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私の知ってる「悪い子」~芋虫死闘編~

私が通っていた小学校の学区内には児童養護施設があり、そこで暮らす子どもたちも同じ小学校に通っていた。その施設について親や教師からは「事情があってお父さんやお母さんと一緒に住めない子たちが一緒に暮らしているんだよ」と教えられた。みんなで一緒に住んでいるなんて面白そうだなと思った。

家が近かったので、施設に遊びに行ったりもしていた。それぞれの子に個室が割り当てられていて、まだ自分の部屋がなかった私はそれをとても羨ましく感じた。

その施設で暮らす、K君という男の子がいた。

わんぱくで、クラスの子にちょっかいをかけて泣かせたり、反抗的な態度で先生に叱られたりすることの多い子だったが、孤立したりすることなく、みんなと分け隔てなく遊んでいた。私も同じクラスで仲が良かった。

ある時、K君を放課後の遊びに誘ったら、「今日はお母さんが来る日だからダメ」と言われた。私は驚いたが、K君が毅然とした口調で言うので「そっか、わかった」と納得してみせた。

お母さんと会うために、約束が必要であること。

その感覚を私は全く理解できず、あのK君が遊びよりお母さんを優先するなんて、と不思議に思ったのをよく覚えている。その時のK君の顔には揺るぎない眼差しと少し照れ臭そうな微笑みがあった。私は何にもわかっていなかった。ばかみたいに平和な子どもだった。その時のK君のこと、そして無知だった自分のことを、今でも時々思い出す。


さて、ある日の学校帰り。

K君とやんちゃな男子数名が「俺たち今日は崖から帰るんだ」と言った。私の通っていた小学校は小さな山の上にあり、急勾配の坂道を登らなければ辿り着つくことができないという小学生とってなかなか過酷な通学路であった。特に運動が苦手で体力のなかった私は、ピアニカや絵具セット、アサガオの鉢など荷物が多い日には、上り坂の途中で何度も挫けそうになり、半分泣きながら登校していた。小学生にして全てを投げ出してしまいたい気分を味わった。

坂道はガードレールで仕切られ、その向こう側は崖のようになっており、樹木が生い茂っていた。K君たちは通学路の坂道ではなく、その崖を降りて帰ろうとしていたのだ。危険極まりない行為であるが、彼らは何度かその崖を降りて帰ったことがあるらしく、自信満々の様子で「長瀬も行く?」と私を誘ってきた。

その頃の私は男勝りな女の子に憧れていた。セーラー戦士ならセーラージュピター(まこちゃん)が好きだった。武闘派で男勝りなまこちゃんのようになりたくて、友達が柔道を習い始めると聞いた時には自分も習いたいと懇願したりもした。しかしながら、走るの遅い、体力もない、逆上がりもできなければ跳び箱も飛べない、背の順の一番前に並び、前ならえで腰に手を当てている枝バディの軟弱小学生には無謀と判断したのだろう、両親から必死で止められ、泣く泣く諦めたのだった。

さて、そんな私に降って湧いた崖を降りようというK君たちからの誘い。どう考えても不相応なその誘いに私はすぐさま「行く!」と返事をした。

私は思った。これは絶好の男勝りチャンスであると。柔道を習えなかったリベンジを果たす時が来たのだと。

もちろん、怖くないと言えば嘘になる。K君たちの後を追いながら、あの崖を降りる?そんなことできるのか?アホなのか?という不安が頭の中でひしめき合っていた。しかし男勝りを目指すものとして、ここは恐怖に打ち勝たねばならない。まこちゃんのような男勝り女子なら平気で崖下りをやってのけ、何なら一番先に降りて行って「男子遅いぞー!」なんて言いながら颯爽と走り去っていくに違いない。イメトレは完璧。今こそ私の中に眠る男勝りが目覚める時だ。己を奮い立たせ、私はK君たちと共に崖の上に立った。男勝りに、俺はなる! 

