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10月11日 さらば、関根

10月4日(火)

お葬式で履けるパンプスを買いに来たというお客さんが一日で3組も来店。普段は一足売れるだけでも珍しいくらいの商品なので不思議だった。「今夜この辺で大きなお葬式でもあるんでしょうかね?」と店長に疑問を投げかけたら、「うーん……国葬?」と返して来たので不謹慎にもクスっときてしまった。


昨晩放送の伊集院光・深夜の馬鹿力を聴く。先週、伊集院さんと師弟関係だった三遊亭円楽師匠が亡くなってから最初の放送。『Hey! みんな元気かい?』YO-KINGバージョンが流れて、伊集院さんが「これ金子が選んだ曲だけど、元気じゃねえっつってんだろ!」とディレクターに突っ込んだのがすごく良かった。

この『Hey! みんな元気かい?』という曲、私が中学生くらいのときのKinKi Kidsの曲で、当時、変な曲だなと思いつつも妙に惹かれるものがあってコンポでよく聴いていた。それを今日約20年ぶりに聴いたわけだが、あの頃とは感じ方がまったく違った。なんだかすごくしっくりきた。YO-KINGの味のある歌声も相まってのことかもしれないが、歌詞のひとつひとつがパズルのピースのように脳みそにきれいにはめこまれていく感じで、涙が出そうになった。あの頃の私が変な曲だと思ったのは、「まだ早い」部分があったからなのだろう。


10月5日(水)

結構ヨボヨボなおじいさんを接客していたら、「あんた、納言に似てるな」とヨボヨボ声で言われて、納言と言えばお笑いコンビの納言しか思いつかず、納言の薄幸(すすきみゆき)とは顔は似ていないのだが、同じく酒飲みであるという点をこのおじいさんは私の顔つきや所作から見抜いたというのか……?などとビビりながら「納言?納言ですか?」と何度か聞き直したら、結局のところ「孫」の聞き間違いであった。


10月6日(木)

昨日の夜、珍しく夫と大喧嘩した。まだ先のわからない捕らぬ狸の皮算用的なことが原因だったので、今思うとアホみたいな喧嘩である。仲直りできたが、頭に血が上っていろいろ酷いことを言ってしまった。仕事をしながら、昼食を食べながら、私が悪かったなと改めて反省。よって今夜は仲直りパーティーを開くと決めた。パーティーと言っても夫の好きなものを作るというだけの話である。夫に提案してみたところ私の予想通り「からあげ!」とことだったので、私は帰宅後、懺悔の念を衣にまぶして鶏のからあげを揚げた。夫はそれをうまうま食べていた。私の反省の色はからあげ色。


10月7日(金)

夜中、関根(うさぎ♀)の様子がおかしいことに気付く。ここ数カ月は足腰が弱って寝そべっている時間が増えてはいたが、寝たり起きたりは普通にできていたので、ご飯を食べたり水を飲んだりするのには支障はなかった。しかし、見ているとどうやら自力で起き上がるのがうまくできなくなった様子。脚をバタつかせ、何度かトライしてやっと起き上がる、という感じ。そしてしばらくするとまたバランスを崩して倒れてしまう。うさぎは高齢になると寝たきりになることも多く、もうすぐ11歳(人間でいうと90歳近い)の関根もついに寝たきり生活に突入か、と介護への覚悟。そしてもう死期が近いのであろうという覚悟をした。どうやら体重もかなり落ちている。持っただけで軽いのがわかる。確かに、ここ最近食欲が落ちている気はしていた。でもある程度は食べていたし、今までもそういうことは度々あったので、そんなに深刻に考えていなかったのだが、まさかここまで軽くなってしまうとは。うさぎは食べて腸を動かさないと死んでしまうというのが頭にあったので、とりあえず強制給餌(ふやかしたペレットをシリンジで口の中に入れる)をして、明日病院に行くことにする。


10月8日(土)

朝になると自力では全く起き上がれない状態になっていた。たまに起きようとするが、足をバタバタさせたのち「無理……」と諦めるのを繰り返す。腰を持って手伝ってやるとどうにか起き上がるが、すぐにフラフラして転がってしまう。手足に力が入っていない感じ。強制給餌をしても、いつもなら口に入れば問答無用でモグモグするのに、食べようとする気配がほとんどない。これは本当に死期が近いのでは、と改めて覚悟する。

