仕事と家庭の両立で私が心がけている「先のことは考えない」「中途半端のススメ」
「同じ場所に何年もいて、よくモチベーションが保てますね!私には絶対無理です」とおっしゃる方もいます。
でも私の場合は
「あれをやりたい、これもやりたい」
「これはやらなきゃいけないのに、できていない」
常にネタに追いかけられていて、モチベーションの下がるヒマなんてありません。
毎年、自分の「プチテーマ」を設けることも、モチベーションが下がらない理由の1つかもしれません。
例えばことしは「琉球舞踊」を取材しよう、ことしは「しまくとぅば(沖縄に伝わる各地のことば)」、ことしは「沖縄民謡」とか。
昔、あるデスクに「長くいるのに、そんなことも知らないの?」と言われたことがきっかけかも。
苦手な分野からプチテーマを設定して、その分野でお知恵をいただける人と知り会えるのが楽しいですし、苦手な科目が毎年ひとつひとつ減っていくのも、自己満足かもしれませんがちょっとした達成感があります。
後編ではそんなちょっとした「記者ライフハック」についてお話しします。
※前編の記事はこちらです
“老若男女、いろいろ来るね”
地域に長くいるためか、社内のいろいろな相談に対応することがよくあります。
数年で転勤する全国メディアの場合、取材先との距離間や、沖縄の空気感をつかみにくい面があるようで、
そうした質問をされるたびに、沖縄に向き合おうとする真摯な姿勢に感心させられますし、自分にできることはしたいと思って相談に応じてきました。
入れ代わり立ち代わり、いろいろなセクションの職員が私の席に来るのを見ていた上司から、「あなたの所には老若男女、いろいろな人が来るね」と言われたことがあり、「老若男女」の表現に大笑いしたことがあります。
でもあるとき、全く笑えないことが起きました。
沖縄放送局にとって1年で最も重要といえる日が、6月23日の「慰霊の日」です。太平洋戦争中の沖縄での戦いで、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日です。
毎年この日が近づくと、いろいろなセクションから、人の紹介や原稿のチェックなどの相談が舞い込んできます。できる範囲で何とか対応してきましたが、「ある出来事」を境に考えを変えました。
それは東京の番組担当者が制作した、沖縄をテーマにした番組の内容を巡ってトラブルが起きたことです。
私は番組の担当者から放送前に質問を受けて、自分の専門分野ではなかったため記者など数人を紹介しました。番組の放送後にトラブルが起きたと聞いて、紹介した数人の記者に迷惑が及んでいないか、血の気が引くような感覚でした。
結果として記者たちは巻き込まれずにすんだのですが、それからは沖縄局以外の人たちからの問い合わせは、リスクを管理するためにもすべてデスクを通してもらうことにしました。
これまで私は「沖縄のことを伝えてくれるのだから有り難い、できることは協力しなくては」と思ってすべて自分の判断で対応してきましたが、それは自分の思い上がりだったと、このときに気づきました。
考えてみれば1人で沖縄を背負ったつもりになっていたわけで、まさに「あなた何様のつもり?」だったと思います。
と、こんなことを書いていると「地域で働き続けるって面倒くさい…」と思われるかもしれません。確かに自分とは一切関係ない番組のクレームが名指しで私に来たりすることも多く、面倒くさくないと言えば嘘になるかも。
でもそんな「面倒くささ」を上回る「やりがい」が詰まっているから、この仕事は辞められないんです。
「仕事」と「家庭と育児」私が”伝授”できる2つのこと
最近、社内外問わず若い世代から「どうやって仕事と家事、育児を両立してきたんですか?」と聞かれることが多くなりました。
私もそうでしたが、皆さん不安ですよね。でも大丈夫!不器用な私でもできているんですから。
まずは私の1日の流れを紹介しますね。
朝6時、起きたらその日の夕飯を作って、息子と夫が起きてきたら、朝ご飯を作って出します。「恐怖」の春夏冬休みは給食がないので、朝5時に起きて、昼ご飯まで3食作ります。
去年までは一番上の子が高校生で毎日お弁当があったので、年中5時起きでした。
