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「被災者の方からお話を聞かれていましたが、どう感じましたか?」と言われても・・・

「被災者の方からお話を聞かれていましたが、どう感じましたか」

大学生だった私に記者から繰り返し投げかけられた言葉です。
何と答えていいか分からず、どう答えたかもよく覚えていません。

大学1年生の時から、阪神・淡路大震災の追悼行事「1.17のつどい」にボランティアとして参加していた私。

毎年、取材で、同じような質問に何度も何度も答えるたびに・・・

「私たちは何のためにやってるんだっけ…?」

もやもやした感覚を抱いていました。

そんな私は、今年、取材する立場として阪神・淡路大震災と向き合うことになりました。

「撮影を手伝ってほしい」

私、三砂安純が生まれたのは1998年。兵庫県で生まれましたが、阪神・淡路大震災が発生した当時はまだ、母のお腹の中にもいませんでした。

震災の知識といえば、小学校の時に見た映像が恐ろしくて、見るのが嫌だったなあという程度。

そんな私が震災と向き合うきっかけとなったのは2018年の1月、大学1年生の時でした。

「阪神・淡路大震災の教訓を伝えていくための映像ドキュメントを作るから、撮影を手伝ってほしい」

大学で映像番組を作る放送部に所属していた私に、先輩から声がかかったのです。

震災が起きた1月17日には、毎年、神戸の中心部の東遊園地で「1.17のつどい」が開かれています。

2021年の1.17のつどい

震災の3年後に開かれた市民集会から始まり、今はNPOや神戸市などが共同で開催する最も大きな追悼行事です。震災発生時刻に合わせ、毎年、会場には数万人が来場。ろうそくで竹灯籠や紙灯篭に火をともし、震災で犠牲になった方々を追悼。震災の教訓を次世代へ語り継ぐ場になっています。

その「1.17のつどい」にボランティアとして参加し、震災当時の写真や資料を集めたり、震災を経験した人の証言を集めたりすることになったのです。

実はそれまで、つどいに参加したことはなく、テレビで見ていただけでした。

いざインタビューしてみたけれど・・・

私の両親は大阪市内で、祖母は兵庫県尼崎市でそれぞれ被災しています。

「震災の時には…」

小さい時から何かと大人が話すのを聞いていたし、学校で地震の映像を見る時に、先生が自分の体験を教えてくれることもありました。

母と妹と

ただ、大人たちの話の前提になっている、震災の記憶が私にはありません。

震災の話ってなんとなく私たちには分からない話だと感じていたような気がします。そう思いたかったのかもしれません。

つどいの当日、私は震災を経験した人のインタビューを担当しました。

大学1年生の時

「阪神・淡路大震災でどんな経験をされたんですか?」

「火事で建物や鉄が燃えていくにおい、変な油のにおい、そして物や人が焼けたにおい。当日のにおいやサイレンの音などが急にふとよみがえってきて眠れんくなる。人が焼けたにおいというか、何とも言えんにおいやったよ」

「そうなんですね・・・」

自分から質問しながら、次の言葉が出てきません。
「えーと、えーと・・・」

「こんな話されても分からんよねえ」

被災された方の寂しそうな表情が今も忘れられません。

自分の震災についての知識不足を悔しく思うとともに
「あなたには理解できんでしょ」
そう言われているような後ろめたさもありました。

「私たちに何ができるんだろうって」

その後の3年間、毎年ボランティアとして携わった私。
できる限りのことをしようと家族に当時の事を聞いたり、阪神・淡路大震災や防災に関する本を読んだり。

震災を経験した人との共通言語を増やし、震災を理解したい。話してくれる方にもっと共感したい。そう思って活動を続けていました。

大学2年生の時

でも、思わず弱音を漏らしてしまったこともありました。
当時の写真を提供してくれた女性と話していたときのことです。

「話してくれる人の震災当時の辛さや苦しみが理解できなくて・・・。震災を経験していない私たちに何ができるんだろうって思っているんです」

優しそうな女性だったので、つい聞いてしまいました。
すると、女性は笑顔でこう教えてくれました。

「全部理解しようと思わなくていいんよ。若い子らがこうやって震災を知ろうと思って聞いてくれるだけで私達も救われてるんやから」

今まで震災の話を聞くときに後ろめたさを感じていましたが、このひと言でなんだか救われた気がしました。
震災をきちんと伝えていきたいという使命感がより強くなりました。

