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誰よりも近い場所で選手の息づかいを伝えたい 42.195kmにかけるカメラマンの思い

2023年10月15日に行われた「マラソングランドチャンピオンシップ2023」(通称MGC)。皆さんはご覧になりましたか?

MGCとは、2024年のパリ五輪出場選手を決めるマラソンレースのこと。
NHKは、女子のレース中継を担当しました。

朝から冷たい雨が降りしきる厳しいコンディションのなか、一発勝負のレースに挑む選手たち。
そんなランナーたちの熱戦を誰よりも近くで見ていたのが、私でした。

カメラを手に「トライク」と呼ばれる3輪のバイクに乗車し、42.195kmの道のりをランナーたちとともに走る。どんな思いを持って撮影したのか、そして中継の仕組みとは?

今回は、あの日の試合展開も振り返りながら、「マラソンを撮る」ということについてお伝えできればと思います。

3輪のバイクに乗車する筆者
トライクに乗る筆者

皆さん、こんにちは! 冨岡拓己たくみと申します。
2018年に入局し、最初は松山放送局に配属。VE(ビデオエンジニア)、音声をそれぞれ約半年ほど学び、2年目の秋ごろから撮影をメインで担当するようになりました。
2020年からは東京で勤務。緊急報道の仕事をした後、かねてからの希望であった撮影グループへ異動しました。
現在は、スポーツ中継を中心に、情報番組や4K8K中継といった幅広い分野の撮影を担当しています。

42.195kmを途切れることなく撮影するロードレース中継

MGCのようなマラソンや年末年始などに行われる駅伝を、私たちは「ロードレース中継」と呼んでいます。

42.195kmという長いロードで行われる白熱のレースを、途切れることなく存分にお伝えするのに必要な撮影チームは、大きく分けて3つあります。

 ・移動車(1号車・2号車) ― 先頭集団や第2集団を撮影
カメラリポートバイク - 遊撃隊として自由に移動しアナウンサーがリポート
トライクカメラ - 選手により近いところでフォームや表情など、躍動感ある映像をねらう

まずは「移動車」
NHKの移動車は2台あり、それぞれ先頭集団や第2集団を車体後方に設置した2台のカメラで撮影します。

カメラを積んだ2台の移動車
移動車(赤丸はカメラ)

次に、「カメラリポートバイク」
その名の通りカメラマンが乗車するバイクと、リポーターが乗るバイクのことです。
カメラの映像に合わせたリポートを届けるため、この2台は常にセットで行動し、遊撃隊として自由に移動してさまざまな選手をとらえます。

カメラバイク
カメラバイク
リポートバイク
リポートバイク

最後に「トライクカメラ」です。
バイク運転手(ライダー)の後ろにカメラマンが乗り、撮影します。
移動車でランナーへ近づくのには限界があるため、よりランナーに近いところでフォームや躍動感ある映像をねらう役割を担っています。

今回、私が担当したのが、このトライクカメラ。
実は移動撮影特有の難しさがあります。
それは、ライダーと常にコミュニケーションをとりながら撮影すること。
ランナーを撮影するために、どのポジションから撮るか。前からか、横からか、後ろからか。自分がねらいたいカットを実現するために、ライダーとの以心伝心が大事になります。

さらに、移動車ともやりとりをしなければなりません。
どういった映像設計で撮るか、次は何をねらうかなど、指示が飛んできたり、逆にトライクカメラから選手の動きなどを伝えたりすることもあります。

加えて、アナウンサーの実況や解説を聞くことも重要です。
いま、何の話をしているかを聞き、コメントに合った映像をねらう必要があるからです。
聖徳太子になったかのような気分で、色々な声を聞きながら、カメラを操作しています。

中継で使う車両
中継で使う車両

今回のMGCには、このほかに、スタート/フィニッシュの会場である国立競技場にもクルーがいます。さらにコースの折り返し地点には、有人カメラが4台、定点カメラが2台、遊軍カメラが1台配置されています。また、ヘリコプターからも撮影しています。

レースを多角的に、より魅力的に見せるために多くのカメラを活用しているのです。

そして、それら全てを統括するのが「スイッチングセンター」。
総員200名ほどのスタッフで、パリ五輪出場がかかる注目のレースを中継しました。

ロードレース中継の系統図
スイッチングセンターの統括の下、レースを魅力的に見せるために多くのカメラを活用

ロードレース中継でとても大切なのが「電波でつなぐ」ことです。
スマートフォンが普及した現代では当たり前に感じるかもしれませんが、これがなかなか大変。
例えば、”人混みのなかで、スマートフォンの電波がつながりにくい”といった経験はありませんか?
これが放送中に起こったらどうなるか…。

