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幼いころに通った教室が、12年前のあのことと私をもう一度つないでくれた

「石巻出身なの?震災は大丈夫だった?」
そう聞かれたときの私の決まり文句はこうだ。
「自宅は高台なので無事でした。両親の車が2台とも流されましたけど、たいしたことなかったです」
これでだいたい会話は終わる。それ以上言ってはいけない気がしていたから。

17年ぶりの再会

「NHK仙台放送局でキャスターをしている、佐々木と申します。突然申し訳ありませんが…」

「もしかして成美ちゃん?」

電話をした先から聞こえてきたのは「アトリエ・コパン」という、宮城県の石巻市内で49年も続いている、子ども向けの造形教室の先生の声だった。

画用紙や木版などを使った工作や、水彩画、油絵などもできる教室で、石巻出身の私は幼稚園の年長から小学6年生まで通っていた。

コパンを巣立った生徒は1000人を超える。17年前に教室を卒業して以来、連絡も取っていなかった私のことなんてさすがに覚えていないだろうと思っていたので、すぐに名前を呼ばれて驚いた。

「新妻先生」です

教室を主宰するのは石巻市出身の新妻 健悦にいつま けんえつさん(75)。私たちは「新妻先生」と呼んでいて、穏やかで時々おやじギャグなんかを言って場を和ませてくれた。

当時、私がアトリエ・コパンで作った作品のことや同級生のこと、両親や妹のことまで覚えてくれていて、思い出話に花が咲いた。

日和山から撮影した石巻市内

「忘れない」ではなく「思い出したくない」

コパンを卒業したあと、私は石巻市内の高校に進学した。

12年前の3月11日のあの時は、海岸から3キロほど離れた石巻好文館高校のグラウンドで、ソフトボール部の仲間と練習していた。

突然の立っていられないほどの大きな揺れと、そのあと避難していた校舎の2階から見た津波。

流されていくグローブやバットや鼻の奥をつんとつくようなヘドロのにおいは、12年たつ今も忘れることはできない。

携帯も津波で流されたため、当時の写真はあまりない。変わり果てた故郷。自宅が津波に流されてしまった友人や、家族を亡くした知らせを受けて、周りの目もはばからず泣きじゃくる友人の姿。そして私のもとに届いた恩師の死。

現実とは思えない、度重なるつらい知らせに追いつけなかった。

その後私は大学まで宮城で過ごして、社会人の1年目から5年目までNHKの盛岡放送局でスポーツキャスターを務めた。

さまざまな思いを経て報道の仕事についたから、本来ならもっと震災取材に関わるべきだったのかもしれない。

でも盛岡局ではほとんど震災に触れてこなかった。

毎年3月11日が近づくと、「3.11忘れない」ということばがよく聞かれる。

テレビの報道や、著名人、知人のSNSなどにこの文字があふれる。

でも津波で両親を亡くした知人のSNSでは、この12年間、一度も震災に関する発信を見たことはなかった。

逆に3月11日の当日は、県外や海外で旅行を楽しむ姿がアップされていた。

私にはこの友人にとって3.11=「忘れない」ではなく「思い出したくない」と思えてならなかった。

私は「石巻市出身」でもつらい思いが身近すぎるからこそ、私には何もできることがないと思っていた。

2年前からNHK仙台放送局の夕方のニュース情報番組「てれまさむね」で、リポーターをしている。
今の主な仕事はニュースの取材や中継、リポートの企画・制作だ。県内各地で多くの人に出会い、お話を伺ってきた。そうした取材の中での出会いが、コパンを強く思い出すきっかけになった。

「あ、コパンだ!」


被災地の石巻を盛り上げようと、ユニークな作風の「石巻こけし」を作る職人の林貴俊さんを取材したときのこと。工房に飾られていた油絵に思わず目が留まった。私が幼いころにコパンで描いた絵と似ている!

カラフルで迷いのないタッチで自由に描かれているのが、「まさにコパンだ」と感じた。

「もしかしてコパンに通っていましたか…?」

おそるおそる尋ねるとやっぱりそうだった。林さんとコパンの思い出話が止まらず、その中で新妻先生も年齢を重ねて、教室を終わりにしようか考えているそうだと聞いた。

林さんとこけしと

久しぶりに電話をかけて、新妻先生と思い出話に花が咲き、数日後、コパンを訪ねた。

教室の天井からびっしりとぶら下がった、紙の鳥や飛行機の作品。絵の具やボンドが混ざったにおい。色とりどりの絵の具が点々と染みついた天板。長い空白が一気に埋まったような感覚。 その教室にあのころと変わらずにいるのが新妻先生と、一緒にコパンを主宰してきた妻の悦子さんだった。

