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「想定外」に抗え。あのとき無力だった19歳の私、いま一体何が伝えられるのだろうか

福島県・福島市出身で当時19歳だった私は、1年間通った予備校に最後のあいさつに行こうと、地元から隣の宮城県仙台市に向かっていた。

その途中、電車の中で感じた強い揺れ。

午後2時46分。

その後、何が起こっているのかもよく分からないまま、雪が舞う寒さの中をほかの乗客と一緒に近くの施設へと避難した。

その場所がどこだったのかすら記憶がない。私だけではなく、車で迎えに来てくれた父親もよく覚えていないというのだから、今考えるとかなりのパニック状態だったのだろう。

「想定外」に抗いたい。

11年前、私は心に決めて記者を目指した。

…はずだった。

防災なんて何も知らなかった

私、佐藤翔(さとう・かける)は現在31歳、NHK宮崎放送局に所属する報道記者だ。記者生活は8年目、若手から中堅に差し掛かっている。普段は地域の話題や日々のニュースを取材している。

その傍ら、去年10月からは県内のとある学校で、中高生相手に防災教育の講師を務めていて、生徒たちからは「かける先生」などと呼ばれている。

だけど、本当は「先生」なんて呼ばれる資格があるのか…と内心思っていたりする。そもそも私が彼、彼女たちの年代の頃には、防災のことなんて全く考えていなかった。

私にとっての日常であり、当たり前は「野球」だった。幼い頃から見ていたプロ野球の影響で野球を始めると、友だちや弟と一緒に毎日毎日ボールばかり追いかけた。高校ではご多分に漏れず、甲子園を目指して厳しい練習で汗を流した。

正直、当時の自分に「防災の授業があるから受けに来ないか」と言ったとしても「練習があるから」と言って聞く耳を持たなかっただろう。

ただ無力だったあの日

私を根本から変えたのは、11年前の3月11日。

大学入学直前で、仙台市にある予備校に向かう途中、東日本大震災に遭遇した。わけもわからず、流れに身を任せて避難した。だから、その場所がどこだったのかすら記憶がない。あとで車で迎えに来てくれた父親も覚えていないというのだから、パニックに陥っていた様が伺える。

何とか夜中に帰宅したが、翌朝自宅で見たテレビには、真っ黒な水の塊に次々と飲み込まれる家や車が映っていた。かつて祖父母の家があり、よく海水浴に行っていた南相馬市でも、内陸の広い範囲まで住宅が跡形さえない。その光景に絶句した。

そしてあの建屋が爆発。福島第一原子力発電所の事故で、自分がいかに「当たり前」を信じ切っていたのかと、落胆した。巨大な力を前に恐怖を覚え、なすすべがなかった自分自身が嫌になった。当時盛んに飛び交った「想定外」という言葉には違和感を覚えた。

いざというとき、命を救える行動は何なのか。どうすればかつての私のような人に伝わるのか。「想定外」に抗いたい。その思いに駆られ、報道という仕事を志した。

理想と現実

NHKに入ることができると、初任地として赴任したのは福井県。原子力発電所が多く、どこか故郷福島を思い起こさせる。まずはここから防災を伝えよう。意気込んで、第一歩を踏み出した。

だが、現実は甘くなかった。

記者の仕事では、大抵最初に「サツ回り」と呼ばれる警察取材を担当するのがお決まりだ。そこで取材のイロハを学び、別の取材へと進んでいくことが多い。

しかし、23歳の私はその1歩目で早くも挫折する。警察官幹部に夜間会いに行く「夜回り」では、思うように話が聞けない。

原発の問題についても、担当した裁判の際に資料を読む機会に恵まれたにもかかわらず、専門用語がそこかしこに並ぶ資料の山に呆然とした。

先輩たちが当たり前のようにこなしている仕事にも、いつまでたっても苦戦する日々。

いつしか、当初の志を忘れたまま3年という月日が過ぎ去り、私は福井を離れた。

アナログな私でも

次に赴任したのが、今いる宮崎県。南海トラフ巨大地震が想定され、津波が押し寄せる場所だということだけは知っていた。

新天地に慣れるだけであっという間に半年が過ぎ去ってしまったが、震災から9年の節目を前にした2019年の暮れ、私はデスクから声をかけられた。

「東京の記者が津波避難について新しい方法で取材するんだって。一緒にやってみない?」

これは願ってもないチャンス。だけど、新しい方法って何?


GISを使うんだ-


その先輩の記者からは耳慣れないワードが飛び出した。『GPS』なら聞いたことがあるが…。G、I、S、とは?