そのため、私たちは、コースの各ポイントに電波受信基地を設け、放送専用の電波を使うことで、エリアの広いコースを途切れることなく電波がつながるよう設計しています。
放送の1週間前から実際のコースを車で走り、電波状況が問題ないかテストを行ったうえで、当日、放送を届けているのです。

選手に肉薄するがゆえ…“揺れ”との闘い

ロードレース中継におけるトライクカメラの面白さは、なんといっても「競技中の選手との近さ」。ほかのどのスポーツを見ても、ここまで選手の近くでずっと追いかける競技は無いと思います。
選手の走りに影響が出ないよう、安全面に細心の注意を払った距離ではありますが、選手の表情や息遣い、駆け引きなどをもっとも感じられるポジションです。

私がロードレースのトライクカメラを担当したのは、今回が2回目。
初めてトライクカメラに乗って撮影したのは、2023年2月に開催された「大阪マラソン」でした。
放送中は無我夢中で白熱のレースを撮影しましたが、後に録画を見直してみると、反省点が…。

それは、映像の“揺れ”でした。
選手の表情をアップで撮れば撮るほど揺れの影響が大きくなってしまい、せっかく選手の一番近くで撮れるのに、揺れのせいで焦点が定まらず、いまひとつ没入感に欠ける…。

スポーツカメラマンとして、視聴者に選手の息づかいをリアルに感じてもらうことは大きな使命です。加えて、今回のMGCは、五輪がかかる大事なレース。
選手に一番近い特等席で撮影しているのですから、

「もっとレースにのめりこむような没入感と迫力のある映像を届けたい!」
「重要なレースをより魅力的に伝えたい!」

との思いがわき、大阪マラソンが終わった直後から次のMGCを見据えて準備を始めました。

そんなある日、SNSを見ていると、映画やドラマの撮影スタイルを載せている動画を発見。そこで紹介されていたのが、手振れ補正機能を搭載した“3軸スタビライザー”(防振カメラ装置)でした。

ざっくり言うと、モーターで縦・横・回転の3軸の揺れを補正することで、手持ちよりも圧倒的な安定感を実現できる機材です。
高速で走る車をブレることなくカッコよく撮っていたり、小走りで撮影していても全く揺れを感じさせなかったりと、安定感抜群です。
映像を見ながら「これだ!」と思いました。

3軸スタビライザー付きのカメラは、従来のカメラよりもサイズがかなり大きいため、バイクでは厳しいですが、スペースに余裕のあるトライクなら搭載できるかもしれない。これが実現すれば、さながら映画のような、揺れが気にならないとても魅力的な映像が撮れるはず!
さっそく上司に提案し、挑戦することになりました。

防振カメラ装置をつけたカメラ
3軸スタビライザー(防振カメラ装置)

スポーツ中継では、ズームを多用するため、映画やドラマの撮影で使うレンズに比べて大型のレンズを使用します。
この大きなレンズを3軸スタビライザーで扱うには、全体のバランスをとることがとても重要です。
レンズの重量で重心が前になると、撮影中にカメラが大きく傾いてしまうおそれもあります。
そこで、カメラの後方に重りを付けることで、バランスを保てるようにしました。

最終的な機材の重量はなんと約20kg!
一見重すぎて「持てる?」と不安に思うかもしれませんが、大丈夫。
この重量に合わせたサポート機材も手配し、なんとか準備完了しました。

事前にテスト走行も実施し、あとは10月15日の本番を待つのみです。

カメラの後ろにはおもりを装着してバランスをとる
カメラの後ろには、車体のバランスをとるため重りを装着

本番当日!まさかのアクシデント

迎えた本番当日。
早朝の午前3時半に集合です。

あいにくの大雨でしたが、そこも抜かりはありません。
実は、レンズの水滴をはじく特殊なフィルターを準備していたのです。
大雨のなかではふだんのレンズのままだと、水滴を拭いても、拭いたそばからすぐれてしまいますし、拭くことで水滴が広がり、さらに見づらくなってしまう可能性があります。
この特殊フィルターがあれば、大雨も心配ありません。

機材の最終調整や電波チェックなど、オンエアに向けて着々と準備が進みます。

午前6時45分、スタートの会場である国立競技場近くで最終スタンバイ。
7時15分、大会関係者や各ドライバーとの最終打合せ。
7時45分の放送開始を待ちます。

あとは国立競技場から出てくる選手たちを待つのみ!
と、ドキドキしながら待ち構えていると、

…あれ?
トライクカメラの映像が映らない!