「お話を聞かれてどう感じましたか?」

「1.17のつどい」当日には、毎年、たくさんの方が写真や映像を提供しに来てくれます。

震災の経験をうかがうのにかかる時間は、1人当たり30分から1時間。中には2,3時間話し込むこともありました。一人一人と向き合い、一緒に泣いてしまう事もありました。

「この体験談は教訓にして伝えていかなければいけない」

写真をデータ化し、10数人分のリアルな震災の経験を聞き取って・・・。
辛い体験を話してくれる方一人ひとりと向き合ってきちんと理解しようと、私も必死でした。体力も時間もとても足りませんでした。

一方、「1.17のつどい」の会場には毎年、新聞やテレビなどたくさんのメディアも訪れています。震災を知らない私たちが震災を記録する取り組みには、各社から取材の依頼が殺到していました。

私が震災を経験した方の話を聞く様子を、カメラが撮影しています。私が話を聞き終わると、すぐに記者が名刺をもってやってきます。

「被災者の方からお話を聞かれていましたが、どう感じましたか」

話をしようと待ってくださっている方がいるのに・・・
自分の中でも震災を全て理解できているわけではないのに・・・

いろんな感情がぐちゃぐちゃで、なんと答えていいか分かりませんでした。なんと答えたかもよく覚えていません。

さらに、私たちが出していた展示スペースを無断で撮影し始めるメディアもありました。
撮影自体はいいのですが、そのクルーは展示を見に来ていた人たちを全員どかして、ロケを始めたのです。

私はさすがに黙っていられませんでした。

「撮影するのは結構ですが、周囲の人たちを邪魔だとよけるのであれば撮影はご遠慮ください」

私たちの活動を知ってもらい、多くの記録を集めるためにもメディアの影響力は大切だと理解していました。取材にもできるだけ対応するよう努めてきました。

しかし、各社からカメラを向けられ、同じような質問に何度も何度も答えているうちに
「私たちは何のためにやってるんだっけ…?」

もやもやした感覚を抱いていました。

一方で、「震災にどうやって向き合うべきか」など一緒に考えてくれ、1月17日当日だけでなく、継続取材してくれた記者もいました。

取材する側の姿勢は取材相手に伝わると肌で感じました。

「何と言っていいのかわからない、ぐちゃぐちゃです」と当時の本音を素直に答えられたのは、継続取材してくれたその記者に対してだけでした。

私たちがどんな思いで震災を経験した人たちと向き合って活動しているかこの人たちは知っている。そんな安心感から取材者との関係性は生まれているのだと改めて思います。

「もうこれ以上の取材は・・・」

メディアに対して違和感を抱くこともありましたが、私が大学卒業後に選んだ進路もメディアでした。

「映像で行動を起こすきっかけを作りたい」

2年前にNHKに入局し、今は札幌放送局で主にニュース映像の編集をしています。自分で取材に出ることもありますが、取材の難しさも感じています。

札幌放送局での編集作業

ある取材では、取材相手から「もうこれ以上の取材は…」と途中で断られたこともありました。その人自身が抱える、仕事や日常生活の孤独に悩んだ経験について取材させていただいたのですが、私の取材が未熟で何度も何度も取材の回数を重ねてしまったことが、気づかぬうちに相手に負担をかけてしまったようです。

つらい過去を思い出し、自分の気持ちを言葉にするには体力がいるものだと、阪神淡路大震災の経験者の聞き取りで分かっていたはずなのに・・・

もっと相手のことを考えて取材すべきだったと今でも反省しています。

いろんな手段で届けきる必要性

メディアとして伝える側になって見えてきたこともあります。

大学時代の私は、テレビは阪神・淡路大震災の1月17日や、東日本大震災の3月11日など、災害が起きた時期だけしか防災などについて伝えていないと思っていました。

今働いている北海道でも、毎年9月に、2018年に発生した胆振東部地震を振り返り、風化しないよう様々な角度から伝えています。私も去年、震源地から50キロ以上離れた北広島市の地盤崩落によって、住宅の欠陥に気付いた被災者の企画を編集しました。

