見出し画像

桜に陥落するかもしれない

3月の頭、北海道から東京に引っ越してきた。

新しい住処となるマンションはすぐ隣が広場になっており、そこにはいくつか木が植えられていた。そのうちの一本はちょうど我々の住む二階の部屋の正面にあり、玄関を出ると、木の上半分が目の前にバーンと飛び込んでくるような配置である。

引っ越してきた日、その木を見た夫が、「これ、たぶん桜だよ!」と目を輝かせた。大好物のとんこつラーメンを見るときと同じ目をしていた。まだ何も咲いていないのに、どうして桜だとわかったのだろう。私にはただの茶色い枝にしか見えない。しかし、その疑問を口にすることで桜の話題をずっと続けることになったら面倒なので、「ほーん」と生返事をするだけに留めた。そして、ここらへんには飲み屋がどれくらいあるのか、という重要な検索を続けるため、スマホの画面へと視線を戻した。

私は桜が好きではない。いや、思い入れがない、と言った方が正しいかもしれない。

卒業入学シーズンに咲くことから、桜は出会いと別れの象徴として用いられることがよくあるが、私の人生において、卒業式や入学式の日に桜が咲き誇っていたことは一度たりともない。なぜなら、北海道(中でも私が生まれ育った道央・道北)で桜が咲くのは毎年4月末からGWにかけての時期だからである。式典で咲いているのは、在校生がピンクの画用紙でつくった桜だけ。切り抜いた桜の花に一文字ずつ乗った「卒・業・お・め・で・と・う」の文字に見送られ外に出れば、そこはまだ雪景色。人々はコートにマフラー、見上げた空から舞い落ちるとすれば桜ではなくやはり雪である。私にとって卒業式と桜、入学式と桜、というのは、捨て犬とヤンキー、曲がり角とパンなどとほぼ同列のフィクション。もしくは「※写真はイメージです」と書かれたお菓子のパッケージのようなもの。何というか、リアリティがない。卒業入学シーズンには、そのリアリティのないイメージを強要されているような、一種の押し付けがましさを感じていた。

また、これは私の体感でしかないが、北海道の桜は異常に早く散る。桜開花のニュースを見て、ふと気づいたときにはもう散っている。4月でも夜は氷点下になったりするので、そのせいかもしれない。儚いにもほどがある。北海道は日本列島を北上してきた桜前線の最終地点である。それはつまり、最後にとどめを刺される地、桜前線の墓場とも言えるかもしれない。

そんな儚すぎる北海道の桜なので、花見などしてみても、ちゃんと咲いているときに当たった記憶がない。そしてこの時期の花見は極寒。ビールを飲む唇が小刻みに震える。これも私の中で桜の印象を下げている原因の一つかもしれない。私は大変に寒がりなので、春になって雪が溶けることが嬉しすぎて、桜が咲いていることへの興味が薄いというのもある。桜の開花よりも数ヶ月ぶりに顔を出すコンクリートの地面に興奮する始末である。

そんなだから、桜ソングにも共感できた試しがない。もはやアーティスト一組につき一曲は桜ソングがあるのではないかと思うほど、桜にまつわるJ-POPは多い。メジャーデビューする際の契約書に「桜ソングを一曲以上リリースすること」という項目があるのではないかと疑っている。美しく儚い桜のイメージは曲にしやすいのかもしれないが、桜のイメージに頼ってとってつけたように桜桜と連呼しているような曲も多い。睡蓮というシブいチョイスでレゲエ砂浜ビッグウェーブを巻き起こした湘南乃風を見習ってもらいたいものである。などと書きながら念のため湘南乃風を調べてみると、『ガチ桜』という曲もリリースしていたので頭を抱えた。

さて、そんな私が目黒川の桜を見たのは、3月の最終週のことであった。

わざわざ見に行ったわけではなく、友人と近くで飲む約束をしていて、せっかくなので見物していくか、という完全についでの気持ちであった。

衝撃だった。想像の50倍くらい桜桜桜桜桜桜。川沿いにぎっしり、桜並木。壮観だった。その景色は私が長年培ってきたひねくれ根性を一撃で引き延ばしそうなくらいの威力があった。すごい人混みだったが、これだけの人間が押しかけても、霞むことのない華やかさだった。これが全部散ってしまうとしたら、それは確かに儚いわ、と思った。盛者必衰のことわりをあらわすわこれは、と思った。

気付けばこの時期、東京のどこを歩いていても、視界のどこかしらにピンク色の部分がある。道路脇に桜、公園にも桜、住宅街にも桜。北海道とは、そもそも桜の木の数が桁違いなのだ。

近所を歩いていて、たまたま学校の前を通ったらどうやら卒業式だったらしく、卒業証書の筒を持った生徒たちやフォーマルに身を包んだ親たちが学校の前に集まっていた。そして、校舎の傍らには満開の桜。思わず見入ってしまった。その光景はまさに、桜ソングのミュージックビデオそのものだったのである。

出会いと別れの思い出が、こんなにも直接的に桜とリンクしている。もしかして、ミュージシャンたちは本当に桜に思い入れがあるから桜ソングを歌っていたのか? 目から鱗であった。「※写真はイメージです」じゃなくて、現実だったのだ。私が知らなかっただけで、ガチ桜だったのだ。

私はまだ桜が好きだとはっきり言えるまでには、桜に心を許してはいない。ただ、あのピンク色を眺めながら酒を飲んだらうまいだろうな、くらいには思っている。「それはもう好きになっているのでは?」という指摘には反抗させてほしい。東京にきた途端桜に夢中になるのは、なんだか悔しい。手のひらを返すにしても、もう少し勿体ぶって返したいところである。だから、夫が転職先の職場にはじめて出勤する日、玄関ドアを開けて「いってきます」と言った夫の背後からバーンと桜色が飛び込んできた瞬間のあの胸のときめきにも、歯を食いしばってどうにか耐えたのだ。

私が桜に陥落する日は、そう遠くないかもしれない。



---

北海道から東京に引っ越して思ったことを書くシリーズをはじめます。こちらのマガジンにまとめていきますので、ぜひフォローをお願いします!

この記事が参加している募集

桜前線レポート

「あちらのお客様からです」的な感じでサポートお願いします。