見出し画像

またここで会おうと今日の素晴らしき夜明けに群青のファンファーレ

はじめに

これから、ここ数年考えてきたことを書こうと思う。毎年書いている映画のレビューは、最後にしようと思っている2022年のものがいまだ書きかけの状態なのだけれど、何を考えてどう生きてきたかをまとめるのにちょうどいいタイミングが訪れた。あくまでも個人的ではあるのだが、140字でまとめるのには無理があるため、代わりに1万字にしてみた。何のために何を書こうとしているのかも覚束ない。それでも、書き残しておきたいことがある。

生きることには理由がいる

2023年の映画シーンにおいて、『正欲』が世に示したものはあまりに大きかった。今日の社会の諸相を映し出したその内容は、理解されにくい生についての苦しさを大衆にさらしていた。それは驚きというものではなく、いわば分かりみの深さであり、どの言葉で適切に指し示したらよいか分からない社会の膜のようなものがとうとう演出され表現されたことに意義深さを感じてしまった。本当はまず原作をこそ称賛すべきなのかもしれないが、未読のため映画版の話をしたいと思う。

群像劇の粗筋は書きにくいが、おおよそこのような序盤だった。実家暮らしの女性は職場でも家でもつまらない日々を過ごしている。そんな折、同級生から、転校していったかつてのクラスメイトが戻ってきていると聞かされる。横浜で検事をしている男性は、YouTuberの影響を受け学校に行かないと宣言する我が子を頭ごなしに否定して妻と意見が合わない。ある学生は対人恐怖症に苦しみながらも学園祭の企画に奔走し、取材先の男子学生に目を奪われる。

朝井リョウ原作の本作はバラバラに展開するいくつかのエピソードで構成されているが、いずれも社会の既存の価値観ではどうにも生きていくことが難しい人びとを描いている。近年はジェンダーや貧困や何らかの障害、そうでなくても学校のような集団生活などでの生きづらさを取り上げた作品が数多くあり、もはや映画シーンの大半がそうした作品になっているのではないかとさえ思える。それはブームではなく社会問題として普遍的なものになっていることの証左ではありつつ、それにもかかわらずなお問題を見つめる視座が足りていないことを作り手たちが実感していることにほかならない。これからも新しい視点によって生きづらさが浮き彫りになっていくと思うけれど、本作に特徴的なのは、特定の生きづらさという「点」がたくさんあるという光景ではなく、もはや人類はいま、基本的に生きづらく、もっと言えば、生きることそのものが自明でないことを示している点にあるのではないか。生きるにも、何か理由が必要なのだ。

そのテーマは、冒頭で青年が呟く、あらゆる情報は明日生きたいと思っている人のためのものだという言葉に象徴されている。あまりに共感できる言葉に胸を鷲掴みにされてしまった。主人公演じる女性が検事と対峙し、分かり合えないまま聴取が終わり、一連の物語に始末をつけないまま作品は幕を閉じる。長尺の作品が、しかもボールを投げたまま終わることは、社会がこれらの問題に答えを出せる状況にないことを示している。とても力強い脚本だったと思う。劇中で先の女性が、生まれてこの方、宇宙から地球に留学してきている気分だと言うのはあまりに印象的。あるいはフェティッシュの多くは他者が否定するものではないとは思うけれど、被害者を生んでしまうような一線の向こう側にいる人もいて、ただでさえ誰にも理解されない苦しみがあるのに、そのあわいゆえに社会から放逐されてしまいかねない。そういう人が隣人かもしれないし、あるいは自分なのかもしれない、ということを作品は突き付けてくる。

時代は変化していた

自明なことが自明でなくなることを、歴史は何度も経験してきている。1990年代後半には、筑紫哲也を中心にして「なぜ人を殺していけないのか」という議論が巻き起こった。神戸で起きた事件のあとで高校生から質問された彼と同席した人びとが回答できなかったことがきっかけだったのだという。重大なことを不文律とか常識とかで深く考えずにやり過ごすことができるのは、それで問題なく生きられるからなのだろう。そこに問題がある、生きづらいと感じるようになると、不文律として片付けている社会的強者への不信感が募る。

