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コロナ禍でもできる国際協力とは

こんにちは。3年の出口幸映です。

 私が今回書かせていただくのは、タイトルそのままでありますが、「コロナ禍」で我々が何をしてきたかということです。時節柄、多少ありきたりな内容になってしまうかもしれませんが、自分なりに考えてきたことを少しお話させていただきたいと思います。

 さて3年の私は、今夏より就活をしております。しかしバイト先や私生活でそんな話をすると、色々な方から「そうか、君らの代はコロナで2年間潰れちゃってるんだよね、大変だなぁ(かわいそうに)」と言われるのです。あまりに皆がそういうので、最近やっと、「コロナ禍で2年間学校にも行けず、旅行にも行けなかった、そうか。私たちは可哀そうな学生だと思われていたのか」と気づきました(笑)

ひねくれているつもりはありません。なぜなら私は、本当に微塵も「コロナのせいでなにもできなかった」と思っていなかったからです。ましてや自分のことを可哀そうな大学生とは思っていませんでした。むしろコロナのおかげてできたことが、正直言ってかなりたくさんありました。その一つがNGOあおいでの、新プロジェクトの設立と運営だと思っています。

 新プロジェクトの転換期はおそらく2020年1月でしょう。まさに世間がダイヤモンド・プリンセス号や北海道での感染状況を見て、謎の新型ウイルスに対して不安を募らせていた頃です。私たちは、毎年恒例の「春出張」のため、カンボジア渡航に向けた準備をしていました。

1年間かけて行った前プロジェクトの反省と新プロジェクトに向けた問題分析や分野選択(カンボジアの現在抱える問題を洗い出し、自分たちが取り組む問題を決めること)を経て、後は春出張で現地の団体を訪問し、最終的にパートナーとなる団体を決めていこうという手筈でした。渡航しなければ計画が破綻する。新プロジェクト設立は遅れてしまうという焦燥感と得体の知れないウイルスへの不安感で、ぎりぎりまで渡航するか否かを議論していました。

そして、いよいよ渡航が厳しいと判断され、春出張を取りやめとしてから、私達の切り替えの早さはけっこう誇れるものだったのではないかと思っています。それぞれの団体に渡航しない由と、オンラインでのミーテイング予約を取り、春休み中は可能な限りの団体とSkypeなどを通じて話し合いをしました。

 そこから、現パートナー団体First Step Cambodia(FSC)と契約を結ぶまで、私達は殆ど全ての工程をオンライン上で済ませました。電子契約書もオンラインでの視察も、すべてが初めての取り組みであったため当然不安もありましたが、ひとつひとつ積み上げていくことによって同時に確かな手ごたえを感じていました。

また私たちは、日々のミーテイング(いわゆる定例会や勉強会など)もすべてオンラインに移行しました。Zoomもその他のツールも使えるものは使い倒し、毎週微調整をしながら定例会や勉強会を行ったことで、授業が始まるころにはオンラインツールの使い方は手慣れたものとなっていました。「真面目にコツコツ積み上げる団体」と評されてきたNGOあおいですが、急事にはしっかり対応しきれる柔軟性も持っているのだと新たな一面を知りました。(もちろん一員として活動しながら思ったことですが)

2020年、コロナ禍最初の一年は、そんな紆余曲折の中、あっという間に過ぎていきました。そしていよいよ契約が締結し、プロジェクトを始動させた2021年。さらに多種多様に動けた半年間だったと思っています。

まず募金活動では、Syncable(クラウドファンディング)や店舗募金など非接触型の方法を取りつつ、宣言の合間を縫って感染症対策を取りながら街頭募金をしてきました。だましだましかもしれませんが、何とか7月にはFSCに対して70万円の送金を遂行し、今は次の送金に向けて募金活動を続けています。

現地とのMTGは相変わらずオンラインですが、英語でのやり取りは回を重ねるごとにスムーズに、的確に進められるようになりました。オンラインだからこそ必要なホスピタリティや臨機応変な対応の必要性を、肌で感じながら進めていたと思います。相手団体であるFSCも、私達のつたない英語を受け入れ、根気強く付き合ってくださいました。「男児の性的虐待の被害を減らす」同じ目標のもと一緒に歩んでくれる新たな仲間が、海の向こうに確かにいるのだとミーテイングの度に感じている私がいるのです。

他にも、私達の活動をより多くの人に知ってもらうために、新聞の取材を申し込んだり、県庁の方々と対談を行ったり、できる限りのことはしてきました。そんなこんなでもうあと引退まで1か月の所まで来てしまったのです。


 この2年間、延いては3年間の活動で、反省点がなかったわけではありません。むしろ何か進める度にたくさんの反省と問題点の指摘をしてきました。対外的な活動こそ何とか進められていますが、あおいのメンバーそれぞれに対してはどうだっただろうか。もっとみんなの事を気にかけてあげられたかもしれない。自分のことに手いっぱいで、100%全力でいられたことばかりではありませんでした。引継ぎの最中の今ですら、この方法でいいのか、不安で仕方ない自分がいます。学生団体ならではの「3年間」というリミットが、悔やまれてなりませんね。(たしかに、もう一度カンボジアに渡航してから引退したかったかも…)

でも、だからこそNGOあおいは、今後も動き続けるでしょう。不完全くらいが丁度いいのです。少しいびつなくらいが、案外うまくいくのかも。


 取り留めのない活動記録になってしまいました。でも、私がこの3年間、一学生として学生らしく「いきて」来れたのは、あおいの活動があってこそであります。コロナはちょっとしたスパイスみたいなものです。私は今後、「コロナ世代」と言われるたびに、あおいでの日々を語るでしょう。こんなに詰まった2年間はなかったと。

最後まで読んだくださってありがとうございました。次回の投稿にもご期待ください。



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