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【渡部昇一】自由になるものと自由にならないもの 中村天風に学ぶ成功哲学

同書からの抜粋となります。

 自由になるものと自由にならないもの


 人間とは何かという問題は、
古代からものを考える人の最大のテーマでした。
古代において、このテーマにユニークな答えを導き出した人に
エピクテトス(五五〜一三五)がいます。
エピクテトスは古代ギリシャ哲学の中では
ストア派の最も注目すべき哲学者といっていいでしょう。
 私が尊敬するスイスの法学者であり、
哲学者であるカール・ヒルティ(一八三三〜一九〇九)
――ヒルティの詳細については
『ヒルティに学ぶ心術』(致知出版社)を参照――は、
有名な『幸福論』の第一巻で、
若い人にはキリスト教の教えは深すぎて参考にならないといい、
むしろエピクテトスの教えがいいだろうと、
「エピクテトス」という章をもうけ、
そのエッセンスを翻訳紹介しています。
 エピクテトスはこういいます。
「自分とは何であろうか。
明らかに、自分の手は自分の手であって自分ではない。
自分の心臓も、自分の心臓であって自分ではない。
自分の頭も、自分の頭であって自分ではない」
 そのようにして極めていったとき、結局、自分とは何であるのか――。
エピクテトスが到達した結論は、
「自分とは、自分で自由になる部分、すなわち、意志である」
というものでした。
 そしてそこから生み出される教訓は、
「世の中には自分の意志で自由になるものと、
自分の意志で自由にならないものがある。
自分の意志で自由になるものは自分の意志で行う。
自分の意志でどうにもならないものは、
自分とは関係ないものとして断固諦める」
 という態度です。
これが、ストア哲学の核になる思想なのです。
 自由になるものと自由にならないものがあるというのは、
どういうことでしょうか。
たとえば、ある人が立派な本を書いたとします。
どういう本を書くかは、その人の意志ですから自由になるのです。
ところが、それがどのように読まれ、
どう受けるかは読む人の意見であって、
書いた人にはどうにもなりません。
 世の中にはそのような自分の意志以外のことがある
ということをエピクテトスは発見したのです。
これは、禅語にいう
「柳は緑、花は紅」
のようなもので、一種の悟りにつながります。

 霊魂が心を動かし、心が肉体を動かす


 このあたりのことを天風さんはどのように説明しているかといいますと、まずエピクテトスと同じような発想から入っていきます。
すなわち、人間には身体があるけれど、身体の他に心がある、と。
身体を動かすのは明らかに心ですから、心があると考えるのは当然です。
 ところが、この心も自分の心であって自分ではない
では、自分とはどういうものなのか。
天風さんは、心の上にもう一つ別のものがある、というのです。
これを「霊魂」あるいは「霊」と呼び、
「霊は宇宙エネルギーと同じである」といっています。
 したがって、この宇宙エネルギーと同じ霊がまず心を動かすのです。
その心の一番の働きには理性があり、この心の下に肉体がある

という順序で人間をとらえていくのです。
そして究極のところ、エピクテトスと同様、
霊というのは意志であるという結論に到達しています。
 その意志が宇宙エネルギーであるという点を除けば、
全くといっていいほどストア哲学の体系と同じになっています。
つまり、宇宙エネルギーすなわち霊魂が働く場所、
また心を働かせる場所として脳および脊髄があり、
その脳および脊髄の働く場所として肉体があるという関係です。
これが「人間とは何ぞや」というとき、
天風さんの大本にある見方です。
 天風さんは、明らかに人格神を認めていません。
人格神は認めませんが、
宇宙の根本主体は「永遠の生命を有する造物主」であるとし、
宇宙エネルギーを作った元となるものの存在を肯定します。
この宇宙の元である
造物主あるいは宇宙エネルギーが進化のプロセスをへて、
人間として発現したと考えているのです。
 この考え方は、東洋哲学の「天」というものに近くなります。
東洋哲学の天にも人格神は入ってきません。
この一点で、天風哲学は
古代ギリシャ哲学とも東洋哲学とも共通しているといえます。


こちらの内容は、

『中村天風に学ぶ成功哲学』

発行所 致知出版社
著者 渡部昇一
平成23(2011)年11月30日 第1刷発行

を引用させて頂いています。



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