思えば1990年代は、それはそれで大きな時代だった。ここ数年、私はこの時代について振り返る機会が多い。こと90年代半ばから後半には、阪神淡路大震災があり、オウム真理教が起こした数々の事件があり、テレビでは先の議論のほかにも、ベトナム戦争後に生まれた奇形児やカンボジア内戦の傷跡、国内では薬害エイズ事件があり、ついには都市銀行が破綻するに至った。にもかかわらず、ノストラダムスが予言したようには世界が滅びることはなかった。皆が皆、本気で予言を信じていたわけではない。もちろんそうなのだけれど、そうなるといいなと思っていた人が多かったことも確かだったのではないか。世界が滅んでいれば、その後の諸問題はすべて発生しなかった。滅んでほしかった人と、どうせ滅ぶならいま起きている問題をちょっとした誤作動だと思って軌道修正すればよいと思っていた人が、根本的に社会を変えていく必要性から目を逸らしてしまったのがこの国の90年代で、今日までその影響をずるずると引きずっているように感じてしまう。

映画の話をすれば、『バウンス ko GALS』(1997)と『ラブ&ポップ』(1998)は、同じ東京を闊歩する女子高校生たちの作品なのに、まるで角度の違う物語になっているのが面白い(リアルタイムで観たわけではない)。前者ではヤクザとぶつかり合う組織を率い、後者ではオタクやブルセラおじさん相手に四苦八苦していた。いずれにしても彼女たちは逞しかった。そんな彼女たちのように「終わりなき日常を生きろ」と叫ばれた時代でもあった。

他方、家族の様相も大きく変化を遂げている。やはり名画座で観た『逆噴射家族』(1984)でお父さんが家族を守った挙句にせっかくのマイホームが崩壊する結末にはスカッとしたが、あのときはまだ、お父さんには選択と集中の権利が存在していた。ちなみにあのシーンを観たときに「水曜どうでしょう」の「粗大ゴミで家を作ろう」を思い出したのは私だけだろうか。時を経て『man-hole』(2001)になると、お父さんは『ザ・中学教師』(1992)みたいな強靭な人格にもなれずに自己崩壊して精神を病んでしまう。しかしそれを機に家庭にいるようになったことで家族には評判がよくなるというのが結論だった。さらに時を経て『誰も知らない』(2004)ではもはや家庭に親はなかった。そして東日本大震災を経て、是枝裕和は『万引き家族』(2018)や『ベイビー・ブローカー』(2022)で疑似家族を描いている。そうしてお父さんの存在がどんどん希薄になっていくなか、『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』(2023)では、両親は離婚して父親と疎遠であるうえに、主人公が家族への不満をぶちまけるシーンで、継父に言いたいことが何もない心情を吐露する。血縁かどうかだけではなく、ポジションそのものが空気化している。

「失われた○○年」などとよく言われたものだが、あの評論は社会を思考停止にするミスリーディングだったように思える。時代は確かに変化していたのだ。

『夜明けのすべて』という名の福音

話を元に戻そう。生きるのに理由がいる時代に、では生きている人間には理由が備わっているのだろうか。どちらかというと、その理由を探して彷徨っているか、理由はないが死んでいないというのが実情のように思える。守るべき家庭のある人は幸いなのかもしれない。そうか、それが自明でなくなったことも状況をそのようにしているのか。かといって、自明から解放されたこと自体を悪いこととは思えない。家庭を持ちたいと思えば持てばいいだけのことだろう。

生きるのに何か、明示可能で具体的な理由が必須なのだとしたら、本来平等であるはずの命は選別の対象になっていくに違いない。しかし、思いが周回して実に普遍的な回答に回帰したような『夜明けのすべて』に出会って、なにか憑き物が取れたような感覚になった。

主人公は定期的な体調不良に長く悩まされていて、それはやがてPMSと診断されるが、新卒で入社した会社では感情の起伏でトラブルを起こし、服薬の影響で勤務中に眠りこけてしまい、退職した。あれから数年、小さなメーカーに勤める彼女はトラブルを起こしつつも平穏な日々を過ごしていた。そんな職場にひとりの青年が入社してくる。

