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エベレスト山頂でカメラに映っていたのは・・・「これで帰れる」私が世界のてっぺんで泣いた理由

「前回曇っていたんで・・・何も見えなかったので・・・ハァハァ・・・今回は本当・・・360度見られて・・・ハァ・・・本当にうれしいです・・・ハァハァ。本当に良かったです・・・ハァハァ・・・本当にきれいです・・・ハァハァハァハァ・・・」

2011年5月25日午前9時30分。
私は世界のてっぺんで泣いていました。

世界最高峰のエベレスト。山頂は8848m。
番組の取材のため、2か月近くかけて登ってきました。

取材班のメンバーは誰一人欠けることなく登頂。天気は快晴。山頂から360度の大パノラマの撮影にも成功しました。

「これで帰れる」

撮影できた喜びとともに、まず頭に浮かんだのはこの言葉でした。

そして、やっと映像で伝えることができました。この息づかいを。

▽当時の山頂での動画はこちらから▽

実は2回目 エベレスト登頂

実は私、エベレストに登るのはこれが2回目でした。

最初のエベレスト登山は2003年に大学山岳部の遠征隊の隊員として参加。
幸運にもエベレストの頂上に立つことができ、20歳だった私は当時、日本人のエベレスト登頂の最年少記録となりました。

2003年エベレスト登頂 手前の旗を持っているのが私

高校の時に山岳部に入部し、山の世界に足を踏み入れました。当時の顧問の影響で気づくとズブズブと、山の世界の魅力にとりつかれていきます。

いつの間にか先生のようにヒマラヤの高峰に登ることが、私の夢になっていました。本を読みあさり、高校の部活だけでは飽き足らずに地元の社会人山岳会の門を叩き、冬山登山にも参加。

寝ても覚めても考えるのは山のこと。

当然、大学選びの基準も山でした。ヒマラヤの高峰に数々の遠征隊を出している東京農業大学の山岳部に入りました。

そして入部して2年後の2003年。

OBを中心としたエベレスト登山隊が結成され、私も学生隊員として参加することになりました。とはいえ当時の私は山の経験も足りない、ひょろひょろとしたただの学生です。

一方、登山隊のメンバーは8000m以上の高峰に何度も登ったことのある屈強な登山家ばかりで、まさに先輩達におんぶに抱っこでした。

初のエベレスト 山頂で見た景色は・・・

何も分からずに登った初めてのエベレストは、一言で言うと地獄でした。

高山病や体力不足、そして経験不足。先輩達について行くだけで必死です。

2003年 エベレスト登頂時

精神的な弱さもあり、食事はまともに喉を通らず、やっと食べても吐いてしまう。苦しくて脚が前に出ない。逃げだしたい。そんな状態で頂上を目指しました。

初めてのエベレスト山頂へのアタック。

極度の疲労と高山病のせいで、私の記憶はほとんど欠落しています。最終キャンプから頂上までは、約10時間の道のりでした。

エベレストの頂上には早朝に登頂する必要があるため、最終キャンプを出発するのは夜中です。暗闇の中、頼りはライトの明かりだけ。仲間たちとはバラバラになり、一人でただひたすら上へ上へ登ります。

