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『ベイビー・ブローカー』の話

ある出来事が報道されるとき、一般論や大多数の視点から出来事の是非が語られることは多い。

法律や倫理観は多数派に寄っていないと理解も共感も得ることが難しいだろう。

だけど、一つの出来事の事実は一つでも、真実はどれだけあるのだろう。

そんな風に考える映画だった。

ある雨の夜、一人の母親が息子を赤ちゃんポストに預け立ち去って行くが、翌日思い直して施設に行くと昨晩預けられた子はいないと言われる。そして、施設の職員に扮したブローカーによって、その息子が子供を望む夫婦に売られそうになっていることを知る。

また、赤ちゃんポストを悪用し子供の売買をするブローカーを追う刑事は、現行犯で逮捕するためにブローカーの尾行を開始する。

ブローカーと母親、そして、それを追う刑事たちの、赤ちゃんの買い手を探す旅の道中で様々な思いが交錯していく。

なぜ息子を捨てたの?
なぜ母親に捨てられたの?

手放したのは息子のため?

手放したのは自分のエゴ?


愛されたことはある?



愛したことはある?



誰かの行動や感情には理由がある。その理由が理解されるかされないかは別として。

そして、時には本人にさえ理解できないような理由で起こる出来事もある。

考え抜いた結論に心が追いつかず、それでもようやく追いついた心を理性が置いて行ってしまうような。

同じ出来事でも正解は人の数だけあって、正解があれば同じ数だけ間違いもある。

自分に見えているものだけで正解か不正解かを決められるほど世界は狭くないし、答えを出せるほど人は賢くもない。

簡単には歩けない世界をそれでも歩いていく。そんな物語だった。

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