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人生が変わった1つのゴール #MyFirstGrampus

「グラベスさんっていつから名古屋応援してるんですか?」

こんな感じの質問が頻繁に来る。そのたびに僕は2006年と答えたり、2017年と答えたり、2018年と答えたりもする。これは嘘をついているとか盛っているといったことではなく、正直自分でもどこからが「ファン」「サポーター」と呼んで良いのかを、いまいち分かっていないからである。

タイトルにもあるような人生を変えた1つのゴール。これは決して自分が決めたゴールなどではない。2006年、まだ僕が幼稚園年長の頃だ。当時ガンバサポだった母に瑞穂に連れていかれることがあったが、その時は特にサッカーに対して興味をもっているわけではなく、退屈しながら観戦していた。そんな中、2006年に行われたドイツワールドカップ。相手は強豪ブラジル。テレビやニュースでも、クロアチアとオーストラリアに負けた日本が勝てるはずもないと言われていた。キックオフは深夜だったので見るつもりはなかったが、母がテレビをつけていたので目が覚めた(多分リアルタイム視聴だと思いますが、もしかした朝のニュースとかだったかも。幼稚園の時の記憶なんで色々と曖昧です)。試合を見てると、日本が先制点を決めた。

そう「玉田圭司のゴール」である。

かっこよかった。最高にかっこよかった。少年の心には、強敵に立ち向かうヒーローのように見えた。試合後に調べてみると玉田は地元の名古屋のチームに所属していることが分かった。その日から、僕は名古屋を応援するようになった。

といったものの、当時は幼稚園生。知ってる選手も玉田と楢崎くらいしかいなかった僕がファンを名乗って良いものなのかという疑問もあったが、玉田を見に行って、直志に惚れ、小川に惚れなどを続け、徐々にスタジアムに足を運ぶ機会が多くなった。そんな感じで年間1,2試合を瑞穂に見に行くレベルの緩い応援4,5年を続けていた。その成果もあって、ピクシー時代はスタメン・ベンチの選手くらいは全員把握できていた。2011年以降は引っ越しもあって現地で試合を見に行くことはなかったが、名古屋を好きな気持ちは変わらなかった。

しかし2015年に僕のサッカー人生の中で最もつらい経験をしてしまった。所属していた部活で部長をしていた僕は、顧問からチームが上手くいかない責任を全て押し付けられ、最終的には目標にしていた最後の大会で理不尽に干され、試合にはほとんど使ってもらえなかった。当時中学生だった僕にとっては到底受け入れられるものではなく、サッカーそのものが嫌いになってしまった。テレビで代表戦をやっていてもチャンネルを変え、小さい子が公園でサッカーをしても見ないようにする、そんな2年間を過ごしていた。

サッカーなんて…と思っていたある日、あるニュースが飛び込んできた。

「名古屋グランパスJ2降格」

あれだけ好きだったチームが自分の知らない間に降格してしまった。その時は何とも言えない虚無感に襲われた。しかし同時にもうこれでサッカーに対する未練はなくなるかもしれないとも思ってしまった。そんなことを考えていると直ぐにあるニュースが飛び込んできた

「玉田圭司名古屋グランパス復帰」

かつて少年の心を掴んだヒーローが名古屋に帰ってきた。もう1回サッカーと向き合おうと言われた気がした。その時急に悩んでた自分が馬鹿馬鹿しく感じ、改めてサッカーが好きな自分を思い出すこと出来た。しかし当時は高校生で金銭的な余裕もなかったので、Twitterで結果の確認やスタメンの確認をする程度の1年間を過ごした。

そして2018年

受験生だったのでスタジアムに行くことは無かったが、友人から遊びに誘われても試合がある日は断る、超社交性の無い男グラベスが完成してしまった。残留を決め順風満帆とまではいかないが、楽しく大好きなクラブを応援していた矢先に、ヒーローの玉田が2度目の契約満了を言い渡されてしまう。久しぶりに泣いた。2度も僕を救ってくれた人とこんな別れ方をしなきゃいけないなんて…それでも僕は前を向いていた。応援するようになったきっかけは玉田だったが、この2年間で名古屋グランパスがより大好きになった。ぎりぎりの昇格、辛すぎた2018年前半、狂喜乱舞した2018年夏、そして劇的残留。そんなクラブが大好きだと心の底から言えるようになっていた。

ありがとう玉さんもう大丈夫


そして時は流れ2021年

明日、愛するクラブが悲願の優勝をかけ決勝戦に挑む。多分勝っても負けても泣くと思う。それでも僕の人生を変え、救ってくれたこのクラブが優勝する姿を見届けたい。そして、愛するクラブが報われて欲しい。その一心で明日現地に足を運ぶ…

追記

2021年11月11日 玉さんが引退を発表しました。発表された瞬間はしばらく呆然と携帯を眺めてしまうほど、ショックでした。今の僕があるのは間違いなく玉さんのおかげです。玉さんの第2のサッカー人生が実りあるものになることを心から願っています。そしてあわよくば、名古屋に帰ってきて欲しいなと思ってます。

ありがとう玉さん。これまでもこれからも永遠のヒーローです。



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