どこをどう登ったかなんて、全く覚えていません。

しかも山頂の天候は嵐。一面、雲に包まれ、強風が吹き荒れていました。

頂上の景色を見るどころではありません。

遭難するおそれまであり、滞在したのは15分足らず。写真も数えるほどしか撮っていません。私も含め多くの仲間が凍傷になりながら、必死に下山しました。

あの“息づかい”を伝えたい


コテンパンに打ちのめされて終わった初めてのエベレストですが、忘れられない光景もありました。

山頂に続く最後の稜線、「ヒラリーステップ」と呼ばれる岩場です。

2003年 ヒラリーステップ

頂上へ繋がる白い道、そして青空より濃い群青色の空。まさに夢にまで見た世界のてっぺんに続く道でした。

「ハァ、ハァ、ハァ」

聞こえてくるのは、酸素マスクを通した自分の息づかいと風の音だけ。時が止まったように、その美しい光景は強烈に記憶に残っています。

帰国した後も、何度もあの白い稜線が目に浮かびました。

まるで宇宙の様な群青色の空、真っ白に伸びる稜線、そしてそこに人間がいる。

「どうしてもこの世界を映像で伝えたい」

「そして、“息づかい”を伝えたい」

ヒマラヤ登山で最も苦しいのは、呼吸です。一般的に標高8000m以上の山では酸素が平地の3分の1と言われています。酸素が薄いと言われてもピンとこないかもしれませんが、猛烈に苦しいです。

例えば水筒の水を飲むために息を止めるだけで息切れ。歩くのはもちろん、体をかがめるだけでも息切れ。常に100mダッシュした後の様な「ハァハァ」という荒い呼吸になってしまいます。

でもこの息切れは人間の生きている音。苦しみながらも上を目指す努力の音です。

音は、写真からは出てきません。

私はエベレストの稜線の壮大な景色はもちろんですが、そこで戦っている人間、挑んでいる人間の息づかいを映像を通して表現したいと思い、映像カメラマンを目指しました。

きっかけはクライマーズ・ハイ

「エベレストの最高の映像を撮りたい」

こう言い切ってNHKに入局した私は、今は山岳班というチームに所属しています。

しかし本業はニュースカメラマンです。NHKには「映像センター」と呼ばれる報道やドキュメンタリーの撮影を行うカメラマンの部署があり、普段は記者会見や国会の取材、事件・事故などの撮影を行っています。

山岳班には大学時代から山岳部として登山をしてきた人や、入局してから登山を始めた人など、山や自然に興味のある人たちが所属しています。日々の業務の合間をぬって年2回の研修に参加したり、プライベートで登山したりして腕を磨いています。

雪山訓練中のNHK山岳班

NHKに山岳班ができたのは1985年。きっかけは群馬県御巣鷹山で起きた日航ジャンボ機の墜落事故でした。当時は山中の現場を目指して多くのメディアの記者やカメラマンが山に登り、無事現場にたどり着いた人もいれば、遭難する人もいました。

そこで山岳地帯で安全に取材を行うため、登山の訓練を受けたカメラマンチームを作ることになったのです。

これまで2010年の埼玉県のぶどう沢で防災ヘリが墜落した事故や、御嶽山の噴火などの現場で映像取材にあたりました。

海外の災害現場も山岳班の出番です。

2015年 ネパール大地震

私も取材に行ったネパールの大地震などインフラの整っていない災害現場では、テントを張ったり自炊したりする必要があり、そこで登山の技術が活かされました。

どんな取材現場でも自分の身を自分で守ることができる。それが山岳班のスキルです。


常に先回り。山岳取材はカメラマン次第。

と、かっこいいことを言いましたが山岳カメラマンの世界、足を踏み入れると思いのほか、いやとんでもなく大変でした。

皆さんは山の撮影と聞いて、どんなことが思い浮かびますか?

美しい山々の景色。
ガイドさんや芸能人が楽しそうに、ときおり苦しそうに登っている姿。
登頂の瞬間。
アクシデントや落石、雪崩などの危機一髪の映像。
感動の涙。

テレビの前で当たり前のように見ることができるこれらの映像、実際に撮れるかどうかは全てカメラマンの頑張り次第です。

例えば朝日に照らされて真っ赤に染まる山々。

太陽が昇る瞬間を撮影するためには、疲れている体にムチ打ち、早起きしなければなりません。

夏ならば3時、4時には起きて出発。事前に下見していた景色の見えるポイントまで登り、後はひたすら夜が明けるのを待ちます。

実はこの夜明け前は最も寒くなる瞬間です。眠い目をこすり強烈な寒さに耐えながら、その瞬間を待ちます。運良く撮れれば最高。でも天気が悪ければそれでおしまい。明日また出直しです。