男子たちは慣れた様子で枝に掴まりながら木から木へと崖を下りていく。特に運動神経抜群だったK君は、ひょいひょいとまさに猿のような身のこなし。遅れをとるまいと私も後に続く。

ひ~、怖い。めっちゃ崖。

ちゃんと掴まっていないと転げ落ちてしまいそうだ。恐怖を払いのけ、全力で太い枝に掴まり足を踏ん張る。下の方から「長瀬、いけるー?」と聞かれて、肝の据わった誇り高き男勝りである私は「いけるー!」と余裕の表情を見せた。必死で木から木へと腕を伸ばし、慎重に崖を下る。K君たちにはかなり離されてしまったが、それでも何とか自力で崖を下っていることに、私の気分が高まっていった。

怖いけど、意外といける、いけるぞ。私、今めっちゃ男勝り!

そんな高揚感に包まれ、男勝りMAXトランス状態で崖下りも後半戦に差し掛かった頃、木の枝を掴んだ右手に何か小さな感触があった。見てみると、芋虫がちょこんと佇んでいた。

「ぎいいいやああああああ!」

響き渡る叫び。男勝り終了のゴングの如し。涙が溢れ、足がすくんで、私はもうその場から動くことができなかった。高い、怖い、動けない、虫いる。このままずっと動けなかったらどうしよう。恐怖がさらなる恐怖を呼ぶ。芋虫の鎮座する枝にしがみついたまま、これから一生この崖で芋虫と2人きりで生きていかねばならないのではという破滅的な未来を想像し打ち震えた。こんなところに来るんじゃなかった。絶望と後悔に支配され、ただただ、泣き続けた。

そんな私の元へ、一筋の希望の光が差した。

「大丈夫!?」

K君だった。私のところまで登って戻ってきてくれたのだ。

「むうううしいいいいいい!もおおおやああだあああ!」

K君は私の手を引き、ゆっくりゆっくり、一歩一歩、一緒に崖を下りてくれた。いつもはぶっきらぼうなK君が「大丈夫!大丈夫!」と優しい口調で励ましてくれて、申し訳ないような、むず痒いような、変な気持ちだった。どうにか無事に道路に辿り着き、私は大冒険を終えた。

次の日、大泣きしたことをバカにされるに違いないと、内心ビクビクしながら学校に行った。しかしK君は何も言わずいつも通りだった。意外に思うと同時に、ほっとしたのを覚えている。

それからしばらくして、私は父親の転勤でその学校から転校することになった。K君はもちろん、他の友達ともほとんどそれっきりになってしまった。


時は流れ、去年のこと。その頃の小学校の同級生と20年ぶりに再会し、懐かしい話で盛り上がった。あいつはどうしたとか、こいつはこうなったとか、私の知らなかったみんなのその後を知ることができた。その中でK君について、少年院に入っていた、と聞いた。

客観的に見れば、何ら不思議ではない話なのかもしれない。施設に預けられていた子で、やんちゃで反抗的で先生にいつも叱られていて、崖を下るなんて危ないことも平気でやっている、そういう子。ステレオタイプの「悪い子」。でも、私にとってのK君は、みんなと仲が良くて、お母さんと会う約束を優先していて、崖で私を助けてくれた男の子だ。本当はいい奴だ、なんて言うつもりはない。でも、人生は一色では塗れないはずだ。

彼は今どうしているのだろう。どこかでちゃんと更正して元気にやっているのだろうか。それとも、より悪い方向へと向かっていってるのだろうか。反省して苦しんでいるだろうか、開き直っているだろうか。泣いている人に手を差し伸べているだろうか。なんにせよ、彼の人生だ。彼は彼なりに生きたのだし、これからも生きていくのだろう。

そして、私の中にも彼がいる。それは誰にも塗りつぶせない。今の彼にでさえも。

もし彼が、あの崖でのことを忘れていたとしても、私の中では存在し続ける。同じように、私も誰かの思い出の中で私の知らない私として存在しているのかもしれない。今の私がどんな人間であろうと、その人の中で私は一人の確固たる私として生き続ける。他人の中に散り散りに生きている散り散りの私。そんな風に、私の知らない私が他人の中で無数に、多彩に生きているとしたら、私の人生は、私が知っているよりずっと豊かなのかもしれない。

先日、久しぶりに昔住んでいた地域に行く機会があり、あの崖の前を通ってみた。全然、崖じゃなかった。普通に斜面だった。でも、あの頃の私たちにとって、あれは紛れもなく崖だった。超絶危険な崖だったのだ。


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