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コミュニティで編む本、コルクラボらしさってなんだろう

「金木犀の香りがするね」

「え、全然わからないんだけど」

ぼくのコルクラボ本の思い出はこの2つのセリフに詰まっている。

コーチングをはじめた2019年

 コルクラボの中でコルクラボ本と呼ばれている「居心地の1丁目1番地」。ぼくはひょんなことからこの本に校正のひとりとして関わった。この本に関わったのは本当にただの偶然だった。人事の仕事をするにあたって、もっと人のことを理解できるようになりたい、そういう動機から2019年2月にストレングスファインダーのコーチ研修をうけて、4月頃からコルクラボのメンバーを対象にしたコーチングをやっていた。コルクラボには学生から社会人まで多様な人がいる。コルクラボのいろんな人と話をすることで、コーチとしての経験を積んでいきたい。そう思って毎週のようにコーチングの実践を積み重ねていた。

最初は近くて遠かったコルクラボ本

 コルクラボ本のプロジェクトは月に2回ある定例会の中でちらっと聞いていた。サディが本をつくりたいというようなことをきっかけに有志が集まって本づくりを進めているらしい、コルクラボ本に対する認識はその程度だった。今ではそこに関わった人とよく話すようになったし、こうしてブログを書くということもするようになった。でも、はじめのうちは誰がどんな思いで関わっているのか、具体的にどういう目標で進めているのかもまったく知らなかった。同じコミュニティの中でも興味があるプロジェクトばかりではないし、アクティビティも自分が好きなものだけ参加すればいい、それがコルクラボというコミュニティとの関わり方だった。

 ぼくがコルクラボ本との関わりを持ったのは、コーチングで場所を借りていたコルクのオフィスがきっかけだった。ほぼ毎週のようにコルクのオフィスに出入りしている中で、同じようにコルクのオフィスに集まっている人たちがいることに気がついたのだ。最初は何をやっているのかよくわかってなかったのだが、ある時をきっかけにコミュニケーションを取るようになっていった。

きっかけは同じ場所に居たこと

「やっさん、○日あいてない?」

 コーチングが終わった後に、のんびりと休憩をしていたら気軽に声をかけられた。コルクラボ本の校正作業に入るにあたって、メンバー集めなどの計画を立てるミーティングが開かれていたのだ。本をつくるということに興味を持っていなかったし、自分に何ができるのかもよくわかっていなかったので曖昧に漠然とした答えをしたように覚えている。

 参加しようかなと思ったのは、誘われたら乗っかるという自分が大事にしているスタンスがあるからだった。自分がよくわからないものとの出会いであっても、その出会いから生まれる何かがあるはずだということを経験的に知っていた。それはコルクでの社会人インターンから始まったコルクラボとの関わりにも通じる。自分が知らないものとの出会いを大切にしたいという気持ちから何ができるかわからないけどとりあえずやってみようと思ったのだ。


校正に参加してみてわかった、居ることの意味

 校正に参加し始めて感じたことはコミュニティで本をつくることの大変さだった。コルクラボ本はインタビューやコルクラボのメンバーのnoteなど、多様なコンテンツで編成されている。つまり、関わる人が多いことによって確認作業がたくさん発生しており、その中で中心となっているメンバーは傍目から見ても疲弊していた。途中からプロジェクトに関わり始めたので自分自身は元気いっぱいだったのだが、中心メンバーが疲労困憊という中で自分がここに居る意味はなんだろうかと考えるようになった。

 具体的な校正作業でも、チェックする役としてはそれなりにお役に立てたのかなと思うのだけれど、それよりも意識していたのが、なんだかわからないけどそこに居る人という役割を演じることだった。コーチングなどの予定もあり、コルクのオフィスによく滞在していたので、具体的な作業を手伝えなかったとしてもそこに居ることによる安心な雰囲気づくりをお手伝いできるんじゃないか。伴走する役割として走っている人の安全安心のお手伝いをしよう、そう思ってとにかくみんなが集まる場にはなるべく顔を出すようにしていた。その甲斐もあったのか、プロジェクトの終盤では顔を見せると安心するという言葉をもらえるようになった。居ることだけでもできることがあるということを実感することができた。

コミュニティで舟を編むということ

 コルクラボというコミュニティには様々な人がいる。言葉で言うと当たり前のように感じるのだけれど、100人でつくるからこそつくれる本があるのだと思う。

 「舟を編む」という映画を観ながらこの文章を書いているのだけれど、その映画の中で登場する印象的なセリフがあった。

言葉の海
それは果てしなく広い

辞書とは その大海に浮かぶ
一艘の舟

人は辞書という舟で
海を渡り

自分の気持ちを
的確に表す言葉を探します

それは唯一の言葉を見つける奇跡

誰かと繋がりたくて
広大な海を渡ろうとする人たちに捧げる辞書

それが「大渡海」です

「大渡海」という名前のプロジェクトに込められた思いが伝わってくる。校正・校閲の作業の中で、本になる前のたくさんの文章を読んだ。本当にひとつひとつがよいコンテンツだと読みながら実感していたのだけれど、これが1つの本になるということにはどういう意味があるのだろうかということを改めて考えることにもなった。

 本に載せられるコンテンツには限りがある。コミュニティでつくる本として、どんなコンテンツを載せたいかというそれぞれの話は、多くのインスピレーションを与えてくれた。

人の集まりに界(さかい)をつくる「らしさ」とは何か

 人が集まると集団が生まれる。でも、人が集まるだけではコミュニティにはならない。集団とコミュニティの違いとはなんだろうか?その疑問を考え続けるために「界(さかい)」という個人事業を始めることにした。個人事業を通して様々な集団に関わり、境界について考えるということをやってみたいと思ったのだ。事業としては人事領域を中心にベンチャーやスタートアップの支援を行っている。企業もコミュニティも人の集団という意味では共通点があり、以下の支援を通して内集団としての「らしさ」について考える機会を多く得ている。

・人事担当者へのコーチング
・賃金・評価制度の設計
・採用プロセスの設計、立ち上げ
・広報プロセスの設計、立ち上げ
・組織開発

内集団とは
個人が自らをそれと同一視し、所属感を抱いている集団

 「コルクラボ本に載せるコンテンツは何か?」という問いは「コルクラボらしさとは何か?」という問いに繋がり、それは「コルクラボというコミュニティの内側と外側を分け隔てる境界は何か?」という問いに繋がっていく。コルクラボ本を通して考えていたことを、仕事でもやってみようと思ったのだ。この本のテーマである「居場所」について考えながら、そんな疑問を考え続けている。

 コルクラボ本のプロジェクトを通して一緒に過ごした時間の中で、ぼくにはわからない金木犀の香りについて話した記憶は内集団としての所属意識を強くするきっかけになった。たとえ香りがわからなかったとしても、その時過ごした時間はコミュニティの界(さかい)を描き出してくれる。

#コルクラボ #コルクラボ本プロジェクト #境界について考える

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