりやすい。

私が高校生に上がる頃というのは、今のような授業料無償化制度というものが確立していなかったため、私の志望していた学校では入学金や基本的な授業料に加えて必要な、専門科目の道具や実習(材料)費の実費、というのが一番の痛手でした。
結構痛いですよね。今聞くとゾッとします。

当時の我が家は、30代半ばの両親が共働きで家のローンを払いながら年頃の子ども3人プラス年金生活とはいえ無理矢理居候して好き勝手している祖父母の生活費を賄うために稼いでいる状態だったため、私が希望の高校へ通うとなるとその資金繰りがどうにもこうにも厳しかったのです。

正直なところ、この中で一番“厄介”だったのは祖父母なんですよね。
孫たちの世話をする代わりにここに住まわせろ……とまでは言わないけど、そういう体で居候する形に無理矢理持っていったのです。
(孫視点で見ると、いつの間にかウチの和室で暮らし始めた上に晩御飯の用意をするだけで食費は我が家持ちなのどういうこと…?っていう感じでした)

両親も無碍には出来ず(というかまともに会話できる状態じゃなかった)、勝手な居候のせいで生活苦になってしまった我が家の一番の犠牲者は私だったのではないかと今でも思っています。


そうやって第一志望の道を目の前で閉ざされた私に残された道のひとつが、地元の普通科高校でした。
一つ上の兄がその高校へ通っていたのですが、兄と同じ高校だけは絶対に嫌だ!!そこしかないなら親戚の叔父さんが住んでる県外の高校にする!!!!と母へ猛抗議したところ、勧められたのは隣町にある商業高校でした。

「自力でパティシエになるのは無理に等しいかもしれないし、それは趣味の範囲でどうにか我慢してほしい。その代わり、この高校でいろんな事務関連の資格を取れば就職にも有利になるから」
と諭されたこともあり、私はずっと思い描いていた夢を捨て去り全く興味がない…けれど兄がいないならそっちがいい、というだけの理由で商業高校への道を選んだのでした。

しかも、推薦枠はもうとっくに埋まっていたため入試対策の勉強に追われる日々。
部屋でラジオを聞こえるか聞こえないかの音量でうっすらと流し聞き、夜食でカップ焼きそばを食べてはまた問題集をひたすら解きまくる毎日でした。

小さい頃から裕福ではないものの不自由することなく生きてきた私は、怒り方も知らないまま育ってしまった残念な子だったので、怒りの矛先をどこにぶつけていいか分からなかったためひたすら勉強していました。

当時のストレスときたら、そりゃもう酷かったんです。
不安に押しつぶそれそうなのに周りからは「勉強しなくても平気なんじゃない?」と言われるばかりでまともに悩みを受け入れてもらえず、かと言って弱音ばかりを吐くのは自分の中の変なプライドが許せなくなる時期に突入して自傷行為のようなものに走ってしまったり。

とにかく、中学時代は暗黒時代とも呼べる期間でした。

兎にも角にも

ここまで読むと『祖父母ひどい』ってなるかもしれませんが、何かもう今更何を言っても過去は変えられないのでこういうところでネタにするしかないのです。

そして、何ならこの選択って割と正解だったかもしれないなと思えるような人生になったので✨結果オーライ✨ってことにしてます。

だって正直……高校で出逢った友人たちとの日々、楽しすぎたんですよね。
あの学校を選んでなかったら、こうはなってなかっただろうなと。
嫌なこともそりゃあ結構あったけど、高校時代は凄く楽しんだのでいいんです。

でもね。
高校時代で勉強頑張っていろんな資格を取ったけど、それは高卒のときに有利なだけであって大学中退になっちゃうと無意味なんですよね……
っていうのは、またいつか書けたらいいですね
カイテミマス...φ(•ᴗ•๑)

幼い頃からずっと思い描いていた夢が、一瞬で閉ざされることも有ります。

けど、そんな真っ暗闇の中でも意外とやっていける性格だったのがせめてもの救いでした。

私は夢を諦めることになってしまったけど、そこで諦めて料理自体やらなくなってしまったのは自己責任だし、嫌々ながらに選んで通った高校では沢山のことが学べたし、友だちいっぱい出来たし、意外とやれたもんだなとは思ってる反面。

いま一番応援したいと思っている甥っ子に関しては、全力で支えてあげようと思ってます。

まず、金銭的な面で彼に夢を諦めてほしくないんです。
私自身が、ツラかったから。彼には、そんな思いをしてほしくない。
彼が自分の人生をどう生きたいかを選択できるようになるまでは、もう少し時間が用意されています。
その間、オバちゃんは負けないから!