GIS(Geographic Information System)=地理情報システムとは、交通量や人口など、さまざまなデジタルデータを電子地図上に重ねて分析する手法だという。身近で使われているところだと、代表例はカーナビがわかりやすい。

これまで災害報道というと、地域の住民や自治体の職員などから話を聞いたり、行政機関の資料を読み込んだりといった取材が多い。現場取材は何よりも大切で、記者としての基本でミクロな視点。いわば虫の目である。

一方で、鳥の目というのは、マクロなデータによる分析である。取材では、人口や気象状況など様々なデータを見ることはある。が、あくまでそれは原稿の材料に過ぎず、データを集めるのは行政や専門家の仕事だと思っていた。だけどGISをうまく使えば、私のような記者でもそうしたマクロな分析ができるようになるという。

近年、ネット上で誰でも使える「オープンデータ」の蓄積が増えてくると、災害対策や環境保護の活動でもGISが活用できるというのである。全くの素人の私は、先輩に一から手取り足取り教えてもらい、このときはまだ先生どころか未熟な生徒でしかなかった。

津波浸水想定エリアで…

当時私は宮崎県北部の取材を担当する、延岡支局に勤務していた。いつものように日向市の海沿いで車を走らせていると、ある光景が目についた。

ずらりと建ち並ぶ新興住宅。それも10や20ではなく、周辺一帯に広がっている。

「この辺の住宅、やけに新しくないか?ずいぶんときれいだな…」

ここは宮崎の沿岸部。脳裏によぎったのは、東日本大震災の時にテレビで見た、あの津波の映像だった。

宮崎県は、南海トラフ巨大地震が起きた場合、最大で17メートルの大津波が押し寄せ、最悪の場合、県内で1万2000人が死亡すると試算されている。東日本大震災では地震や津波の被害などで亡くなった人は12都道県で1万5000人を超えているが、それを考えてみても甚大な被害想定だった。

もしかして、津波のリスクのあるエリアで人口が増えてないか?

ただの思い過ごしかもしれない。
ここでGISの出番だ。

分析方法は誰でもアクセスできる国勢調査のデータを使って、沿岸部の図面を小さなエリアに細かく区切り(500m四方)、エリアごとに2010年と最新の2015年の人口を比較するというもの。

すでにあるデータを地図に重ねるだけなので、ノウハウが分かれば、ささっとまとめてしまえる簡単な作業だけれど、当初のアナログな私ではかなり時間がかかってしまい、それも9割以上は先輩の仕事だった。

分析の結果は少なからずショックだった。地方の人口減少が叫ばれる中、津波の浸水域である沿岸部のエリアで、5年間に400人あまり、率にして約4.5%、人口が増加していた。

これは小さな変化と割り切れない。なぜなら、データを比較した期間は2010年から2015年の間。日本中が東日本大震災の津波の被害を目の当たりにした、まさにその後の時期なのである。

一体、なぜ?

背景を調べるにはデータでは足りない。今度は現地取材に走った。

地元の区長の話では、子育て世代の家族がこの10年ほどで移り住んでくるケースが多いのだという。実際に引っ越してきた人々は「街の中心地に近い割には土地が安かったから」と語った。

人口増のある大きな要因として浮かび上がったのは、震災以前から地元行政が進めている宅地開発だとわかってきた。移住してきた住民の中には避難訓練を行ったことのない人も。いざというときに速やかに避難できるのだろうか。

分析結果と取材を踏まえて記事で問題提起することができた(記事末にリンクあり)。取材の気づきにGISが形を与えてくれた。

みんな避難できるの?本当に?

私は新しい武器を手に入れたように、GISを使った分析にのめり込んでいった。

その頃、宮崎県内でも南海トラフ巨大地震への備えが進んでいた。県は、津波避難施設の整備にはおおむねめどがついたとして、計画上、避難が難しい地域=「津波避難困難地域」が解消されると発表した。私もこうした動きを取材して、はじめは前向きなニュースとして報じた。

でも、なぜか頭の奥がジリジリしていた。本当にその計画に死角はないのか?

視点を変えて分析をしてみることにした。

今度の分析は大きく2段階。

①行政が想定する時間内に住民が避難できる範囲は?
②その範囲は、実際に過去の経験に照らして妥当か?

まず1つ目。各自治体では計画などを作る上で、国が示した目安に応じて住民の避難スピードをあらかじめ定めている。例えば、日南市では「分速60m」とされているので、これを例にして計算してみた。

日南市では最短の14分で津波が押し寄せると想定されている。このうち、揺れが収まって住民が避難できる状態になるまでは5分、津波避難施設に着いてより高い場所に上る「垂直避難」に1分かかるとすると、実質的な避難にかけられる時間は、14分-(5分+1分)=8分ということになる。

つまり、安全に避難できる距離(m)は…
=想定される避難速度(分速)×避難にかけられる時間(分)
=分速60m×8分=480m

となるから、裏を返せば津波から安全に避難できる場所が480m以上離れていると避難は難しいと考えられる。

データを元に日南市中心部を色分けした。

青色の部分は津波の浸水想定エリアで、緑色の道路沿いの住民はみな、安全に避難が完了する。一方で、赤色の道路は避難できないわけだが、これらはほぼ人が住んでいないエリアだ。つまり、分速60mで住民が移動できれば、計画上最大クラスの津波が来ても全員が逃げられる。