なんと、トライクカメラの映像が何らかの原因で切断される事態に!

選手たちがスタートして国立競技場から出てくるまで時間がありません。

深呼吸して冷静に考え、まずはカメラを確認。電源はちゃんと入っており、問題なさそう。
ということは、映像を送っているケーブルが原因か??

有事に備え、トライクで使用している全ケーブルの予備を持っていたので、とにかく急いで予備ケーブルに替えることにしました。

しかし、ケーブルを入れ替えるには、精密機器が入ったボックスを開ける必要があります。
そんなことをしたら、機材を雨にさらすことに…。
水にれたら別の機材が壊れてしまうかもしれません。

トライクのシートの下に積んだたくさんの機材
トライクのシートの下には、たくさんの機材

すると、事態に気づいた移動車のカメラマン2名がすぐに飛び出してきてくれました。

一人はバイクカメラ経験のある先輩。
もう一人は前回大会でトライクカメラを担当した先輩でした。

先輩方とライダーの方にも手伝ってもらい、機材が濡れないようビニールで雨避けをしながらトライクのシートを開け、ケーブルを交換。

すると…

映像が復旧!

事なきを得て、急いで待機ポジションへ。
国立競技場から選手たちが出て来るわずか10分前の出来事でした。

ギリギリでしたが、予備のケーブルを用意していたこと、メンバー全員で対応したことで素早く復旧させることができ、改めて「有事に備えること」の大切さを痛感しました。

大雨のなかでケーブルを交換した
大雨のなか、機材が濡れないようケーブルを交換

「天国と地獄」を映し出す

アクシデントを乗り越え、いよいよレーススタート。
国立競技場から出てくる選手たちを3軸スタビライザーでとらえます。

MGCの最大の特徴は、スタート直後から最後まで目が離せないレースになることです。

前回、私が担当した大阪マラソンとの大きな違いは、ペースメーカーの有無
大阪マラソンでは、大会主催者が指定したタイムで走るペースメーカーが30kmまで先頭にいます。ペースメーカーが一定のペースでレースを引っ張ることで好タイムが出やすいとされていて、ペースメーカーが離脱する30kmからが選手たちの駆け引きが始まることが多いのです。

一方、MGCは、順位で五輪出場を決めるレースのため、ペースメーカーがいません。そのため、レース序盤から選手たちが仕掛けてくる可能性があり、最初から目が離せないレース展開になるわけです。

 このレース、序盤をけん引したのは、前回MGC覇者の前田穂南選手。
団子状態となった先頭集団が、東京の街を駆け抜けます。

最初の1kmのペースは3分17秒と順調な滑り出し。

1.5kmで集団が2つのグループに分かれました。

9kmを過ぎたころ、先頭集団から1名が脱落。

以降、前田穂南選手を先頭に14名が隊列をほぼ変えることなく進みます。

雨が依然として激しく降る中、私は「誰がいつ仕掛けてくるのか?」と一瞬も緊張を緩めることなく、ファインダーを見つめ続けました。

実際にマラソン中継を撮影する筆者
赤丸がトライクカメラで撮影する筆者

白熱のレース模様を存分に伝えるために、特に意識していたのは選手の「表情」と「フォーム」をどれだけ揺れを少なく、かつ多彩に見せるかということです。

選手たちはパリ五輪出場内定が決まるこの日のために、厳しい練習を積み重ねてきたはず。
誰よりも近くで撮影しているからこそ、表情やフォームをしっかり見せたいと思い、カメラを向けました。

先頭集団のデッドヒート

23.5km過ぎ、一山麻緒選手が前に出ました。
細田あい選手もついていき、3位集団との差を広げます。

今レースを引っ張っているのは誰か?
誰が飛び出たか?