夢を諦める子に、したくない。させない。

その為に私は頑張って仕事をしています(本音は今すぐ転職したい…!)

……でも、すんなり志望校に進めた未来もどこかにあったんだろうなと思うと、少し切なくなります。

同級生でパティシエになってるヒトいるから、余計にそう感じちゃうのよね。

あぁ、どこかの世界線で生きてるパティシエの自分よ!
今日も誰かを笑顔にしておくれ!
私はこっちの世界線で同居人を笑顔にしてみせるから!!!!

お互い、がんばろうなああああああああああ

目標≒生き方の選択肢

結婚は夢みても出産や育児を夢みていない雪之丞。
そんな私にとって自動的に私の生き甲斐となってしまった甥っ子。

彼がこの世に生まれてきて初めて私の目に映ったあの日から、私はどうしても
「彼が二十歳になるまでは死ねない」
と思って過ごすことがやめられません。

その目標というか、最低ラインは変わることがないんです。
それに加えて漠然と思い描いてる夢や目標といったら、

『大病せず健康で過ごしたい』

といったジジババ臭いようなものになってしまうのですが(笑)

2021年は、ほんの少しだけ変えてみたいなと思いました。

2020年の雪之丞、割と心が荒みがちで何かと塞ぎ込んでいたんです。
だからこそ、というか。

2021年、心を健康にする

を目標にやっていきたいと思います。

……え、それだけ?

そう思いました?

確かに、これを読んでくれているアナタにとっては小さな目標に思えるかもしれません。

でも、私にとっては結構な目標なんですよ。

今こうやってnoteに文字を並べている雪之丞がいることって、実は奇跡みたいなものなんですよ。

大病はしてないし大きな事故にも遭ってないけど、雪之丞が生きてる奇跡ってものがありまして。

それに関してはまたいつか。

心の健康を保つために何が出来るかなんてまだ考えてすらないけど。
目標がまだ決まってないよーって思ってるアナタ、一緒に考えてみませんか?

ゆるっと、気張りすぎずに生きていく方法が絶対にあります。
ただし、

ゆるっと≠ダラダラ ですので!

似て非なるものなのでご注意を。
ダラダラ生きてりゃダラダラした顔や身体になって残念な結果しか生まないと思うので。
あくまでも、肩肘張らない程度のゆるさでね。
姿勢正しいのが美しいけど。たまには背もたれを使って休みましょ、ぐらいで。

締めっぽいやつ

ゆく年くる年。
もう少しで2020年が終わります。
今年は、沢山の人にとって心苦しかったりツラかったり嫌なことが多かった年かと思います。

本当に、本当に、しんどかった。

ですが、その中でも希望を捨てずに踏んばって、耐えて、励ましてくれた方たちのお陰で、少なくとも私は前を向くことが出来ています。

私自身は非力すぎて何の役にも立てないし、励まされたのにお返しすることが出来なくて悔しいのですが。

その悔しさを噛み締めながらも、糧にして。
ツラかったからこそ、一生忘れることのできない年になったと思います。

生き抜いた、とも
生かされた、ともとれる時代かもしれません。

だけど、どちらにせよこうやって生きています。
まだ、くたばっちゃいけない。
この先どこかで心が折られるかもしれないしまだまだヘコむことだって山ほど待ち受けているかもしれない。

なので。
2021年は、少しだけ。ほんの少しだけ、今より半歩ぐらいでいいから前に踏み出してみようというつもりで心の準備をしておきますね。

踏み出せなくてもいい。その気持ちが大事だから。
踏み出せたら万々歳。よくやった、って褒めてあげる。チロルチョコを一個多めに買ってあげよう。

時間は平等だから有意義に使いたいけど、自分を苦しめるのはやめておく。
少しずつ、やれる事からやっていく。

頑張ってくれて、ありがとう。
出会ってくれて、ありがとう。
生きていてくれて、ありがとう。

今日も少しだけ笑顔で過ごそうね。

これからも、よろしくお願いします。

2020年 12月末日
雪之丞

……よし。
今年の休みも手が黄色くなるまでミカン食べるぞ🍊
5kg箱買いしておきました。

トースターで出来る “焼きミカン” が割と好きです。