2人とも年は重ねても、「この子はこんな絵を描いていたなというのはだいたい覚えている」と話す穏やかな表情は変わらない。

大切にしているのは「子どもたちが自ら考え、想像力を膨らませながら描いたり作ったりすること」だという。

確かに私がコパンに通っていたころ、自由に取り組み、どんどん作品が広がっていく様子にワクワクしてしかたなかった。上手に仕上げようと思ったことは一度もない。
それがまさに新妻先生の教えだったと、大人になって初めて先生の口から聞いた。

当時、わたしが描いた絵です

失敗を恐れて人に合わせたり、決まった完成形に向かって作っていくのではなく、その都度考え、新たに発見していく楽しさを感じながら美術に取り組んでほしい、そして誠実に物事に取り組む人間になってほしいという願いが込められていた。

「そうやってできた作品にはそれぞれの息遣いが込められたものになっていく」と新妻先生は話した。

「再開を待っています」

12年前に起きたことについても、先生はぽつりぽつりと話し始めた。教室にも1メートルの津波が押し寄せ、子どもたちの作品の多くが流された。自宅も大きな被害を受けて、先生はしばらくはふさぎ込み、ぼーっと過ごす日が続いたという。

家族や知人を亡くした子や、自宅が大きな被害を受けた子など、様々な傷を負った子どもたちのことを考えると、教室を再開できずにいた。

そんな中、教室の扉に子供たちからのメッセージが張られていた。

「先生大丈夫ですか?」「コパンの再開を心待ちにしています」

その言葉に背中を押されて、新妻先生は震災から2か月後、教室の再開を決意したそうだ。

先生と話しているとき、教室の隅に飾られたある絵が私の目に飛び込んできた。CDケースと同じくらいの正方形の紙に、鉛筆で描かれた新妻先生の似顔絵だ。

大きな耳や優しく微笑む目が、忠実に表現されていた。一緒に書かれていたのは「みつま先生!2011年よろしく」ということば。「美咲ちゃんには〝にいつま〟ではなく〝みつま〟と聞こえていたみたい」と、新妻先生は静かに話した。

その絵は震災当時8歳で大川小学校に通っていた狩野美咲さんが、新妻先生にプレゼントしたものだった。

美咲さんと兄の達也さん(当時11歳)は、多くの児童や教員とともに、津波の犠牲になった。

震災後、新妻先生が狩野さんの自宅を訪ねた際、仏間や廊下にコパンの作品が、まるで小さな美術館のように飾ってあったという。

「何回見ても飽きない、私にとって宝物」

その数日後、狩野美咲さんと兄の達也さんの母の、正子さんに電話をかけた。

突然の電話にもかかわらず正子さんは、「コパンは子どもたちが楽しみで通っていた場所で、先生にも大変お世話になりました。私でよければコパンについてお話させてください」と言ってくださった。

自宅を訪ねると仏間には、2人の笑顔の写真と一緒に、コパンの作品が並んでいた。子ども部屋には2人の勉強机が背中合わせに並び、美咲さんが見つかったときに着ていたピンクのジャンパーも丁寧に置いてあった。

美咲さんと達也さん

ポケットや破れた布の間からはまだ砂が出てくる。その部屋に大切に保管されていたのがコパンの作品だった。正子さんは今も毎日部屋に来て、作品を手に取って、まるでその作品と会話をするように眺めたり触ってみたりしていると話した。

「自分たちの感性で描いた作品は子どもたちらしさにあふれているので見ていて面白い。何回見ても飽きない。私にとっては宝物」と明るく笑顔で話しながらも、終始その目は涙で潤んでいた。達也さんと美咲さんの存在を、アトリエ・コパンの作品が語り続けていた。

うまいもので表すのでなく、どう自分で表すか。

震災の発生から12年、自分が幼いころに通っていた習い事の教室が縁となって、地元、石巻の人々の思いに触れた経緯を、2月にキャスターリポートとして放送した。

その中の、コパンの新妻先生の言葉。
「震災を受けて造形が持っている力は何だろうかと見直す機会になった。完成度の高いもの、うまいもので表すのでなく、どう自分で表すか。そういうことを大事にしてほしい、そういう人になってほしい」

今もコパンにはあのころと変わらず作品に黙々と向かい、のびのびと自由に創作をする子どもたちの姿があった。

様々な縁で出会い、私にまっすぐ話をしてくれた人たちの思いを大切に、そして「知りたい、伝えたい」と湧き出す思いに素直に、誠実に相手と向き合い、試行錯誤を続けていく。

コパンの新妻先生に教えてもらったことを胸に、これからも地元で自分だからこそできる取材をしていきたいと思う。

NHK仙台放送局キャスター 佐々木 成美

座右の銘は「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」 津波の犠牲になった恩師が教えてくれた言葉です。
2016年からNHK盛岡局でスポーツキャスターを担当した後、2021年からNHK仙台放送局キャスターに。「てれまさむね」リポーターを務めています。

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