PMSのことはうっすらと聞いたことはあったし、彼女のような発症の仕方をする人ばかりではないのだろうけれど、ふだんは何でもないだけに、発症前の瞬間のために人生がまったくうまくいかない様子が本当に居たたまれない。そんな彼女が出会う、とっつきづらい青年はパニック障害を患っていて、彼の薬を彼女もかつて飲んだことがあった。社会人になって早いうちに挫折してしまった彼女とは違って、バリバリに活躍し成功しているかに思えた人生に前触れもなく転機が訪れてどうにもならなくなった彼は、また元の環境に復帰できると信じているし、いまの職場や人びとのことをどこかランクが下のものとして見ている。障害のせいもあるのだろうけれど、社交性に乏しく、何かを察したり愛想よくしたりもしない。それでも主人公は彼のことを気遣うが、やっぱりとっつきづらい。

状況が変わったのは、彼が職場で発作を起こしてからだった。ひとりでバリアを張って生きていくことの限界を悟ってからの彼は、徐々に穏やかな表情を見せるようになり、他者に興味を持つようにもなる。それが恋愛ということではなく、職場の同僚の障害を知り、それを緩和するためにできることを実行していく。感情が高まってしまっている主人公には彼のケアがにわかには受け入れがたいものの、あとで周囲に謝り倒したりすることはなくなったし、間違いなく生きやすくなっている。懐深くさまざまな個性を受け入れてくれる職場を卒業することに決めた主人公と、留まることに決めた青年。ふたりがある短い期間に過ごした日々が、16ミリのフィルムの温かな映像と柔らかな光で彩られている。

冒頭から躊躇なく差し挟まれる主人公の語り、字幕で映し出されるブログに書かれた文章、あるいはかつて書かれた星や夜にまつわる文章の語りなどが、まるで劇伴のようにすっと心に入り込み、去っていく。新しいことをしていないような気もするのに、こんなにも心に浸透してくる演出がほかにあるだろうか。『ケイコ 目を澄ませて』(2022)からさらに洗練された演出を、もっとずっと見ていたかった。

本作のタイトルは、社長の弟が生前に帳面に書いていた「夜についてのメモ」から。

喜びに満ちた日も、悲しみに沈んだ日も、地球が動きつづける限り、必ず終わる。そして、新しい夜明けがやってくる。

パンフレットより抜粋

この短いエッセーは、スクリーンに映るすべての人びとにとっての福音だと思う。そして観客の私たちにも。生きることに理由のいる時代を生きる私たちは、どうにかして理由を作ろうとするのだけれど、多くの場合において、やがて終わりが来るものに理由を見出すのではないだろうか。でも、なんのことはない。夜明けが来るからという理由が、人を生き長らえさせることになり得るのだ。

陽はまたのぼりくりかえす

生きていれば夜明けはやってくる。この星で生きるすべての者は夜明けを迎えることができる。だからといって生きやすさへの願望を放棄することは根本的に間違っている。社会の風雪に耐えて生きたことに価値を見出す精神論なのだと思いつつも、こんなに普遍的な理由で生きていくことができるのならば、素晴らしいことではないか。ある意味では、夜明けとはそのためにある。

本作を観ていて、岸洋子の「夜明けのうた」を思い出した。坂本九が歌い、歌詞の改変を経て彼女が歌ったレコードは大ヒットした。約60年前の楽曲だけれど、本作のふたりに捧げたい、あまりにぴったりな曲ではないだろうか。

あるいは、子どもの頃に観た舞台「赤ひげ診療譚」も夜明けと聞いて思い出す作品だ。森繁久彌が赤ひげを演じ、竹脇無我と川中美幸が出演していたことから、1991年の帝国劇場での上演ではないかと思う。大人の人情噺なのであまり筋を理解できなかったように思うけれども、夜通し働いた森繁赤ひげに、助手の竹脇無我が夜明けを告げ朝日に指をさして終演したことだけは強烈に記憶している。子どもながらにものすごくいいエンディングだと感じた。

もうひとつ。Dragon Ashの「陽はまたのぼりくりかえす」のことも思い出して、はっとしてしまった。

陽はまたのぼり繰り返していく 僕らの上を通りすぎてく
生き急ぐとしてもかまわない 理由がある人は残ればいい

歌詞より

楽曲が発表された当時はこの歌詞のことを、理由がない人はこの世に残っちゃいけないのかと思ったものだが、いま、このフレーズがすとんと身体に入ってくる。生きていていいんだよと投げかけてくれていたのだろう。愛に溢れた歌だった。