病院に連れて行く。レントゲンを撮ると、肺が白い。肺炎を起こしているという診断。以前から胸に大きな腫瘍があるのだが、転移は見当たらないとのこと。注射を打ってもらい、薬をもらう。野菜ジュースで栄養補給するように言われる。強制給餌で食べられなかったペレットが口の中にまだ残っていて、無理に飲ませると誤嚥する恐れがあるので、少量のぬるま湯を口に入れてモグモグできるか確かめてから薬と野菜ジュースをあげるように、とのこと。自分の判断で強制給餌したことを後悔する。「もしモグモグしてくれなかったらどうしたらいいんでしょうか」と聞くと、「本来38℃あるはずの体温が33℃に低下していて、正直これはもう人間でいうと危篤状態。この2~3日ということが多いにあり得る」という先生の回答。つまり、どうしたらいいんでしょうかなどという話ではなく、もはや覚悟をしておくべき、ということらしい。それでも、できるだけのことをやるまでだ。先生の言うことを全てメモして帰宅。

「寝ているよりも座っている体勢の方が呼吸が楽なはずなので、倒れないようにタオルで固定すると良い」と先生からアドバイスがあったので、丸めたタオルで四角く囲った中に関根を座らせてみた。こんな状況であるが、固定されてタオルの上にあごをのせている姿がなんか可愛くて面白い。姿勢が楽になったからなのか、注射のおかげなのか、ほんの少し生気が戻った感じがした。

職場に明日休ませてほしいと電話した。今までは関根の病院に行かなければならないようなとき、仮病を使って仕事を休んでいた。ペットのことで休むなんて、と思われるのではないかと恐れていたからだ。でも今回はもう嘘に思考を割く余裕すらなかったのと、他人にどう思われようが私にとって重要なことなのだ、という決意みたいなものも勝手に湧いてきて、「うさぎが危篤なので休みます」と堂々と言えた。どう思われたのかわからないが、後悔はない。「うさぎが危篤」というワードがちょっと面白いなと、あとからじわじわきた。

先生はああ言っていたけど、なんだかんだで復活するような気がした。これまでも関根は何度か病気をして、もうダメかと思うところからの復活を果たしているのだ。覚悟しなきゃと思う反面、覚悟したら終わりな気もした。大丈夫っしょ!と大きく構えることで、運を引き寄せたいみたいな気持ちもあった。だから関根の様子を見つつ、年に一度のお楽しみであるキングオブコントも観た。だって、関根はきっと復活するから。

キングオブコントが終わった頃、ぬるま湯を与えると少しだけモグモグするようになった。その姿を見て、さらに希望が大きくなった。


10月9日(日)

早朝、水を飲ませようとすると、身を乗り出して自らシリンジを咥えようとするくらい元気になった。水に溶いた薬と、野菜ジュースを与えるとごくごく飲んだ。野菜ジュースは甘すぎてうさぎの体に良くないと聞いていたので、今まで一度も与えたことがなかった。今回は緊急の栄養補給で特別というわけなのだが、関根は「こんなにうまいものがこの世にあったのに秘密にしていやがったな」とでも言うように夢中になって飲んでいた。昨日と打って変わって目がぱっちり開いているし、鼻もひくひくさせている。昨日は鼻ひくひくすらしていなかったことに今気付いた。目に輝きを取り戻した関根を見て、これは絶対に復活すると確信した。しかし、夕方頃になるとシリンジを近づけてもあまり反応しなくなった。無理に飲ませて誤嚥してはいけないので、少し様子をみることにした。

仕事に行っていた夫が関根の大好物であるチンゲンサイを買って帰宅。そのうち食べられるようになると信じていたので、私が買ってきてくれるように頼んだものだ。野菜ジュースもまだまだ飲むと思って、二本買ってきてもらった。「ちょっとマシになったの~」と関根の顔を覗き込む夫の後ろ姿に、温かい気持ちになった。

夜の分の薬を飲ませたいが、モグモグしないので一旦諦める、を何度か繰り返していた、21時頃。明らかに関根の様子が変わったので、寝室で仮眠していた夫を慌てて起こした。二人で交互に抱いたあと、関根は動かなくなった。私の腕の中で、関根は10年10ヵ月の生涯を終えた。

かごに寝かせた関根をベッドの脇に置いて、隣で眠った。一緒に寝たことなどなかったから、不思議な感じだった。眠れないかもと思ったが、たくさん泣いたからなのか、割と普通に眠れた。


10月10日(月)

仕事に行く夫を見送ったあと、関根と2人きりで一日を過ごした。昨日のうちにペット火葬の会社を探して、明日の予約が取れたので、今日が丸一日一緒にいられる最後の日。

私が就職して一人暮らしをはじめた年に飼いはじめたので、私が一人暮らしをした約10年というのは、実際は一人暮らしではなく、ほとんど関根と共にあった。一昨年からは結婚して引っ越すことになって、夫という飼い主が増えて、それもまた楽しかった。夫の方が関根を溺愛していて、私はドライに接するというのがお決まりだったが、ドライに接していたのは、関根がいつもそばにいることが当たり前になっていたからに他ならない。