スタッフ全員、常にレース展開にアンテナを張り巡らせています。
一番近くの私が「○○選手、前出たよ!」など情報を伝える場面もよくありました。移動車からは分かりづらいことも、選手に近いトライクカメラからだと分かるのです。

レースも終盤の37km付近、大きな動きがありました。
3位集団から鈴木優花選手が飛び出して、みるみる順位を上げ、一気に2位に。
デッドヒートを撮影しながら、私は、あることを思い出していました。

―――それは私が高校生だったころ。

当時、私は野球部に所属し、「甲子園に選手として立つ」という目標を達成するため、日々つらい練習に励んでいました。

2年生の秋、春の甲子園出場校を選考するうえで大事なブロック大会があり、私は背番号19番で悲願のベンチ入りを果たしました。
その後、チームは優勝し、甲子園出場が決定。
あこがれの甲子園への切符を手に入れました。

しかし、迎えた甲子園のメンバー発表の日。
そこに、私の名前はありませんでした。

当時の甲子園は、ベンチ入りできる人数が18名。
背番号19だった私は、あこがれだった甲子園という舞台に選手として立つ夢を、あと一歩のところで叶えることが出来なかったのです。

チームは順当に勝ち進み、結果はベスト4。
あこがれの舞台で勝ち進むチームメイトの姿を、うれしくも悔しい気持ちでスタンドから見ていました。
きっと、複雑な表情をしていたと思います ―――

MGCで五輪出場の内定を得られるのは、上位2名。
2位と3位には、天と地ほどの差があります。

その差の大きさを知っている私だからこそ、順位が左右されるかもしれないこの瞬間を、選手の気持ちまで撮影したいと思いました。

一山選手との差を着々と縮める鈴木選手。

一度は先頭集団から離れていた鈴木選手が、1位を射程圏内にとらえるレース展開に興奮しました。

すぐさま私は「一山選手から離れ、鈴木選手を撮りにいく」と、ライダーに伝えました。

力強く見事な走りを披露する鈴木選手を撮影しながら「これは1位を抜きそうだ」と予感。

抜く・抜かれるという順位が入れ替わる瞬間は、絶対に逃すわけにいかない。

「自分が絶対に撮りきるんだ!」と興奮しながら、一方でカメラマンとして冷静にレースを見ていました。
ライダーにも自分の思いを伝え、2人の争いに集中します。

38km地点、ついにその時が訪れます。
私は、この大事な局面を逃すまいと、順位が入れ替わるその瞬間を選手の横から狙いました。
並ばれたとき「え!?」と横を確認した一山選手と、追いついても表情ひとつ変えず、自らを信じて抜き去る鈴木選手が非常に印象的で、カメラ越しに目が釘付けになりました。

1位と2位が入れ代わる瞬間
1位と2位が入れ代わる瞬間

この瞬間、私は選手の気持ちをどう表現するかと同時に、レースをしっかり見せるにはどう撮るのが適切か考え、2人の全身が見えるサイズで撮りました。

抜いた選手と抜かれた選手のそれぞれの表情、フォームの違い、順位が入れ代わる無常さ…。

その場で起こった状況とカメラマンである私の思いが、この1枚のの中に込められています。

この一瞬を撮るために、決して逃さないために、レース中で最も集中した場面でした。

この思いが、少しでも視聴者の皆様に伝わっていれば、カメラマン冥利みょうりに尽きます。

国立競技場に入ってからも2位争いはデッドヒート。
2位の一山選手をじわじわ追い上げる細田選手。
結局追いつくことは出来ませんでしたが、喜びの涙を見せる一山選手と、あと一歩追いつけなかった細田選手の涙。
それぞれの明暗が分かれたシーンでした。

カメラマンとしても、元スポーツ少年としても、最後の最後まで目が離せない素晴らしいレースでした。

次は駅伝!カメラワークにもご注目

NHKでスポーツ中継に携わっているカメラマンのなかには、スポーツ経験者が数多くいます。
どんな競技においても、カメラマンはさまざまなこだわりや思いを持って撮影しているので、それを知っていただけたらとてもうれしいです。

MGCの興奮が冷めやらぬまま、年末に向けてロードレースはさらに盛り上がりを見せていきます。
NHKでは、年末の「全国高校駅伝」、年始の「全国都道府県対抗女子駅伝」、その翌週には「全国都道府県対抗男子駅伝」と目白押し!

私もこの3レースで再び、選手たちを撮影しながら走ります。
駅伝もマラソンとはまた違った面白さがあり、ドラマがあります。

レース展開と合わせて、カメラワークにも、ぜひご注目ください!

トライクに乗った筆者
筆者(右)

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