【日記】私的な、あまりにも私的な。
こんにちは。お暇です。
年末年始、死ぬほど体調を壊しながら同窓会や忘年会に参加した結果、12月31日~1月2日まで、寝込みました。(この3日間の記憶がほとんどない。)
気持ちはまだ2019年。
どうぞよろしくお願いします。
2020年の過ごし方
今年は、決意したりフラフラしたり、辞めたり移動したりする年になりそうだなと感じています。
多分また無理になってしまう時がくるのかも知れないけど、どうか、どうか、「無理だったけど生き延びた」という体験を重ねていきたいです。これは祈りです。
決断の癖?
あと、年末年始に友人と喋るなかで、私の決断の癖として
・楽しそう≒憧れ≒自分を高めてくれる≒キラキラした自分になれる(*別の言葉で言い換えるならば、「スキルアップできそう」「世の中に求められてそう」)
・金銭的に選択可能
・能力的に選択可能(のように相手にプレゼンできる
の3つがあるかも、と気づきました。
でも、大体、当初期待したほどキラキラした自分にはなれませんでした。期待してもらった相手を騙したみたいで申し訳ないなぁと感じています。
けど、そこで「なんか思ってたのと違ったね、バイバイ」とするか、「なんか思ってたのと違ったけど、もう一度、なんか一緒にやってみる?」となるのか、は選べるし、選べるだけの知性と体力を残していたいと思います。これは祈りです。
人生の受動性を引き受ける
…実際の生成過程は紆余曲折ばかり。“泥だらけ”の過程だと言えます。逆に言えば、社内に対してであれ、マーケットに対してであれ〈対立〉(やある種の受動性)を担わないような提案は、決して大きな影響力を与える仕事にはならないということです。
これは、東京工科専門学校の芦田宏直先生の、2005年度卒業式式辞「イノセントであってはならない」の一節です。
振り返ってみると、この数年、特にドイツ留学から帰国した2015年秋から、ずっとわたしは自分の受動性を受け入れきれていなかったのかなと。それはまるで、遅れてきたイヤイヤ期を迎える5歳時児のようでした。
もうすぐ26歳。
キラキラしてない現状を受け入れきれず、イライラする自分を抱きしめたい。どうやったらできるのか、周りに頼りながら、それでも最後は自分自身で決める、という覚悟を持って、生き延びたい。これは祈りです。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
読み初め。
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