2022年9月放送 胆振東部地震から4年 ニュース特集

ただそれ以外にも、太平洋沿岸での千島海溝沖での巨大地震発生時を想定した訓練や備えなど、普段からニュースで伝えています。

災害が起きた時期しか伝えていないのではなく、大学時代の私にとって、災害が起きた時期しかテレビの防災のニュースは印象に残っていなかったのです。

いつ来るかわからない地震に対して防災意識を持ち続け、備えるためには、視聴者にきちんと伝わるように、いろんな手段で届けきる工夫が必要だと感じています。

SNSで1.17と向き合う

札幌局ではSNSも担当し、TwitterやInstagramなどで日々のニュースや情報発信に力を入れています。

Instagramでは、北海道ならではの自然や食にまつわる情報を投稿し、他にもリールやストーリーズなどでも番組やイベント情報を発信。

Twitterでは北海道にまつわる日々のニュースやスポーツの話題、最近では大雪や停電など生活にかかわる情報も短い映像と共に日々発信しています。

札幌放送局のInstagramとTwitter

大学時代「1.17のつどい」の活動をしているときも、自分たちと同じような世代に届けるためにはSNSは欠かせないと感じていました。
ただ、去年の1月17日。入局1年目の私は、目の前の業務をこなすことに必死になり、阪神・淡路大震災について何も発信できませんでした。

今年こそは伝えたい。

デジタル担当として「1.17のつどい」当日に行われる追悼式の様子などSNSで動画発信することになりました。

「私にとってそうだったように、誰もが震災の教訓を知るきっかけを作りたい」
そう思っています。

震災を知らない私たちが伝える

「1.17のつどい」の現場には、かつて私がやっていた活動を引き継ぐ頼もしい後輩もいます。2020年10月に発足した語り部グループ『1.17希望の架け橋』の代表、藤原祐弥さん(20)です。

藤原祐弥さん

高校生から社会人までのメンバー51人は「震災を経験していない私達にもなにかできないか」と集まった有志たちです。

藤原さんは震災を経験していない語り部として、自分より若い世代へ出前授業や講習会を行い、防災の大切さも伝えています。1月17日当日、藤原さん達は、震災経験者の声を聞き取って映像化してSNSで発信することにしています。

震災を伝える活動というと、当時を知らないという壁が大きく立ちはだかる気もします。私がそうだったように。

それでも私は震災を経験した人たちから「震災を若者が伝えていくことに意味がある」と教えてもらい、前向きに取り組むことができました。

震災を伝えるのに特別な経歴も理由もいらない、今はそう思います。

「被災者の方からお話を聞かれていましたが、どう感じましたか?」

もしそう聞かれたら、藤原さんには、感情がぐちゃぐちゃでもいいから、自分でも分からなくてもいいから、取り繕わずに素直な気持ちを話してみてほしい、そう考えています。

私自身も、繰り返し答えているうちに自分の中に芽生えた“語り継ぐ大切さ”に気付いた部分も実はあったんだと、今は思います。

藤原さんと私

しかるべき準備をして、その場の生の声を届ける。
メディアの責任はそこにあると私は思います。

私も今度は、取材する側の人間として、取材を受けていただく方々との信頼関係を大切にしながら、震災を知らない人たちにきちんと届くニュースを出していきたいと考えています。

三砂安純 札幌放送局 映像制作

2021年(令和3年)に入局。札幌放送局ニュース映像の編集を主に担当しています。北海道2年目で”雪があるほうがあったかい”ことを体感したことが最近の発見。兵庫県生まれ、大阪府育ち。昨年からSNSでの情報発信にも力を入れています。

三砂職員はこんな取材をしてきた


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