悲しいのと、落ち着くのを小刻みに繰り返す一日だった。BadCats Weeklyで連載の第一回がはじまったばかりだった関根のエッセイをどうしようか、なんてことも考えた。考えた末に、あえて今の状態で書いてみようと思いつき、関根を横に置いて書きはじめた。いつもは劇的に筆が遅い私だが、この気持ちを忘れないうちに書かなければという意志が働き、一気に大体を書くことができた。私もやればできるんだなと思った。

関根の絵も描いてみた。今までも写真を見ながら描いてみたことはあるが、実物を直接見ながら描いたことはなかった。なぜなら止まっていてくれないから。なので動かないでいてくれるこの機会を利用させてもらった。絵はヘタクソだが、顔とか耳とか手足とか毛とか、細部までよく観察することができて良かったと思う。

今日も隣で一緒に寝た。これが最後だから今度こそ眠れないだろうと思ったが、やっぱり割と普通に眠れた。眠れるんかい、と思った。丸一日使って納得のいく最後の日を過ごせたからかもしれない。


10月11日(火)

関根を車に乗せて、札幌の葬儀社へ向かう。ちゃんと喪服も着た。出発したときは晴れていたが、高速に乗ってから急に土砂降りになった。関根がごねているんじゃない、などと言って夫と笑った。でも実は出掛ける前に朝ごはんを食べながら行きたくないと泣いてごねたのは私なのであった。

途中でお花屋さんに寄って、火葬のときに供える花を買った。店員のおばちゃんがひまわりをゴリ押ししてきたが、関根のイメージと合わなかったので却下した。「ひまわりは元気すぎる気がして……」と言っているのに、「元気に送ってあげるの!」とやたらと主張が強かった。

ひまわり原理主義のおばちゃんをどうにかかわし、火葬場に到着。こちらのスタッフの男性は優しさの権化みたいな人で、大変穏やかに丁寧に対応してくれて安心した。最後の時間も急かされたりすることなく、ゆっくり悲しんで、ゆっくりお別れさせてもらった。好物のドライフルーツを馬鹿みたいに山盛りに皿に盛って持たせてやった。普段は数粒ずつしかあげないので、こんな山盛りを見たら狂喜乱舞するに違いない。先ほど買った花に加えて、花みたいな雰囲気でチンゲンサイも寄り添わせておいた。昨日買ったチンゲンサイである。夫と一緒にたくさん泣いた。夫がいてくれてよかった。こんなにも結婚しててよかったと思った瞬間はないかもしれない。

火葬を待っている間、待合室みたいなところに通された。そこにはマッサージチェアがご自由にどうぞ的に置かれていて、火葬場にマッサージチェアというのがなんか面白かったので、座ってモミモミされてみた。しばらくして夫に「ねえ、この状況どう思う?」と聞いたら、「気持ち良さそうだなと思う」と言うので、「面白いかなって思ったんだけど」と言ったら、「あ、そうだったの」と言って、パシャッと一枚写真を撮ってくれた。

二人で骨を拾って、骨壺に収めた。「骨を見ると、ちょっと諦めつくな」と夫が言った。骨壺カバーもたくさん種類があって選ばせてもらえたのが良かった。黄緑の水玉模様のやつを選んだ。黄緑色はいつも食べていた牧草の色。

帰るころには、爽やかに晴れていた。私たちの気持ちも少し前向きになっていた。やっぱりお葬式って大事なんだね、と二人で言い合った。人生の次の章がはじまるような感じがした。

葬式と言えば寿司でしょ!と言って、帰りに回転寿司を食べに行った。回転寿司に向かいながら、私は内心、「ビール飲んじゃおうかな……」と思っていた。立地的に回転寿司には車で行くことがほとんどで、その際どちらかだけが酒を飲むということはしたことがなかった。でも、今日は特別だ。というか、今日という日を特別にしたかった。回転寿司でビールを飲む、それが今日に相応しい、自分らしい「特別」であるような気がした。店に着いたら夫に言ってみよう。そう思っていたら、店に着いた瞬間、夫が「今日、ビール飲んだら?」と言うではないか。まさかすぎる。私は感動した。なんでわかったんだ。この人と生涯を共にすると再度決めた。生ビールとノンアルコールビールで、関根に献杯した。

およそ11年。こんなに長い間一緒にいるとは、関根が手の平にのるサイズだったあの頃は思いもしなかった。でも、最後を見届けて、火葬する。最低限、飼い主としての役割は果たせたのではないかと思う。あのとき、うさぎを飼うことを決めて、関根を選んで、本当に良かったと思う。

私が餅嫌いだから、きっと月には帰らないね。関根、今まで本当にありがとう。さらば。



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