そして日の出の撮影が終わると次は、出演者の出発シーン。また先回りが必要です。誰よりも早く準備を整えてテントの前で待ち、取材相手が出てくるところを撮影しなくてはなりません。

山を登っている最中も、取材相手は私たちカメラマンを待っていてはくれません。

「ハイ、もう一回登って下さい」なんて訳にはいかないので、先回り。

休憩しているときもその様子を撮影し、休憩が終わる前に先に出発して、また先回り。テントについたら食事を作る様子や食べる様子を撮影。夕ご飯が終わって間に合えば、最後に夕焼けを狙います。

そう。山の取材って、ずっと休みなく撮影しなければならないんです。

ちなみに雪崩だって、たまたま撮影できるわけではありません。いつ雪崩が起きるかわからないから、ずっとカメラは手元に置いておく。休養日などもカメラを雪崩が起きそうな斜面に向けて、ただひたすら待つ。

雪崩は「ゴゴー」っと地響きのような音がなるイメージですが、実際には遠いため音はしません。突然、白煙が起こり、ものの数秒で落ちてしまいます。雪崩までも先回りしないと撮れないのです。

皆さんも山の番組を見る時に、撮影しているカメラマンにも思いをはせて楽しんでいただけるとうれしいです。

再びのエベレスト カメラマンは4人で

再びエベレストに挑戦する機会は、意外と早くやってきました。

2010年から2013年にかけての「世界の名峰 グレートサミッツ」と呼ばれる番組です。ヨーロッパのモンブランや南米のアコンガグアなど、世界の名だたる山々が撮影されていく中、これだけは外せないという山がありました。

そうエベレストです。

どうすればエベレストを確実に撮影できるのか。山頂を目指すため、山岳班からは3人のカメラマンが参加することになりました。一回登ったことがある私も、NHKに入局して6年目で大きなチャンスをもらいました。

他のカメラマンはいずれもNHKの山岳ドキュメンタリー番組を数々こなしてきた大先輩。ちなみに担当ディレクターも8000mを超える高峰の山の登頂経験者。

「えっ、なぜNHKの職員にそんなに山の経験者がいるの」

そう思いますよね。私なりに、登山経験者がNHKを目指すのは2つ理由があると思っています。

1つは、大学山岳部の人間はよく山の番組の時に荷物運び(歩荷)のアルバイトをして、間近でNHKの山岳取材をみることが多いから。

2つ目は、テレビで山の番組といえばNHKというイメージがあるからです。

私が高校生の時に山の書籍を読みあさっていたときは、毎日テレビで山の番組を放送しないか、テレビ欄とにらめっこしていました。今ではインターネットで気軽に自分の好きな動画を見ることができますが、当時は違います。

山の映像を見る機会は少なく、それこそ年に何回か放送される番組を見ることだけが唯一のチャンスでした。その中でNHKが当時のBS第2放送でフランスの登山家のガストン・レビュファの山岳映画を放送していたり、NHKスペシャルでガッシャーブルムⅡという、8000mを超えるヒマラヤの高峰のドキュメンタリーを放送していたことを今でも覚えています。

高校生の私は、普通は見ることの出来ないヒマラヤの高峰の映像をNHKの番組で見ることで、自分の夢を膨らませていきました。

さて話をエベレストにもどします。

エベレストの取材にそれだけのエキスパートが集められたのには理由があります。

当たり前ですが、誰でも登れる山ではないということです。

エベレストへの道

2011年の時点でエベレストに登ったことのある日本人は140人ほどでした。エベレストが初めて登頂されてから50年以上経っても、そこまで多くはありません。加えて当時、死亡率は3%ほどと言われていました。

超高所の登山は、高山病との闘いです。しかし高山病には強い人と弱い人がいます。弱ければ自分の力を全く出せず、運が悪ければ朝起きたら亡くなっていたなんてこともあります。そして高度に強いか弱いかは、高い場所に行かなければ分かりません。めちゃくちゃ体力がある人が、高所では力を発揮できなかったなんてことはざらにあります。

