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『馬搬日和』と西埜君のこと

少し前のこと。どうしても暇つぶしをしなくてはいけなくてスマホを見ていたら、「馬搬」と書かれたバナーを見つけました。馬搬が何なのかはあとで書くとして、馬搬で思い出せる人物がひとりしかいなかったので、まさかと思いつつもリンク先の短編ドキュメンタリーを見始めたら・・・そのまさかでした。(リンク上)
その後、新聞記事にもなったようで、うちの親から写真が届きました。(リンク下)

映画の主人公、西埜君とは20年来の友人です。お互い北海道の出身で、大学の学科と専攻が同じだったのです。全部で30人もいないぐらいのクラスでしたので講義もだいたいみんな一緒でしたし、毎週のように鉈やら鎌やらを持って山に入って、ときには泊りがけで製図したりして過ごしてましたので、なかなかに濃い集団だったと思うのですよね。

そんななかでも、西埜君はかなり独特で特徴的な人物でした。すごくオープンな性格だけど、さびしんぼうな感じもあって、夢を見ているというか、オトナな判断におもねらない印象がありました。たしか、彼が一時期ジャグリングの練習をしていたことがあったんです。それをやりながらぼそっと「サーカスしながら生きられたらいいよね、パンでも焼きながらさ・・・」って言ったんです。道化というかフーテンというか、彼の根っこにはそういう遺伝子が埋め込まれているのだと思います。

彼は大学を出た後、フィールドワーク的な仕事をいくつか経験したらしく、そのときに知り合った方と結婚したのは、仲間内ではかなり早いほうだったと思います。その後おそらく10年ぐらいは、辛うじてFacebookで近況を知る程度になっていたのですが、まさにそのFacebook上で、一家で北海道厚真町に移住したことが綴られていました。

厚真町というのは北海道の苫小牧の近く。早くから移住促進をしていた土地で、北海道ではローカルベンチャー誘致のトップランナーと目されています。私が厚真町の取り組みを知ったのは2017年になってからでした。当時の私は働きながら将来のために勉強をしていたのですが、その事例研究として登場したのでした。実際、北海道でベンチャーで活動している方のなかでは、西埜君は知る人ぞ知る存在になっていました。

馬搬というのは林業の世界で、木材を伐り出した後の搬出手段のひとつです。丸太は大きくて水分を含んで重いうえに、日本の場合は基本的には急峻だったり道路のない場所だったりで伐採することが多いので、搬出には困難が伴います。いまは重機を使うことが多いのではと思いますが、ワイヤーで釣り上げてリフトみたいに移動させることもありますし、昔だと丸太で筏を組んで鉄砲水で流したり、馬に引かせたりすることが多かったようです。その馬力で搬出することを馬搬と言います。雪国では馬橇もありました。ほぼ歴史上の出来事のレベルです。

移住して先進的に取り組んでいるらしい西埜君を見て私も自身の生き方を見つめたいと思い(先に言ってしまうと、いまだにグダグダしているわけですけど)、連絡を取って、帰省のついでに彼の元を訪れたのは2017年の夏のこと。西埜君と奥さんと、ふたりの娘さんたちに迎え入れてもらいました。
当時、彼は厚真町の地域おこし協力隊として移住していて、たしか3年間は公務員扱いなので、その間に定職を見つける必要がありました。馬搬がやりたくて移住してきたので、まず馬を手に入れないといけないのですが、ばんえい競馬を不合格だった馬を競り落とすことになります。ただ、素人がぽっと出で参加できるものではないらしく、仲介者との取引には苦労したようでした。そうしてやってきたのが、カップ号です。

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2017年のカップ号

もっとも、たぶんいまでもそうなんだと思いますが、馬搬のニーズだけで収入は得られません。彼の元を訪れたときは、会ってすぐに仕事の手伝いをすることになります。車に乗せられた向かった先は苫小牧市の公園施設(だったと思う)。

危険木というのでしょうか、放っておくと倒れてきて人災になるかもしれないような厄介な木を、地主の委託を受けてあらかじめて伐ってしまう仕事です。そんな気なので、切ると言ってもなかなかきれいには倒れてくれない。あっちにワイヤーをひっかけてこう引っ張って、次にこっちに・・・と数人がかりで取り組んでようやく倒れます。そのあとは枝を払って、玉切り(数十cmぐらいに切り分けて運びやすくするか山で分解しやすくする)。
人の紹介でそんな仕事を請け負って工賃を得ながら、彼は暮らしていました。その傍らで、馬搬の道を探っていました。

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当日の作業風景。一番奥の樹に隠れているのが西埜君。この日は彼のいとこも来ていた。

夜、彼はいまの夢のきっかけになったという、古いビデオテープを出してきて見せてくれました。それはそのむかし北海道では有名な「北海道中ひざくりげ」というNHKの旅番組で、馬が登場する回でした。かなり古い放送回だったと思うのですが、そうか、こんなところにルーツがあったのかと知らせれました。学生時代には知らなかった一面でした。

2018年の北海道胆振東部地震で厚真町の山々は再生の余地が見えないほど禿げてしまい、土砂崩れで多くの方が亡くなりました。彼とも少しの間連絡が取れなかったのですが、家の損壊はあったようですが、一家が無事と知って安堵したものです。

あれからさらに数年がたち、まるで無形文化財のような林業家として生きている西埜君が、映画になりました。まるでハリウッド作品『ミナリ』を地で行くような彼と彼の家族の物語です。いつのまにか2頭目の馬もいるようです。彼を知る人々からすると「あ~~~~、やっちまってるよぉ」と思う場面もありますが、それでこそ西埜君だし、そうして大地にすっくと立っているのがすげぇなあと思います。ぜひご覧になっていただきたい。



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