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にげる.com 2018の6

そんなわけで、ぐだぐだっとしていた分
反動みたいなもんで、勢いあって。
ですから人間、間みたいな時間は大事と
これまただらけてるのに理由をつける。

リュック二つくらいで隣県の空港から
飛ぶこと3時間、西のある土地に着いた。
あてはなーんもない。
ま、とりあえず当面の生活資金はあったし
しばらくは大丈夫だろとタカを括って。

マンスリーマンションを借りて、自転車を
買った。県でも中心地というか車なくても
便利な街だ。気候も暖かいので、生活は
しやすい部類だと思う。

この辺が初期投資みたいなもんで約10万
円くらい。
自分ですぐできることというとパチプロのまがいものみたいなことなので、まあ、
それをなんとなくやろうかなと、それと
形はどうなるかわからないが、土地柄的に
ハッピー感が強い場所なのでそこから何か
仕事ができないかな?と漠然考えていた。

だから、会社に勤めるとかの気はサラサラなかった。なんとかなる感が何故かやたらと満ちていた。なんでだろうかね。
自己啓発系とかにモロに触発されていたという理由は簡単につくが、それは表面的で本当は色んなことから一気にラクになりたかったとか、なんとなく陽気な雰囲気に染まりたかったとか自分の気持ちだかほんと
の所まではよくわからないもんだ。

それを楽しむ余裕などは当時はなかった。
希望があるとそこに向かって頑なになる
タイプなので遊びがないんだよな。
遊んでるようでイマイチ楽しいと純粋に
思えない。

住み始めからしばらくは友人Aといろんな観光名所を見に行ったり、お酒を飲んだりしていた。一ヶ月も経つと落ち着いてきて時間があるときには車で30分以内のパチンコ、パチスロ店は覗いていたり、実際に打つこともあった。
地元の情報サイトなどと状況を照らし合わせてなんとなく自分に合った店の目星もついた。

生活費をパチ、スロで捻出しようとするのは今回が初というわけでもなく。二十歳くらいの時に2年程度やっていた。
時給に換算すると600円くらいだったが、
まー気楽でよかった。
そもそもパチの歴だけ無駄に長いし、仕事もパチ関連が一番長いしで、別に今はものすごく好きということもないが、
なんとなく付かず離れずといったところ。

だから覚えたころからなんだかんだ続けているが、ひどく借金することもあったし、
それでとんでもない嘘つくこともあった。
そんなところもまーなんとかなってる。
ラッキーだと思う。辛いけどなんとかはなっている。

といっても当時はもう大負けするのも稀という機種構成。どこから大負けかは個人によるが、ある程度打てれば&だめな台を打たなければちゃらくらいにはなると考えていた。

なんだかんだで年間の収支がマイナスとかはここ最近はなかったので、ま、なんとかなるでしょって感じ。
時間もあったし、土地柄的に勝ちやすい部類だったし、条件は悪くはないはず。

で、そうやって勝ったり負けたりしながら
生活をしていたのだが、やはり生活費の全てを捻出できるほどは勝てなかった。
マイナスの月もなかったのだがジリ貧で
勝負すべきところも及び腰になっていったし、思考も行動も狭くなっていった気がする。そう甘くはないものだ。当然。

別の仕事も個人ではじめていたのだが、
これはライター業に近いもの。
これも自分でゼロから始めたもので周りの人達は応援してくれたがコンスタントに続けていくにはきついものがあった。
主に収益面でいきなり結果がでるタイプではなくコツコツと広げていく感じだったので今でも続けているが、気が乗ったとかそんな時しか動けていない。

一応、肩書きが必要なときはこちらの職業を名乗る。だから勝手にフリーランスとかいっちゃう感じ。

一度、生活の固定費をすこしでも下げようと家賃の安い物件を借りようとしたが、
審査的なものがだめだった。
当然の如く、社会的信用みたいなものはない。そんなものだろう。

広い意味での社会から外れてしまうのを
恐れて身体や精神の調子を崩していたのに
ちゃらんぽらんになってからは、
ま、そうだよねーみたいに笑えるだけ健康
なのかもしれない。

歯をくいしばってがんばってるってのも、
いつかガタが来るもんだ。
ですから、窮地にどんどん追い込まれると
いうか自業自得の見本みたいな状態なんですが、健康ならなんとかなるわなと気楽は気楽なのであった。


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