そのため経験者を中心としたメンバーになりました。カメラマンが3人も必要なのは「どんどん潰れていっても、だれか一人でも登れれば」というのが本音です。

エベレストは危険で苦しく命がけ

そして始まった2度目のエベレスト登山。多くの時間と予算をかけた大プロジェクトですが、成功するかどうかは分かりません。危険や不安要素はそこら中にあります。

アイスフォールと呼ばれる氷河の末端では、いつ巨大な氷の塊が崩れるか分かりません。もし自分が登っている間に崩れたら一巻の終わりです。

氷河が崩れたときの雪崩は、雪の雪崩とは全く違います。氷の塊は大きいものでは自動車ほどの大きさになり、小さい塊でもこぶし大の大きさです。小さな塊でも頭に直撃すれば、大けがではすみません。

でもそんな大きな事故はめったに起きません。エベレストで何が大変かと問われれば、やっぱり「呼吸が苦しいこと」。そして「体調管理」とすぐ答えます。

呼吸に関しては本当に苦しいです。今この文章を書いていても、その苦しさをはっきりと覚えています。

登山の起点になる標高5300mのベースキャンプでも、ちょっと息を止めるだけで息切れします。

夜中に寝苦しくなると、このまま窒息してしまうのではないかとパニックになりそうな時もあります。水を飲む時に一瞬息を止めますが、それだけで苦しいです。

ちなみにエベレストなど高所登山中はアルコールは一滴も飲みません。これはアルコールを飲むと寝ている時の呼吸が浅くなって、高山病を悪化させるからです。下手をするとそのまま朝、目覚めないなんてこともあるかもしれません。

また私は体調管理も大事だと思っています。

エベレスト登山中に風邪をひいたら、なかなか治りません。当然、病院もありません。風邪をひいて寝込んでも、その間も登山の計画は進みますので、どんどんみんなから遅れてしまいます。自分が登るために体調を崩さないよう、誰もが細心の注意を払います。

私もやはり自分のルールを持っています。

心身共にリラックスできるはずのベースキャンプでも、夜はマイナス10度近くまで冷え、日中は太陽の照り返しで汗ばむほど暑くなります。その中で何ヶ月も暮らすため、ひとときも油断はできません。

寒くなったらすぐに服を着る、暑くなれば脱ぐ。高山病にならないため、水を飲む、深呼吸をずっと続ける。自分の体と向き合う日々。まるで修行僧のようにその時を待ちます。

実際、命を落とす人もいます。

実は私達が登山していた時に、日本の有名な登山家が標高8500m付近で亡くなりました。私達が頂上に向かう、2週間前の出来事でした。

原因は頂上の天候が急変したことによる、低体温症とみられています。

エベレストは一つ間違えればベテランでさえ亡くなることがあります。標高6000mのキャンプ2でご遺体と対面した時、手を合わせて祈りながら、安全な登山の成功を固く心に誓いました。