『夜明けのすべて』同様に朗読のある作品に濱口竜介『親密さ』(2012)があるが、劇中で読まれる散文詩「夜のダイヤグラム」を思い出しもした。夜に落ちている言葉を拾い上げて書き上げたというその詩は、言葉には、特急や各駅停車の違いのように、伝わり方の異なるものがあるのだと述べていた。あの詩を朗読しながら夜明けの多摩川を歩く主演ふたりの長いシーンには、伝えたい思いを包み込み、わだかまりを溶かしていくような時間が存在していた。夜明けにもまた福音がある。

終わらない物語

そして、忘れられないのはこの楽曲だ。

現存するいくつかの映像のうち、いちばん好きなバージョンを紹介したい。

ここからしばらくものすごく個人的な話になるが、人生で何度かあったしんどい日々に、寄り添ってくれた存在がある。触れてしまえば絶対に没入するのが分かっていたから触れなかったのに、学生時代にちょっと落ち込むことがあって、心の隙間を埋めるようにあっという間にモーヲタになった。コンサートも楽しかったけれど、彼女たちがいる空間が哲学的だった。プロデュースされる不可解な世界観をどうにかして読み解こうと、ニッチな論壇が勃興したのが何よりも面白く、その端くれに私もいた。

そのほとぼりが冷めて、ちゃんと大人として生きていこうと思い数年が経った。牧歌的で上り調子だった勤め先の様子が少しずつ変わっていって、いよいよ経営の曲がり角にきて、とある大企業と資本提携したとき、私は中間管理職だった。強権を持った大企業の人間が役員として乗り込んできて、職場には絶えず不穏な空気が漂っていたし、事実、そこからの日々は過酷だった。当時の私に免疫がないからしんどかったのはたしかではあるが、精神が擦り減る日々を過ごしていた。

そんな折、飲み会帰りの勢いでほとんど見ないテレビをつけたときに、映り込んできたのがベイビーレイズだった。思い切って出かけた渋谷でのワンマンライブがあまりに楽しくて、それ以来彼女たちの虜になった。彼女たちが放つ応援歌の数々が、疲弊していた当時の私にひとつひとつしっかり刺さった。通勤電車のなかでベビレを聴いて、どうにか気合を入れて一日を乗り切っていた。

勤め先の会社はそれからさらなる流転をして、とある会社に吸収されて、ステアリングコミッティに巻き込まれて往生しそうになる私をなんとか生かしてくれたのも、彼女たちの歌声だった。2018年の山中湖での解散ライブに向かうチャーターバスの沈痛な空気を今でも忘れていない。その空間にいた誰しもが、なんとなく遠くの同じ空を見ていたのだろう。世の中には彼女たちの存在を冷ややかに見る向きもあったが、多くの人びとに正しく愛されたグループでもあったと思う。それと同時に、私自身がその冷ややかさに打ち勝てなかったような気もしている。

そうして彼女たちなきまま、何かにハマりたくてもなかなかそうならずに、狂ったように映画を観たり映画祭に通ったりしていたものの、新たなバイブルを得ることなく、気が付くとパンデミックに殴られていた。ここでまたしても私は神経を擦り減らしていた。リモートワークの極北のような部署を預かって、気がどうにかしていた。

だって僕らは常に自由

実はかれこれ10年以上前から、長らく東京近郊勤めだった私は移住を画策していた。はじめは震災に心を揺さぶられて東北を模索していたが、人生を賭すならばと郷里に目標を変更した。いつかいつかと思っているうちに已むに已まれぬ事件が発生して、それが落着したら自分の番だと思うと、また新しい事件が勃発する。多くの場合、それは近しい人物の退職で、つまりは先を越されていた。あるとき、勤め先で見たことのないレベルの大事件が起き、そのあとで頼りにしていた上司が会社に来なくなった。心が終了してしまっていた。このままだと私の心も終了してしまう。本当に尻尾に火がついたのはそのときだった。時はまだ流行り病の影響下にあった。