そう、本当に想定通りならば…。

“想定”を疑え


問題は次だ。

実は、東日本大震災後に国が行った調査では、避難した人たち全体の平均速度は「分速約37m」だったのである。

日南市が想定する60mとはずいぶんと違う。

状況が全く同じにはならないにせよ、この数字を元に計算し直すと、津波がくるまでに避難できる距離は「296m」、計画より「184m」も短くなった。その結果が下の画像だ。

一目見て、想定の時間内に避難できない赤色の道路が増えたと分かる。

さらに分析を続けると、こうした津波から逃げ切れない場所は、日南市に限らず県内各地で出てきた。つまり計算上では、もし東日本大震災の時のような状況で避難した場合には、住民は助からない。お年寄りや障害のある人、小さい子どもなどは、想定よりもさらに時間がかかるケースだってありうる。

こうして、分析で明らかになった事実をもとを県内向けのニュースで放送すると、

「今までにない、価値のある内容だった」
「従来の報道の域を超えた分析だ」

災害の専門家や自治体の担当者などのプロフェッショナルからも評価する声があった。入局以来、初めての手応えを感じた気がした。

ただ放送後、ある違和感にとらわれた。

1度きりの、しかもわずか10分程度の放送で、届けられたのか?
本当に伝えたい人たちに届いているのだろうか。
かつての19歳の私ならこのニュースを見ただろうか。

答えは残念ながら「ノー」だ。

最先端は山奥に

どうしたらもっと深く刺さる伝え方ができるのか。アイデアが浮かばない中、耳にしたのが、県内にGISのプロフェッショナルがいるとの話だった。その人は五ヶ瀬町で学校の教員をしているという。

あれ、山の奥…?

全市町村の中で最も宮崎市から離れた片道2時間半近くの山あいだ。なぜそんな山の中に?話を聞くため学校を訪れることにした。

そのプロの名前は、上田聖矢さんという。

上田さんが教べんをとっているのは、五ヶ瀬中等教育学校という県立の中高一貫校。四方を山に囲まれた場所に立地するが、全寮制で、生徒は県内各地から集まってきている学校だった。大自然の中にいながら、最先端の教育を受けることができるということが売りだという。

地理を教えている上田さんは、2022年度から必修化される地理総合でも活用が期待されるGISを独学で学び、5年以上前から授業に取り入れていた。

たとえば、去年7月に静岡県熱海市で土石流災害が起きた直後には、現場の3D画像を見せ、土地のデータと地図を重ね合わせていきながら、最終的には身近な場所に潜む災害リスクがあることを生徒たちと考えた。

「地理というのものは、地域の課題解決のためにあると思うんです」

これは上田さんの信条だった。

「問題」は教科書の中だけにあるのではない。リアルな災害からの気づきから、命を守る意識や行動につなげて欲しい。そうした思いで、授業に取り組んでいるのだと聞いたとき、私の中で少し光が差したというか、何かが動き始めたような気がした。

「先生になってみたら?」

上田さんと意気投合した私は、取材から戻るなり「授業の様子を定期的に取材したい」とデスクに訴えた。すると、デスクからはやや変化球の答えが返ってきた。

「じゃあ、かける(筆者)も先生になってみたら?

何を言っているんだこの人は。取材の話がなぜそうなる?

デスクは「ずっと悩んでいた『伝えたい人の元に届ける』発信ができるかもしれないよ」と言った。

なんとなく分かったような、分からないような。疑問はイマイチ解決しないままだったが、「やります」と答えてしまった。

さすがに上田さんも急には対応できないだろうと思いながらも話を持ちかけると、「生徒たちにもいい学びの場になると思うので是非やりましょう!」と思いがけず好反応。さっそく授業の準備をして欲しいとのことだった。

かける先生、始めます


そして私の人生初の“先生”体験の当日。

宮崎市から片道2時間半かけて、五ヶ瀬中等教育学校に到着した。すでに日が沈み、真っ暗な山の中に学校の明かりだけが光る景色が広がっている。

今回は全寮制の学校ならではの夜間講座。 “GISで考える防災”というテーマで開講し、中学1年生から高校2年生までの有志9人の生徒が集まった。

ふだん、自分が取材したニュースは、数千、数万の人に向けて発信している。それと比べれば生徒9人は少ないが、私のことをじっと見つめる彼ら。

やばい、カメラの前で解説するときより緊張する…

目の前の生徒たちに何を伝えられるのだろうか。
「伝える」って何なのだろう?

きっと何かそのヒントがある…ような気がする。

こうして半年にわたる授業が幕を開けたのだった。

(続く)

佐藤翔 記者

福島県福島市出身。2015年に入局後、福井局へ。2018年に宮崎局に異動し、現在は防災、スポーツ取材を主に担当。2021年9月に第一子となる長女が誕生し、防災への意識がいっそう高まっています。

佐藤記者はこんな取材をしてきた

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【編集】
「取材ノート」編集部 杉本宙矢


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