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あれや。これや。

1「リズムとの出会い、あれやこれや」

音楽の成績が良くなかったとか、バンドのパートを決める際にじゃんけんで負けたから○○を演ることになったとか、今まで雑誌などで何度も目にしてきた、そんな感じのエピソードも無いわけでもないが、最初の「音楽」的な出会いは何だった?と思い返すと、小学校3年の音楽の時間、担任の先生が(個人の持ち物だったと思われるが)教卓で鳴らした「カシオトーン」から出た「音」だったのではないか。

「シンセサイザー」(キーボードなんて言ってなかった)なる物は、それまでに「喜多郎」をテレビで見て知識として知っていたし、ボタン一つで音色が変わるような体験はどこかの店先でしていたかもしれなかったが、一番心に響いたことはカシオトーンから出る様々な「音色」ではなく、プリセットされている「リズムパターン」を耳にしたことだった。

たぶん「ロック」というパターンだったと思うが、なんでもない8ビートのドラムのフレーズで、それ以外にも(きっと)「マーチ」とか「ワルツ」、「マンボ」なんていうのがあったかもしれないが、とにかく「ロック」のドラムパターンが勝手に「俺のフレーズ」のように感じたことを覚えている。

それは何か「新しい」ものでもあり、「心躍る」ような響きであった。ただ、「いいなぁ」とも思ったし、ロック調の音楽は日常に溢れていて知ってもいたが、当時のロックに対しての情報はゼロ(きっとジョンレノンが暗殺された頃)だったし、なんとなく「異質なもの」と感じたことを深く掘り下げようなんてことも考えず、とくにそういう環境でも無かった。

両親は音楽にお金をかけてまで熱心に聞くタイプではなかったし、レコードプレーヤーもなかった。家にあったのはソニーのモノラルラジカセで、アニメのオムニバステープをたまに聞くぐらいだった。そんなときに近所の年上の男の子から「これかっこいいから聞いてみろよ」と渡されたのが「YMO」だった。

内容は2大定番曲の『ライディーン』と『テクノポリス』。歌がないところが大人っぽく、いつも聞いているアニメソングとは全然違い、とにかくかっこよく感じたその音楽は何か「新しいおもちゃ」のようで、その2曲を繰り返し聞いていると、母親から「何急にそんな音楽聞いて」と言われたりもしたが、今から思えば、人から貸してもらったものであるが、自発的に何度もリピートして聞いた最初のポピュラーミュージックであった。

聞き続けるうちに、なにか機械が「トキオ」と言っている『テクノポリス』よりもメロディーがしっかりしている『ライディーン』の方が好きだったことも覚えているが、それよりもチープなスピーカーから聞こえるリズムに夢中だった。

誰がどのような背景と解釈で、みたいなことを知っている今ならば、「ここがいい」などといくらでも言えるわけだが、細野、高橋、坂本の音に、予備知識なく言葉にならない状況で「うっとり」とした時間が少年時代にあったことが(今から思えばだが)もう一つのリズム(ビート)との出会いだった。

しかし、所詮借り物、「そろそろ返せよ」という催促があり、テープは我が家から去ってしまった。ダビングできるデッキでもなく、そしてエリック・ドルフィーのセリフのように、ただ自分の記憶だけに残っただけである。

小学校に起こった「音楽的」エピソードは以上である。これがきっかけで何かに目覚めることもなく、ごく一般的な小学生生活を送ることになるのだが、その後10代からギターを始め、ベースやウクレレ、トランペットを経て、その間にビートルズ、ライ・クーダー、ザ・バンド、モータウン、ジャコ、マイルス、パット・メセニーなど様々な音楽に「うっとり」した訳だが、40代になってパーカッションとダンスミュージック(DJ、マシンライブ)に辿り着いた今言えるのは、結局「カシオトーン」と「YMO」が俺の原点だったのかもしれない。

*トップの写真はこの2曲とは関係ないが、去年の「細野観光」に展示してあった「808」。



カシオトーンは記憶があいまい、参考程度のリンクです。


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