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【5月11日】 カニとかイカとかの話をさせてしまった

某日

休日。夫と近くの焼きそば専門店で昼食。レモンサワーを注文したら、ちゃんとお通しがついてきた。ちくわと長ネギをマヨで和えたものと、ザーサイ。これが思った以上にうまい。このあと登場する焼きそばの地位を揺るがさない程度に軽く、それでいてつまみとして十分に存在感がある。胃が温まったところに満を持して登場した焼きそばは、適度な焼き目がつけられ、麺が麺としてあるべき姿の中で最も適切なパリパリ具合。夫と半分にしたチャーシュー丼も大正解。やはり米があると安心感が違う。注文の際、土壇場でピリ辛ねぎトッピング別皿を追加したのは今日イチのファインプレーである。焼きそばもチャーシュー丼も味変うまさ2倍増し。最高。自分で自分を褒めたい。五輪メダリスト並みの自己肯定をくれるピリ辛ねぎ。さらに予想を超えてきたのが、セットでついてきたスープ。妙にうまい。妙にうまいとしか言いようがない醤油味。私はこのスープで焼きそばを流し込むこともできるし、レモンサワーで流し込むこともできる。合間にザーサイをつまむこともできる。できることが多すぎる。食事という行為は選択が多ければ多いほど興奮する。何をどの順番でどのように口に入れるか、いつ汁物を飲むか、いつ味変を投入するか、思うがままにできる喜び。脳の指示通り箸を動かせる喜び。赤ちゃんが離乳食をあーんされて泣いているのを見ると心底不憫に思う。次はそっちのかぼちゃペーストいきたいんだよぉとかあるよね。麦茶飲むタイミングとかあるよね。わかる、わかるよ。

すべてを平らげ店を出る。これは、飯のジャンルでいうと、何だ。レモンサワーとつまみから始まっている流れ、ただのランチと呼ぶには味気ない。しかし、酒は一杯だけなのがポイント。メインはあくまで食事。よって昼飲みとも違う。「ちょい飲み」的なことになるのかもしれないが、「ちょい」に逃げたくない自分がいる。もっと重厚な名前が相応しい。

あまりに完璧な休日の昼。感動のあまり、道端で夫にハグした。


某日

千葉県某所にある大学の先輩の自宅でやるバーベキューにお呼ばれする。家主の先輩と会うのは大学生振り、実に10年以上の振りも振りである。他の先輩から誘われて、今回参加することになった。

この久しぶりに会う家主の先輩は、大学時代から明らかに人と異なるオーラを放っていた。いつも背筋がすっと伸びていて、所作に落ち着きがあって、知的だが堅物でなく、物腰が柔らかい、あれだ、相棒の右京さん、みたいな大学生だった。私はそこまで親しかったわけではないが、友達が同じゼミだったのでよく話を聞いていた。先輩の家におじゃますると、ちゃんとしたティーセットでこだわりの紅茶を入れてくれると言っていた。ますます右京さんである。他の大学生が酒を飲むことを覚えてわちゃわちゃしている中、その落ち着きっぷりは異彩を放っていた。なんというか、「こういう人がいる大学という場所に来れてよかったな」と思わせてくれる、そんな面白さのある人だった。

待ち合わせ場所のスーパーに現れた先輩は、これからバーベキューをするというのにジャケットを羽織っていた。あの頃のイメージのままである。

先輩が少し前に買ったという自宅は、広い土地に二つ古民家が並んでいて、もう一軒建てられるくらい広い庭があった。二つある家のうち一つをリフォームして、一人で暮らしているという。室内はおばあちゃんの家を洗練させたような雰囲気。家具はアンティークで、特大のいかついステレオ、レトロデザインのバイク。激渋。めだかとヘビとウズラを飼っていて、部屋の片隅には掛け軸があり、ベランダの向こうには灯篭が見える。同年代が灯篭のある家に一人暮らししている事実に衝撃を受ける。私の周りでも多くの人が結婚し、家族を持ち、家を建てたりマンションを買ったりというのがもはや当たり前の年齢で、賃貸住まいの私はその度に「みんな大人だな〜」なんてほげほげしていたのだが、いやはや、こういう「大人」もあるのか、という感激。そうだよな、大人ってもっと自由だよな、と、世界が開けた心地であった。

早速バーベキュー、かと思いきや、先輩は、「ほら、今日は暑いからさ、まずは部屋で涼んでよ」などと言って私たちを座らせ、「食前酒はコーヒーのリキュールと梅酒、どちらがいい?」なんて聞く。どちらも自家製。私は梅酒をいただいたが、とてもおいしかった。そのあとこれまた自家製の燻製やら庭で採れた大根の漬物やらが丁寧な盛り付けで次々出てきて、高級な焼酎や日本酒も飲ませてくれた。先輩のもてなしにより、バーベキューが始まる前にみんなすっかり酔っ払ってしまった。

