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独立したきっかけ

取引先が予算を減らされたとき、会社は・・・

集計会社に勤めていたころ、メインの取引先はリサーチ会社だった。
リーマンショック以降、取引先がエンドクライアントからもらえる予算が減り、とても苦しい状況だった。

普段とても良くしてくれていた取引先の担当者が、「本当に予算がないんだ。申し訳ないけど、この金額でなんとかお願いできないか。」というお願いをしてくるようになった。
割合的には、5 回中 3 回が値引きのお願い、1 回が提示額のまま、1 回が余っている予算を上乗せしてくれるという感じで、トータルでは提示額の 10 %くらい減という感じだった。
田舎育ちで実家も商売をしていたこともあり、子供の頃から「持ちつ持たれつ」という地域経済の仕組みを教え込まれてきた私にとって、「商売を維持できる範囲内で協力する」ということは自然なことだった。

しかし、会社はそうは考えなかった。
最初は部長から「値引きが過ぎる」と注意された。

「ビジネスパートナーとして、可能な限り協力するというのは大事なことだと思います。それができないのであれば、今後は『ビジネスパートナー』なんて言わず、『ただの取引先』とでも言うべきではありませんか?」

当時 29 才の私は、平然とそう言い放った。
すると、翌日から、社長に呼ばれるようになった。

社長
「あのね?会社というのはね?利益を出さないとやっていけなくてね?」

「利益目標は達成しています。それでも取引先の要求を聞かず、結果的に相手が倒産したら、それまで出ていた利益もなくなります。それもでよろしければそうしますが、その場合、当社の理念にある『ビジネスパートナーとして全力でお客様に云々』という部分は削除すべきだと思います。じゃないと、口先だけの会社になりますし、取引先に嘘をつくことにもなりますので。」

こんな感じのやり取りを小一時間、週 2 ~ 3 回ペースで 1 ヶ月続いた。

生き方を変えるか否か

当時は、部署にいる人材のレベル感にバラつきがあり、大きくは

「難しい案件もこなせるが、同時に複数案件を担当することができない人」
「3 案件くらいは同時にこなせるが、標準レベル以上の案件をこなすことができない人」

に二極化している状態だった。
なので、案件の入り方によっては人手が足りなくなることもあり、そういう時は、ほぼ私が引き受けていた。

しかし、仮にミスをする確率が同じでも、案件数が多ければ、それだけミスの発生数は増える。
結果として、私は社内で「よくミスをする奴」という評価をされるようになった。

こんな状況の中で、社長に対しても引かずに自分の主張をする人間が、社内で評価されるはずもなく、よそよそしい態度どころか、「お前は何様のつもりだ?」と言ってくる人もいた。

もちろん、組織に属している以上、会社の方針には従わないといけない。
とはいえ、それは「お客に誠実に、お客のために可能な限り尽くす」という自分の信念に背くことになる。
ここで自分の信念を曲げ、会社に順応していくのも、社会人としての 1 つの選択だと思う。
しかし、そうする決断はできなかった。

背中を押してくれたのは妻だった

その話を、妻に相談すると、「そんな会社辞めちゃえ」と言ってくれた。
当時、子供は生後 4 ヶ月。
内心そうすることに不安はあったと思うが、それでもそのように言ってくれた妻には、今でも感謝している。

結局、この妻の意見と社内での評価を踏まえて、会社を辞め、独立することにした。

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