19世紀らへんの避妊 19世紀らへんシリーズ①
まえがき
本記事は、アマチュアが創作をする上で当時の生活資料を調べたものをまとめたものになります。所詮はアマチュアがあらゆる先達の資料から畏れ多くも齧り抜き出した知識なので、プロなどある程度の責任が必要とされる場面に知識を持ち込む場合は、下方に引用元として参考資料欄にあるものを直接お読みになられるのが良いでしょう。
また、筆者は19世紀パリを目的に資料を漁っているのでそこらへんへの記述多めです。
避妊
避妊方の代表格であるコンドーム
ゴム製のコンドームが社会に広まり出したのは19世紀末期のことであり、それ以前のコンドームと言えばギョッとするものに溢れています。魚の浮袋だとか、ラバの毛を編んだものだとか。その中でも特に奇妙なものを例にあげるなら、古代ローマ軍の中には打ち破った敵兵の皮、または筋肉を原料としコンドームに加工したものがあると伝えられているそうです。それを受け入れる側を思うと、眉唾であることを願わずにはいられませんね。
紀元前はもちろん、フランスのカンバレル洞窟にある一万二千年前の壁画にすらペニスに覆いをつけている男女という姿でコンドームそれらしい存在が描かれているらしく、犬ほどではないにしろ、人類にとってコンドームは古くからの友人だと言えるでしょう。
コンドームの語源は、元イングランド王であるチャールズ二世(1630-1685)の侍医であったコントンさんの名前からきている、というのが強く広がっている説だそうです。このコントンさんが作出したという山羊の腸で出来ているコンドームこそが、ゴム製のコンドームが世に広まるまでの間コンドームの王として君臨していたと伝えられていますが、コントンなんて姓はイギリスに無いというのもあり、非実在の伝説に過ぎないという話もあるそうです。
また、コンドームの語源としては他に「保護する」「容器」を表す「conduma」だとか、「剣の鞘につける偽の鞘」という意味の「comdum」とする説もあるそうです。そういえばですが、前述した魚の浮袋というのは、この時代に果敢にも山羊の腸へと挑むが主流を奪い取れなかった敗北者でもあります。
ちなみに現存する最古のコンドームは、ツタンカーメンの布製コンドームだとされています。↓
また、先ほど名前が出たチャールズ二世の父、チャールズ一世の仕官の私物とされているコンドームにはラテン語説明書が付属していて、なんと再利用可能だったとのこと。現代人からするとコンドームを再利用するなんてあまり考えたくないところだが、どうやらコンドームは使い捨てだとここら辺の時代だと一概には言えなかったようです。
その一例として、それから100後の人物であるドイツ人、ヨハン・ゾファニーが1779年に描いた自画像では、背後にコンドームが干されている風景を含めて描かれています。↓
全員が全員ハナから再使用が前提だったとは断言できませんが、これらの動物の臓や皮膚を使ったコンドームの再利用は珍しい話ではなかったのでしょうね。衛生的にも怪しいですし、動物の腸を使ったコンドームは破れやすかったり小さい穴からも漏れやすいといいますから、病気予防面で見ても、避妊面で見ても、現代のゴム製使い捨てコンドームとは比べ物にならないでしょう。
しかし腸製のコンドームの歴史はそのギョッとする材料や使い方の割に比較的新しいもので、大規模製造がされた頃を基準とするならばその歴史は17世紀後半のことでした。それ以前は個人使用を目的に自作したり、小規模販売として専門家が制作していたそうです。当時はリネン製のコンドームも存在していましたが、製造コストと売値が高く、腸製より特別優れる点に欠けるために、1800年代には姿を減らしていったそうです。一方の腸製コンドームはというと、20世紀に入るまで製造方法が変わることもなく比較的息の長い商売だったようで、入手方法はというと、床屋、売春宿の主人、行商人、居酒屋の主人など多岐に渡っていたようです。
ですが、人類はそんな不安定な腸製コンドームからの脱却への足掛かりが遂には生まれます。ゴム製コンドームは、1839年にアメリカ人がゴムの加硫操作を発明したことにより大きくその姿の輪郭を持ち始めました。この加硫操作によりゴムに伸び縮みする弾力性を持たせることが可能となり、その恩恵で1874年になりゴム製のコンドームが爆誕します。日本国産のゴム製コンドームは1909年の製造が初だそうです。
まぁ、この19世紀末前後のゴム製コンドームというのは、当然と言えば当然ですが現代のゴム製コンドームに比べて出来はお粗末で、熱に弱く経日劣化をしやすいという欠点があり、さらに1ダースで人間1人が食べる米一年分となかなかの高級品でした。これらの欠点を補えるようになるのは、1930年頃に天然ゴムラテックス製コンドームが誕生した頃の話になります。
20世紀になってもコンドームは性病予防具としての扱いが主でした。いくつか遡って17世紀の話になりますが、当時性の乱れる場所として悪評高かったセントジェームズパークは売春や男女の逢引きだけではなく、同性愛者の出会いの場所としての側面もあり、『オウムへのアーモンド』には同性愛者男性によるコンドームの使用も仄めかされています。現代においてもゲイのコンドーム使用は推奨されていますが、当時のゲイ男性の性病予防意識とコンドームの性病予防具的側面が窺えます。