ウズラは庭に数匹と、室内飼いが一匹いて、なんで一匹だけ室内なんですか。と聞くと、「その子は最初にうちに来たんだよ。タロウっていうんだ」と先輩は穏やかな口調で長男ウズラを優遇していた。タロウを抱かせてもらう。小さいので抱くというより掴むの絵面である。羽に繊細な温もりがあった。

暗くなるまでバーベキューをして、ダーツをして(家にダーツがある。大型テレビに点数のやつも映る)、へべれけで2時間電車に揺られて帰宅。帰ってから、キャップを忘れたことに気づく。先輩にLINEすると、「近く送るよ」と言ってくれた。


某日

夫が最近、UFOとかカレーメシとかの「完全メシ」に注目している。これらを食べてあすけん(食べたものを入力するとカロリーや栄養バランスを出してくれるアプリ)に入力すると、各栄養価のグラフがぐいーんと伸びて嬉しいらしい。栄養価が高い完全メシシリーズ。どうせインスタントを食べるのであれば、栄養価が高いものを選ぶに越したことはない、とは思うが、どうしてこんなに栄養価が高いのか謎、インスタント食品に栄養をのっける技術とはどういうものなのか、全くイメージできない。信用できない、というわけではなく、単にイメージできなくてびっくりしている、という感じ。

この驚きは、少し前に話題になった、白い粉状の完全食を溶かして飲むだけの生活を長年続けている男性の件を思い起こさせた。その人は本当に突き抜けていて、「食事は効率が悪い」「食事で得られるアウトプットは便」みたいなことを言っていて、食い道楽の私としてはとてもじゃないが理解できない存在なのであるが、この人がその完全食なる白い粉だけで生きていることへのびっくりというのは、夫が食べているインスタントの完全メシに対するびっくりと同じものである。

そのことを夫に言ったところ、様子がおかしくなった。「俺はおいしいから完全メシを食べてる! おいしくなかったら食べていないからあの人とは全然違う!」と必死の抵抗。どうしてもその「アウトプットが便」発言の人と同じ括りにされたくないらしい。いや、そもそも同じ括りにしたつもりはない。完全メシを食べるマインドの話ではなく、それだけで生きられる成分? 栄養ってなんだっけ? みたいな、そっちの話なのだが、とにかく嫌だったらしく、めちゃくちゃ抵抗してきたのでしばらく笑った。


某日

冷蔵庫に長芋がある。今夜はとろろを食べよう。仕事帰りにそう決めたら、とろろのことしか考えられなくなってしまった。とろろ、とろろ。家に向かう坂道を上りながら、脳みそでとろろが連呼される。真夏にビールを喉に流し込みたくなる、それとかなり近い感覚で、とろろが食べたい。というか、飲みたい。とろろをごくごく飲みたい。家に着く。味噌汁を火にかける。長芋の皮を剥く。おろし器ですりおろす。大根よりもするするおろせるので嬉しい。卵を溶く。白だしを混ぜる。おろした長芋を入れる。混ぜる。とっぷ、とっぷ、とっぷ。重みがある。混ぜる。器に入れる。青のりをたっぷり振る。食卓。今日はあえてごはんの上にかけない。とろろを原液で楽しみたい。器に口をつけて、ごくごく、飲むように食う。星に願いを。私はこれを求めていた。とろろは飲み物。


某日

空気階段第7回単独公演「ひかり」を観に池袋の東京芸術劇場へ。空気階段の単独公演は第5回から3年連続で観に行っている。いつも面白いが、初めてDVDで第4回「anna」を観た時の衝撃が脳に刻まれすぎているため、なかなかそれに匹敵する感情にはなれていなかったのが正直なところ。しかし、今回のは凄かった。かなりきた。絶対DVD買おう。

一緒に行った友達と立ち飲み屋で一杯やり(実際には三杯)、そのあと一人で家の近くにある最近たまに寄るバーに入った。途中から私の両隣のお客さんが、「〇〇先輩知ってます?」とか「俺の兄ちゃんがよく△△さんの家行ってましたよ!」などと地元トークで盛り上がり、間にいる私は若干の気まずさと申し訳なさを感じたのだが、それを感じ取ったのであろうその人たちが今度は「北海道出身なんですよね?」と私に気を遣いはじめ、北海道を旅行したときの話や、カニとかイカとかの話をしてくれた。気を遣ってカニとかイカとかの話をさせてしまうようではもう駄目である。

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