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「誰か」の痕跡

一昨年の「第36回 香・大賞」で佳作を受賞したエッセイです。公式サイトでの掲載が終了したので、こちらに転載します。

エッセイコンテスト「香・大賞」



最近、フリマアプリを使って服を売買している。着なくなった服を出品し、その売上金で誰かの着なくなった服を購入する。まるで全国を股にかけた物々交換のようで楽しい。

フリマアプリには匿名配送というサービスがあり、お互い個人情報を伏せたまま取引ができる。商品が届いても、そこに送り主の名前や住所は一切書かれていない。だが、一つだけ残っているものがある。服の匂いだ。

 先日、アプリで購入したシャツが家に届いた。梱包を解くと、馴染みのない匂いがふわっと広がった。フローラルな柔軟剤のようで、単にそれだけというわけでもない、複雑な匂い。きっとその人自身や住んでいる部屋、生活のあれこれが混じり合った匂いなのだろう。

服の数だけ匂いがある。「お気に入りで大切に着ていました」と書かれていたニット、「結婚式で数回着用しただけ」だというワンピース、「新品タグ付き、サイズが合わず泣く泣く出品します」というスカート。それぞれ好きな匂いや苦手な匂い、ほのかなものから主張の強いものまで様々だ。顔も名前も知らない「誰か」の痕跡が私の部屋で生々しく香る。少しそわそわしながら、その痕跡と短い共同生活を送る。そしていつの間にか匂いは消え、その服は私の服としてクローゼットの中に溶け込んでゆく。

自分自身の匂いは感じにくいものだというから、もしかすると送り主にとってはほとんど無臭なのかもしれない。それはきっと私が売った服も同じだ。私にとっては無臭でも、買い取ってくれた「誰か」の元で、変わった匂いだなあなんて思われているのかもしれない。そして次第に「誰か」の匂いに変わり、「誰か」にとって無臭となり、「誰か」の物になってゆくのだろう。

顔も名前も見えない取引の狭間を、匂いが緩やかに繋ぐ。便利でスマートなシステムの中、ふいに取り残された生身の人間らしさが、気恥ずかしくも愛おしい。

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