家を出たら車を30分ほど運転して、NHKの局に着いたらその日のニュースの取材を1本して、原稿を書き終えたら次の日のニュース項目の洗い出しや、アポ取りをします。
午後7時にニュースが終わったら、大量のメールをチェックして返信。
午後8時半には局を出るようにしています。
まだ子どもが小さかった頃は「午後6時までが勝負」でした。今、お子さんが小さい方々に会うと、「頑張りすぎずに頑張って」と心の中で応援しています。
20年近い私の子育て経験から、2つだけ、伝授できることがあります。
「先のことは考えない」
「中途半端のススメ」
です。
子育てが始まった当初は、朝、その日の3食を作っていると
「仕事に間に合うかな…」
「えっと次は何をするんだっけ…」
とパニック状態になって吐き気と立ちくらみがして、シンクの前でうずくまることが多々ありました。その状況を打破できたのが、さきほどの2つのことばです。
昼ご飯を作っている時に夕飯のことまで考えるから吐き気がするわけで、昼ご飯の作業の時はそのことしか考えない。終わったら夜ごはんのことを考える。
要は「先のことは考えない」です。
何かの本で「先のことを考えるのは人間だけ」と読んだ時に思いついたことばです。
これをやってみると、不思議と1つのことに集中できるようになりました。
ちなみにご飯のことだけでなく、仕事もプライベートも先と言っても「あしたのこと」だけを考えるようにして、転勤したら子どもの保育園はどうしようとか、そういうことは一切考えないことにしました。
「中途半端のススメ」というのも何かの本で読んだのですが、「中途半端を楽しみましょう」ということばに救われたことがありました。
仕事も家事も子育ても全部中途半端ですが、逆に「いろいろなことが出来ている自分を楽しみましょう」みたいなことが書いてあって、当時の私の心に刺さりました。
仕事に家事に育児、今は介護にも直面していますが、いいんですよ、中途半端で。
記者になって31年、はっきり言って自分なりには頑張ってきたつもりですが、会社員としては「甘ちゃん」の人生だと思っています。
転勤で大変な思いをしているみんなと比べれば私なんぞ、「大変だ」と感じたらバチが当たる、と思って乗り切れた部分も多くありました。
若い世代の方にお伝えしたいのは、「何とかなります」ということ。
実際、何とかなった私が証人ですので、だまされたと思って信じてみてください。
記者としてはそうでもないのですが、時短のための家事、手抜きは超一流ですので、いつでも伝授いたします。
輝ける場所で輝いて
最後に、講演の依頼を受けた時に話すようにしていることを1つ書かせていただきますね。
31年間の記者生活の中で、たくさんの同期や後輩が退職していきました。去る前に相談を受けたことも、たくさんあります。
私が勝手に思っているのは、協会であれ転職先であれ、家庭であれ、「自分が一番輝ける場所」というのが絶対にあると思っています。私にとってはそれがNHK沖縄局なんですが、人それぞれ、そういう場所があるはずです。
その場所はどこかと、いつも自分に問いかけて、見つけてほしいと切に願います。
22歳の1年生のとき、1秒に3万回くらい辞めたいと思っていました。
そんな私が今もう一度生まれ変わっても、記者をやりたいと思っています。
私1人の力で何が変わるわけでもありませんが、すてきな人たちに会えて、自分が「おかしい」と思うことを発信できる。発信することを取材先やデスクや大勢の仲間が助けてくれる。発信によって少しばかり感謝されたりする。
こうしたことが仕事としてできるなんて、すてきだと感じています。
50を超えてますます体力が衰え、気持ちと体力のギャップに戸惑うばかりですが、60まで沖縄のことを伝えられる記者でいられるよう願いつつ、日々、精進しようと思っています。ここまで読んでいただいてありがとうございました!
沖縄放送局記者 西銘むつみ
2人の息子の母。バタフライピーという真っ青な色のハーブティーを愛飲。
局では毒薬を飲んで不老不死を目指しているのではとささやかれています。
西銘記者はこんな取材をしています