再び山頂を目指して・・・

5月24日午後10時。
どこまでも続く真っ黒闇の中、山頂に向けたアタックが始まりました。

山頂までは10時間以上。天候の安定しやすい午前中の登頂を目指し、夜中の出発です。

2度目のエベレストもまた、つらく苦しい登山でした。
「天気が悪くて景色が撮影できなかったら」という不安。
「体力がつきて登れなかったら」という重圧。

思えばエベレストの番組のカメラマンに選ばれてから、ずっと不安がつきまとっていました。

自分はそこに立てるのだろうか。

「もうすぐ・・・
 ハァハァ・・・
 世界最高の頂です・・・
 ハァハァ・・・
 長かった・・・」

映像には出演者からも、撮影する側からも漏れる、激しい呼吸の音が記録されています。

2011年5月25日午前9時半。

アタック開始から10時間40分。

再びエベレスト山頂に到達しました。

エベレスト山頂

前回は見ることが出来なかった頂上からの景色も、きれいに見えます。無事にハイビジョンカメラで撮影することもできました。

エベレスト山頂にて

「これでようやく帰れる」

気づくと目から涙があふれ出ていました。

頂上からの景色を見ることができるのか。そこに自分がいるのか。見えないプレッシャーと戦い続けた日々。

世界最高峰に挑む人間の息づかいを映像で伝えたい。NHKに入局した理由を、ついに達成した瞬間でした。

エベレスト山頂にて 左側が私

下山中の忘れられない光景

まだ最も危険な下山の行程を残しているのに、後はどうでもいいやと思ったものです。

しかしエベレストは頂上からの帰りが最も大変です。疲労もピークに達する中、命の危険はこの下山中がもっとも高いのです。

日が昇り天気が不安定になる中、10時間かけて登った道を今度は8時間近くかけて下山。8000mの高さにある最後のキャンプに着いても、さらに安全地帯のベースキャンプまでは、まだ2夜を山の中で過ごさなければなりません。

「下山の様子を見たかった」という視聴者の方の感想も寄せられましたが、一秒でも早く標高を下げなければならないため、なかなか撮影する余裕はありませんでした。

しかし本当に皆さんに見てもらいたい、とても印象的なシーンがあったんです。

ベースキャンプにいちばん最初に到着した私はすぐにカメラを準備し、降りてくる仲間を迎えうちました。一人、二人と帰ってくる中、この番組の企画から準備し、そして登頂まで果たしたディレクターが到着したので、最後のインタビューをした時のこと。

「無事に降りてきましたね。どうですか今の気持ちは」

すると厳しく我々を引っ張ってきたディレクターが、カメラの前で号泣しました。

大の大人が、カメラの前で泣いたんです。

登山隊全員で

私は撮影を終えて自分の仕事が終わりましたが、ディレクターはみんなが無事に下山して初めて仕事が終わったのだと、胸が熱くなりました。

映像は記録じゃなくて記憶

テレビでよく見かける山岳番組は、面白おかしく作るときもあれば、骨太のドキュメンタリーもあります。花や樹木、動物を紹介する番組など、その種類は多岐にわたります。フィールドが普通と違うからこそ、その裏では皆それぞれが自分たちの思いや責任を持って番組作りに当たっています。

「映像は記録じゃない、人々の記憶になる」

先輩カメラマンがよく話していた一番好きな言葉で、誇りでもあります。

憧れのヒラリーステップを撮影

私が撮影したエベレストの映像も、一度見ていただければそれは皆さんの記憶に残ります。そして自分の見てきたことのように、友達と話す話題の一つに上るかもしれません。

「エベレストってきれいだよね、一度見てみたいな」
「高い山ってほんとに酸素が薄いみたいだよ、前に見たテレビでめっちゃ苦しそうだったもん」

そしてテレビの良いところは、チャンネルを回していたら何気なく映像が目に入ってくるところです。もしかしたら何気なくテレビで見た映像が、どこかの夢見る少年の心に焼き付いて、その人生を変えるかもしれません。

だからどんなに辛くても世界にまだ見ぬ世界があるならば、まだまだ撮影して伝えたいと思っています。

エベレスト山頂で撮影されたこの映像、ゴーグルをよく見てください。

ゴーグルに…

撮影しているカメラマンの姿が映っているのが分かりますか。

「山の番組って、一緒に登って撮影しているカメラマンが一番すごいよね」

そう思って山の番組を見てもらえると、これからもきっと頑張れる気がします。

エベレストにて 家族写真と一緒に

山村武史 広島放送局
2005年入局。山形・金沢・東京・パリと山岳取材や海外取材を専門に撮影してきました。最も辛かった取材は、ミャンマーのジャングルの奥深くにそびえる幻の山の取材です。容赦なく襲いかかる虫や飢えは忘れられません。
少なからず危険が伴う仕事で、常に胸ポケットに入れているのが家族の写真とお守りや手紙。帰国したらみんなでどこに遊びに行こうかとか、そんなことばかり考えています。


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