しかし、退職だけでも気がおかしくなりそうなのに、新しい職場を見つけ、かつ移住するところまでたどり着くのは、ただごとの勇気ではなかった。私の性格ゆえのことかもしれないが、本当によくここまで来たと思う。尻尾に火がついたとはいえ振り絞る勇気の足りない私の目に、とあるツイートが目に留まった。当時のアカウントが閉鎖されてしまっていたが、ササキフェス主催でまだ開歌にいた佐々木亜実がただのオタクとして楽しんでいる映像だった。彼女が推すグループは信頼できる。その先のステージにいたのが、タイトル未定だった。

それまで、その存在をまるで知らなかった。調べてみて初めて、私の郷里で活動していると知った。それからしばらく経ってからだと思うが、あらためて彼女たちのパフォーマンスを見て感動してしまった。それがこの映像だった。

ちょうど、TIFでメインステージに立つことになったと話題になっていた頃だった。我が郷里で奮闘する彼女たちの躍動に興奮するとともに、古いことを思い出してもいた。

それは大学受験のために、大量の参考書を詰め込んだボストンバッグを引きずって飛行機と電車を乗り継いでたどり着いた宿で、カーテン越しに強い西日を受けながらテレビをつけたときだった。目に飛び込んできたのは、郷里では見たことのないアイドルグループのバラエティ番組で、そのチェキッ娘の中心にいたのは、静内から上京して活躍していた下川みくにだった。衝撃だった。島を出たがらない風潮の強い土地から、遠く東京に出て闘いに挑み、彼女の両親でさえ見ることのないテレビ番組で身を粉にしていた。漠然としていたが、私も頑張らなければいけないと強く思った。そのときの気持ちが、タイトル未定を見つけて甦った。

「だって僕らは常に自由」「話したい未来を作ろう」「好きには嘘つくなよ」「今日が素晴らしい今日だ」。彼女たちの歌声とメッセージに背中を押されてようやく退職を宣言し、翌年の冷たい雨の降りしきる日、勤め先を退職した。その夜に誘われて入った居酒屋の焼鳥と梅干入りの焼酎が旨かった。

またここで会おう

生まれ育った札幌に移住してもうすぐ1年になる。24年ぶりに住む都市に生活の心配はなかったが、働くとなると話は別だ。勤め先によるのだろうけれど、転職は思いのほかたいへんだった。中小企業だったこともあるのかもしれないが、ボランタリーな精神に依拠したルール、誰にも教わらない業務、「ふつうそうだろう」でジャッジされるOKとNGなど、正直な話をすれば、いまだに戸惑いの連続だったりする。それでもまだこの場所で踏ん張っているのは、東京時代よりマシと思っていることもあるが、意地もある。

『夜明けのすべて』の舞台である栗田科学もまた中小企業だった。どこか生きづらくなった人びとを社長が受け入れてきて、ぶつかり合うこともあるけれど、互いを認めて認められて、彼らは柔らかな空気に包まれて生きている。あれできちんと利益は出ているのだろうかと心配にもなる。経済的にもそうなのだろうけれど、ここまでの経験でいえば、大きな企業では生きづらく、小さな企業が生きやすいというのはいささか幻想が過ぎるように感じている。最近、採用面接で学生たちと話をすると、大きな企業では自分のやりたいことができないので、より小さな会社に身を置きたいという意見が相次いだ。そのイメージは、映画やテレビドラマなどの創作によって生まれているのかもしれない。

実際の中小企業は一筋縄ではいかない。というより、大企業とは働くということの定義がまるで違う。人間関係のために意識や態度をチューニングする作業や、合理的判断とは異なる判断でも戸惑わないようにするなど、成果物とは違う部分に多くのエネルギーを費やす。企業としての制度も未整備な部分が多い。早くやりたいことやりたい、と本気で思うならば、むしろ得意分野に意識を集中させられて、オフィシャルで明文化された制度が確立している大企業に行くことをお勧めしたい。他方、中小企業には器用なジェネラリストが求められるが、彼らは器用であるがゆえに大企業から引く手数多だったりもする。

