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「男子ちゃんと歌ってよ問題」を15年越しに考察する

今考えると"どうしてあそこまで不貞腐れていたのだろう"と思うことがある。中学校の頃の合唱コンクールもその1つだっただろう。

おそらく、日本全国で発生している「男子ちゃんと歌ってよ問題」に関し、先日妻と合唱した際に、すっと肚落ちできた気がした。ここに戯言として残しておこうと思う。※超ど素人の一意見と思って生暖かく読んでいただければと思います。

【俺だって、、エースで四番を打ちたいんや!】

久しぶりに合唱してみたときに思ったこと、それは「俺、主旋律ほぼなくね?」ということだった。

もちろん、男性側のテノール、バスは合唱において奥深さを醸し出す重要、不可欠なパートではある。ただし、どこまでいっても「名脇役」な感じがするのだ。主旋律はだいたい女子が担っている。きっと、ここに男子が「ちゃんと歌わない」理由があったのではないだろうか。

野球で言うと、投打の要を女子が握っており「じゃ男子(テノール君)は二番セカンドで、バス君は..7番レフトで?」といった感じ。はじめからこれじゃあ、あまりに悲しいではないか..!! そりゃ、やる気のない時のバレンティンのような守備をしますよ..(そして叱られる)

組体操のピラミッドで考えても同じかもしれない(今はあまりやらなくなったかもしれないが)。体が大きいやつは決まって下で、体が小さいやつがトップ。トップのやつは全体からの注目を一心に背負う。高いところが危ないので先生も上にいる生徒ばかり気にしている。支えているのは俺たちなのに..


閑話休題。


人には適材適所があり、それぞれの役割を一生懸命こなすことで社会はまわっているのだ。でも、そんなことを思春期真っ只中の中学生男子に理解させるのは、相当な難問だろう。

きっと中学生の頃の自分は無限の可能性を信じていたのに、そんな中突然「脇役」を与えられたように感じてしまった。だから主役に嫉妬もし、怠慢な態度を披露してしまったのではないだろうか。

エースを目指す、四番を打ちたいと努力する、夢を追いかけた上での二番セカンドでなければ、矜恃も生まれてはこない。挑戦の自由は自分自身のプライドを作り上げるために重要なのだ。

ということで「男子にちゃんと歌って」もらうには、主役も経験させてあげるべきなのかな、と思う。(今の教育を知らずに語っているので、その点は悪しからず)男女で一区切りさせるのではなく、自分の歌ってみたいパートに自由に挑戦できる環境が一つの解決策なのかな、と。


そんな中学校音楽の世界を私は信じる。


(本文おわり)

余談:谷川俊太郎の詩は素敵ですね。伝えたい言葉が多いほどうまくまとめられず、僕はもどかしい。写真はジャズバーです。ベーシストかっこいいです。

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