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The Beach Boys / Surfin’ U.S.A. (1963)

その代名詞的なタイトル曲「サーフィンU.S.A.」により、一躍サーフ・ロック・エイジの寵児となったビーチ・ボーイズのセカンド・アルバム。

サーフ・インストの楽曲が半分近くを占めるのは時代の影響でもあるが、その中にあってブライアン・ウィルソンの書くメロディが際立つし、ブライアンのファルセットとマイク・ラヴの低音ヴォーカルの対比というハーモニーの妙も確立されつつある。

ジャケットにも「この国一番のサーフィン・グループ」と書いてあるように、すでにアメリカを象徴するバンドとなっていた彼らは、まずはサーフ・ロック界の頂点に至る。


7月の折り返し、3連休の中日の日曜日。
大雨や猛暑で大変な地域も多い中、僕が住む街は今日は幸いにも晴れ間が差し込む穏やかな夏の1日。
海の日を前に、待ちきれずビーチ・ボーイズを。

今年で60周年を迎えるセカンド・アルバムにして、初期ビーチ・ボーイズを象徴する1枚。しかし、タイトル・トラック以外は意外にも地味な曲が多くて、どちらかというとBGM的な雰囲気がある。
いわゆるビーチ・ボーイズらしさはこの辺の作品のことを指すのかもしれないが、軽薄な中にどことなく寂しさが漂うところがブライアン・ウィルソンらしさ。
夏を感じ、夏を楽しみつつ、それがやがて必ず終わることを自覚している、そんなイメージ。
勝手な想像だけど、他のボーイズがサーフィンをしたり女の子と話したり楽しんでいる間、ブライアンはビーチで遠い目をして海を眺めているんだよね。ひとりで。
そして頭の中に浮かんだメロディをそのまま曲にする、みたいな。


僕の場合は、思春期よりも30代になったあたりから、夏を全身で実感したいという欲が、半ば強迫観念のように押し寄せてきた。
かといってやることといえば、近所の公園の池にぷかぷか浮かぶカモがたまに羽をばたつかせるところをぼーっと眺めたり、ソファに寝転んでだらだらと高校野球を観たり、テラス席で昼からビールを飲んだり、たまに港町の方まで出かけたりするぐらいだけど、その一瞬一瞬がたまらなく嬉しいし、ここぞとばかりに生きている実感がする。
まるで最期の夏みたいに。


いかにも夏だけが特別といった風に書いたけど、考えてみれば春も秋も(雪と暗闇に閉ざされる冬以外は)同じように感じていることに気づく。
限られた瞬間を、上質な鮨のように五感を使ってしっかりじっくり味わいたい。



気づけばアルバムは終わり音楽は鳴りやんでいた。アイス・コーヒーのカップの水滴がコースターをしわしわにする頃、歩いた後の汗も引き、僕はうとうと眠りにつくのです。

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