これまでに前職に帰ろうなどとは思わなかったものの、心許ない日々はずっと続いている。距離を置かなければいけないと分かっていても、前職の人びとと連絡を取りたい衝動に何度も駆られた。そんな私に共感し、諭してくれたのは、ほかでもないタイトル未定だった。

あれから何度も挫けるたび
君に連絡したくなって
グッと握りしめていたスマホを
しまった「今じゃないよね」

歌詞より

このフレーズは、私のためにあると思った。

切なくって 切なくって
あぁ それでも生き抜いて
またここで会おう

歌詞より

また誰かと再会するために、いまは唇を噛みしめてでも踏ん張る日々だ。そしていま、いいものはいいのだと言うために、こうして闇雲に何かを書き連ねている。

君の代表に君を選べ

「青春群青」は、いわゆる青春の日々を過ごしている輝かしい誰かの歌ではない。「あの日」を過ごした人びとが、「あの日」を思いつつも、未来に希望を託す歌だと思う。「いま」というアゲンストな風に吹きさらされている自分たちもまた、同じ時間をともに過ごした彼らといつの日か再会するまでは青春の只中なのだという言説を、甘いと言うべきだろうか。生涯にわたる何らの確約もないまま、誇張なしにサバイブしている私たちが振り返り確かめるべき原点としての青春は、生きる指針と言っていい。

林邦洋の「春雷」は、私が学生時代にとても好きだった楽曲だ。難解な歌詞だが、本質的に自分自身として生きよと説く掲題の一節が実に格好いい。そう簡単に自分自身ではいられないからこそ、この言葉が心に突き刺さる。それは古るごとに難しい問題でもある。変わっていく自分こそ本当の自分だと楽しめる人はそうすればいい。それでも、原点を確かめ、距離を確かめるからこそ、人は遠くに行くことができるのかもしれない。その意味において、青春は終焉しない。

映画『ファンファーレ』は、あるアイドルグループを卒業したふたりと、これから卒業する同期の3人の名作群像劇だった。「ファンファーレ」で唯一現役のオリジナルメンバーの卒業が決まり、卒業ソングの制作が始まる。彼女のたっての希望で、先に卒業したふたりは振り付けと衣装を担当することに。卒業後のふたりは、それまでの経験が通用しない社会で報われない日々を送っていた。

吉野竜平監督は、必ずしも人に優しくない現実世界を悩んで藻掻いてどうにか生きていく人びとを、いつだって温かく見つめている。本作は、青春を何かに捧げた者たちのその後としてとてもリアリティを感じた。ダンスがうまいと褒めそやされたのに、いざその業界のオーディションを受けたらまったく歯が立たずに、子供向けダンススクールと警備員の掛け持ちをしている者。憧れのアパレル業界に入れて羨望の眼差しで見られるも、現実には器用に振舞えずに孤独に下働きをしている者。所属していたグループと距離を置いていた彼女たちが、同期の卒業のために奮闘するも、実力がまるで追いつかない。

自分自身を見つめ直し、落ち込んだり仲間とぶつかったりすることもあるけれど、あのとき輝いていた自分を道標に、なんとか生き方を見つけようとしている。その姿はまるで「青春群像」ではないか。そんなことを思ってしまうと、もう目頭が熱くなってどうしようもなかった。多くのシーンを劇伴なしに引きで捉えた映像の質感がたまらなくいい。クライマックスの卒業コンサートでは寄りの映像になるのも、物語の高まりがあって素晴らしい。そのコンサートがコロナ禍で無観客配信になっているというのもこの時代らしく、かつ現実の無情さを映し出していた。

彼女たちはまたそれぞれ、あてどもない道を進んでいくのだろう。それでも、かつて同じ思いを分かち合い、奮闘した仲間の存在が生きる理由となるに違いない。同じ座標をもった彼女たちは知っている。何年、何十年先の未来であろうと、再会し、生きてきた道のりを確かめ合えることを。だから歩いていける。それは私も、私たちも同じだ。

もうすぐ、新しい季節がやって来る。新しい朝焼けもやって来る。取り留め
のない文章になってしまったが、最後は、まだこんな人生を知らなかった頃に作った拙句で仕舞いにしよう思う。

群青と茜の八千フィート春

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?