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生きてるだけで十分

先月、人生で初めて身体にメスを入れる手術を経験した。

昨年末に受けた検診で引っかかり、精密検査をしたら思わしくない結果で、医師から「臓器を丸ごとひとつ摘出 or がんに移行するリスクを抱えながらキープ」の二択を迫られた。

不思議と手術が怖いという気持ちはなかったし(未経験だったからかも?)、この二択だったら迷わず手術を受けることを選択する自分がいるのは確かだったけど、それでも『臓器丸ごと摘出』にはかなり動揺した。

40年以上自分の体の中にあったものが無くなったら身体的に大丈夫なのか。精神的な喪失感も怖かった。

悪あがきとわかっていても、医師へ泣きながら他に選択肢はないのか?と詰め寄ってみたり、朝から晩まで自分と同じ状況の人をググって体験談を読み漁って抜け道がないか探したりした。
母は「きっと早産だったからに違いない。そんな風に産んで申し訳ない。」と急な懺悔を始めたりもした。

『他者へ病気のことを伝える』ということも実はすごくカロリーを消費することがわかった。
いつから、どうして、どんな経緯で病気に至ったか説明すること自体、「私は病気なんだな」ということを何度も刻み込まれるような感覚があったし、本当にありがたいことではあったのだけれど、時々他者の100%善意からの言葉やアドバイスが元気のない私をエグってくることもあったから。

担当医師と夫と何度も話をして、最終的に『結局長生きしたいなら、臓器を丸ごとひとつ取るしかない』という結論に達し、腹腔鏡手術(お腹に5個穴を開ける)を受けることを決めた。

1ヶ月半の間粛々と術前検査を受け、医療保険の手続きをしたり、仕事の調整をしたり、万万が一のことを考えて自分のお金周り(口座とか生保とか)のパスワード整理、過去の日記を含むヤバイもの(笑)を処分したりもした。

そして入院からの手術当日。
手術室では私のリクエスト通り、バリバリ洋楽(ロック)がかかってた。(手術前に担当医師から以下のように聞かれた)

手術準備として、術後の痛みを軽くするために『硬膜外麻酔』といって背骨に近いところに細い管を入れて麻酔薬を流せるようにするんだけど、その処置のための注射が痛かったくらいで、それ以外は多少の緊張はしたものの、全身麻酔だし寝ているうちに終わるだろうと怖さは無かった。

口に麻酔ガスの流れるマスクをあてられ、「ゆっくり深呼吸してください。5つ数えるうちに気を失います(て言われたような気がした)」

次の瞬間、「あやさん、あやさん、無事手術が終わりましたよ〜」と看護師さんに声をかけられ、ベッドごと集中治療室に運ばれた。

麻酔が完全には覚めていないぼーっとした頭と心で、病院の天井を見ながら最初に思ったのは「生きてるだけで十分だったんだな」ということだった。

え?急に悟り?と思われても仕方ないけど、本当にそう思ったし、何なら生きている以上に必要なことってこの世にある?ないだろ?くらい思った。

目覚めた後に夫と10分ほど話すことが出来た。
普段から感謝も尊敬もしているけど、この時ほど彼の存在自体をありがたいと思ったことはなかった。もう少しで結婚10年を迎えるんだけど、私たちも本当の意味で家族になったんだなあ、この人と結婚して良かったわ、と思った気もする(うろ覚え)。

そして、一晩集中治療室で過ごすことになった私の状態はと言うと、足には血栓防止のためのフットポンプなるものがつけられていて、ずっと自動で足揉みされていた。(翌日全く足が浮腫んでいなかったので、フツーに欲しいと思った笑)


テープが犬柄だった🐶

左腕に点滴と爪には脈拍を測る(?)センサーみたいなものがくっついてて、膀胱にも管、背中にも痛み止めが流れる管が通っていて、とにかく全身管だらけ。

麻酔を入れるために気管にチューブを入れていた名残で、声は出ないし、喉は痛いし、痰が出そうだけど咳をしたらお腹に激痛が走るし、身動きが取れない。かろうじて手は自由なのでスマホで家族や友人・知人に手術が終わったことを報告した。

入院を少しでも楽しめるようにと電子書籍をたくさん買い込んで、映画も見られるようにしていたけど、全然そんな気は起きなかった。
人って元気だからこそ欲が出てくるのであって、身体が元気じゃないと無欲なんだなと思った。

眠ろうと思ったけど、熱はあるし、背中の管から痛み止めを流しても痛み止めの点滴を入れてもらっても痛いし、隣のベッドのおじさんのいびきも大きくてとても寝られたもんじゃなかったので、早々と眠ることに降参。

ぼーっと天井を眺めながら考えを巡らせていたら、なぜか小さい頃の自分ののイメージが浮かんできて、色々なことが次々と思い出された。
生還したばかりだけど、死ぬ前に見る走馬灯ってこんな感じか?と思った。

『人は完璧な状態で生まれてきて、ただただ愛される存在。足りないものなんて一つもなくてすでに幸せだし、人生を楽しむ以外に大切なことなんてない。』

熱で浮かされていたからかもしれないけど、とにかくそんな思いが全身を駆け巡った(気がする)。

私は子どもを産んだことがないから実体験としてはわからないし、母に面と向かって聞いたことも無いから定かではないけど、きっと母は私が生まれたときこの上なく嬉しかっただろうし、十分愛情を注いで育ててもらったなとも思った。

この写真のイメージが浮かんだ。私、太り過ぎ。

そう考えると、私もうすでに完璧じゃん。
お金とか仕事とかあれが無い、これが足りない、自分に自信がない、罪悪感、自己肯定感がどうたらとか誰かや何かの期待に応えるとか、もうマジでどうでもいいことだわ!という境地に。

今後私がやることはひとつ。
自分の身体と心の声を聞き、人生楽しむこと。

この思いにたどり着いたとき、泣いてた気がする。
(鼻水が出て、それをかむのに痛くて悶絶した覚えがあるから)
単に痛みに耐えきれず泣いたのかもだけど、かっこよくひとつの真理っぽいものにたどり着いたことにしておきたい。

もしも、これを読んでくれている人が目の前の人間関係、仕事、お金、子育てとか色々なことで悩んでて、こんな私じゃダメだとかポンコツだわ、もっと努力しなきゃ!と辛かったり苦しんでいるとしたら、全力で「そんなことない!もう生きてるだけで120点!」とお伝えしたい。

自分が感じていることがすべて。良いも悪いもない。
自分の身体や心の声をどうか無視されませんように。

今日で退院して2週間。
退院直後は夫につかまらないとベッドから起きられなかったし、亀くらいのスピードでしか歩けなかったけど、日に日に痛みが和らいできたり傷口も修復されているのがわかって改めて人間の回復力ってすごいなと感じる。
来週からボチボチ仕事を再開していく予定だけど、すでに120点の私で無理なく、楽しみながらやっていくぞ〜

みなさん、またよろしくお願いします!



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