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横浜トリエンナーレ2024

横浜トリエンナーレについての感想です。
Xにポストした内容となります。


横トリは、キュレーターの思想や活動を事前に知って(または共感して)いて、その視座で各作品を鑑賞すれば評価することは可能。ただその視座以外の鑑賞の仕方以外では、思想色強いガラクタにしか観えない。鑑賞者の鑑賞にあたっての多様性を奪ったという点では完全に失敗だった。

国際的展覧会は、やはり鑑賞者側の思想や倫理や宗教の多様さもポイント。それに対してはひどく威圧的で、キュレーターの思想、活動に理解をし、そこで鑑賞するしかない息苦しさが、まさにこの国に訪れようとしている息苦しさや圧迫感なのかもれない、ととれないこともない。

また、中国の劉鼎さんと盧迎華さんをキュレーターやディレクターにし、なぜこの展示を横浜で行うのかが不明だった。開催場所が横浜という固有の都市である必然性をまったく感じず、ある程度表現の自由がある場所なら(中国以外?)どこでも交換可能なのでは?と思った。横浜は透明な都市のようだった。

今回の横トリは、都市(横浜)の固有性と、鑑賞者の多様性を拒んだ点が一番評価できない。これが現代アート身内ウケなんでは、って。残念だった。横浜と横トリが好きだから。

政治的であるのはかまわないし、イデオロギーが入っているのもよい。けれど、それだけが前傾化した作品群で、日本の社会的コンテキストに依存しすぎ、今回の横浜トリエンナーレ。アフリカや欧米の鑑賞者が松本哉さんや高円寺の乱とか知るよしもないし、テキストも映像も日本語ばかり。身内ノリすぎる。

階段の展示や込み入った狭い場所の展示は、身体障害のある方や車椅子ユーザーの方は鑑賞できない。また、Qunさんご指摘の通り、音声過敏の方や目が不自由な方にも不親切極まりない展示だった。手話通訳ガイドツアーも1日だけで2コースで8名のみ(https://www.yokohamatriennale.jp/2024/events/5183)
多様性の排除が目立った。


こんな感じです。
イデオロギーに対して工夫がなくあまりにも直接的すぎる展示内容で、さまざまな角度から、身内ノリが過ぎて閉じすぎだなと残念なni_kaなのでした。

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