女性側の避妊方(ペッサリー、避妊薬)
避妊と言えばコンドームですが、女性側が装着するものも古くから存在しました。その一つがペッサリーです。ペッサリーも時代によって様々なものがあるそうで、青銅製のものがあれば、スポンジ製のものも。
ペッサリーの語源はギリシャ語の丸い石を意味する「pessós」という語から来ているそうです。
↓こちらは青銅製で、紀元前のものになるそうです。
↓そしてスポンジ製の1920年代に販売されていた殺精剤入りのペッサリー。
ペッサリーと一口に言っても、コンドームに腸製のものがあったり布製のものがあったり色々なんですね。こう言った製品もあれば、紙の詰め物をしたりなどという方法もあったそうです。ちなみに失敗率はコンドームと同じくらいらしく、意外と効果があるのか無いのか…
また、20世紀に入ると子宮口に差し込み、精子の侵入を防ぐ目的の避妊ピンなどが登場するんですが、付け心地も悪いらしく、痛みを伴ったり炎症などの病気を招くこともあったそうです。想像してるとお腹が痛くなってきます。
避妊薬
はっきり言って、コンドームや女性向け避妊具の歴史もなかなかに奇妙でしたが、避妊薬の方がよほど奇妙でしょう。それだけ人類は避妊に必死だったのだと感じることができます。
例えば、エジプトのパピルスにはワニの糞とハチミツを混ぜ女性器に入れると避妊ができると書かれていたようで、エジプトの避妊方についてはギリシャの医学者ソラヌスも自身の避妊学は大抵がエジプトのものだと語るほどだったそうですが、今の価値観だと避妊どころか感染症で命を落としそうな恐怖心が勝ります。
ですが中にはちゃんとそれっぽいものもあり、その一例がノラニンジンというこの花↓の種子です。
このノラニンジンは紀元前5世紀からずっと、現在ではインドの一部でも避妊薬や堕胎薬の材料として現在も有効性のあるものとして受け継がれてきているようですが、安全性の保証には欠けるそうです。
もっと効果が強いものもあるにはあるらしいですし、19世紀から避妊薬、というより堕胎薬は存在してはいたらしいですが、それくらいになるともう効果が強過ぎて服用者の体調に不調をきたしてしまうらしく、やはり常用の避妊薬というよりは緊急用の堕胎薬というのが相応しそうです。
そしてさらには現代のピルにつながるものも中にはあり、アステカの民間伝承ではヤマイモが避妊に良いとされており、事実、1940年代にアメリカ人科学者がメキシコのヤマイモから避妊に有効なプロゲステロンを大量に合成し、1955年には避妊効果の報告、遂には1960年にピルの承認を受けます。しかし、同時に副作用などが重く問題にもなりました。
避妊の扱い
現代にも宗教や道徳観により避妊を罪として扱う風潮は残っています。そしてその概念は長い歴史の中で何度も顔を出してきて、19世紀も含む近代もその例外ではありません。
1780年のこと。アーガイル公は英国議会でコンドームを頭上高く振り、コンドームが女性の堕落を招いているとしコンドームの使用に規制を促そうとしたが、コンドームよりもイングランドとスコットランドの統合に熱心だったアーガイル公の方が嫌われていた当時の状況も併さったのか、結果その行動は揶揄りのネタとなりアーガイル公に向けられる武器の一つとなってしまった。
18世紀には前述のオウムヘのアーモンドをはじめとし、コンドームに対する賛歌のような詩がいくつか創造され、市民の間でもロシアからドイツ、イギリス、フランスまで広く普及し行商人もコンドームを公然と販売し、国家権力もそれに介入することはなかったそうですが、一方で少子化を招き、淫蕩を加速させるとして避妊具を敵視する人もいたようです。
ですが、法で規制しないからと言ってそれを政の場が堂々と認めていたかというとそうでもないようで、コンドームに纏わる性行為と当局を結びつけないためにもコンドームの販売をする行商人に課税をしなかったともいいます。売春などと同じで、存在しているのは周知の事実かつ、必要だと広く理解されていても大っぴらに認めたくないもの、という扱いだったのかもしれませんね。
また、19世紀の末や20世紀に入っていくとナショナリズムや富国強兵やらで人口増強を狙った価値観が強くなっていきますし、アメリカなどでは1840年代には多くの州で避妊具などの使用禁止令が出たりなど、避妊への風当たりは強くなっていきます。一方で、堕胎についてはいずれの地域でも厳しい見方が歴史的に多く、19世紀フランスにおいても堕胎罪というものが適応されました。
参考資料
URLあり
『コンドームの歴史』 アーニェ・コリ
富士ゴム化成株式會社
Wikipedia
Wikipedia
THE GOLD ONLINE
NATIONAL GEOGRAPHIC
BBC
URLなし
『コンドームで培ったラテックスの製膜技術』対馬恭吾
『医学のあゆみ』(1995,174巻)
Jansen, Gabrielle Claire; Wohlmuth, Hans (January 2014). "Carrot seed for contraception: A review". Australian Journal of Herbal Medicine. 26 (1): 10–17.
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