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思いがけない自分の能力に引いた経験

学生の頃、少しだけ声楽のレッスンを受けていたことがある。

私は合唱部に入っていた。当時、通っていた学校には音楽専攻があったので、合唱部には音楽を専門で勉強している人も多く在籍していて、音楽経験ほぼゼロの状態で入部する人の方が少なかった。

みんなで歌う、いわば団体競技だから合唱がやりたくて入部したけど、いざ入ったら音楽に長けた人ばかりなうえ、1人ずつ歌う練習もあり、正直言って地獄だった。

このまま続けるのもどうかと思い、苦手を克服すべく、意を決して声楽の先生のもとへ通うことにしたのだ。

基本の発声練習と合唱部で歌っている歌をみてもらう。音大を受けるような人も習いに来る教室だったので、いち合唱部員が発声をみてもらえるなんて、ラッキーな話だったと思う。

声を出す時の姿勢、体の使い方、息の流し方…少しやり方を教えてをもらうだけでどんどん変わっていくのが自分でもはっきり分かるほどだった。

当初の声のボリュームが1だったら、10とか20まで一気に上がるような感覚で、自分の声なのに自分から出ているとは思えなくてちょうど驚くほどだった。

映画を見ていて急な爆音にびっくりした時のような、もはや、自分の声量の変化に引くくらいの感覚が不思議だったし、なぜだか少し照れくさかった。

自分の能力に対して、良くも悪くもおおよその予測を立てて、「これくらいならできる」とか「これは自分にはできない」とか判断をしがちだけど、その目測って案外当てにならないなと思う。

予測を上回る自分を見た時、嬉しさと同時に気恥ずかしさを感じるけど、その恥ずかしさは受け入れた方がいい。

二胡のレッスン中に、ふと学生時代のことを思い出し、驚きと気恥ずかしさの先にちょっと成長した自分がいるのかもな、なんて思った。

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