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【菅原道真】心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん

私がこの歌

心だに 誠の道に かないなば
  祈らずとても 神や守らん


を知った(認知した)?のは、

今、読ませて頂いている

『運命を拓く』
天風瞑想録

発行所 株式会社講談社
著者 中村天風
1994年1月26日 第1刷発行

の31、32ページに

本当の真理から論断すれば、
何も神だの仏だのと頼らなくてもよろしい。
むかしから歌にもある。
心だに 誠の道に かないなば
  祈らずとても 神や守らん

と語られていたからです。


心に引っ掛かったので、

少し調べてみると、

(読み)
こころだに まことのみちにかないなば
いのらずとても かみやまもらん

精選版 日本国語大辞典 の解説

こころ【心】 だに  誠(まこと)の道(みち)にかないなば
祈(いの)らずとても  神(かみ)や守(まも)らん

心さえやましくないならば、ことさら神に祈らなくても、おのずから神の加護があるであろう。
菅原道真の作と伝えられる歌。

【コトバンク】心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん

意訳:心に誠意を持ち、道理にかなった行動をしていれば、ことさらに祈らなくても神は守ってくださるであろう。

心だに誠の道にかなひなばいのらずとても神やまもらむ(菅原道真)

 今日は静岡天満宮の御祭神で在られます菅原道真公の「心」について少しお話したく思います。

今年は道真公生誕1177年です。道真公は承和12年(西暦845年)6月25日にお生まれになりました。幼い時から学才があり5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩の法則を厳格に踏んだ五言絶句を詠んだそうで、18歳で文章生となり、今でいうと東大・京大の大学院生となるという秀才のようです。

 その後、文章博士となり、秀でた学識が認められ宇多天皇により右大臣に昇格しました。道真公はどちらかというと人脈・策略政治家ではなく真面目一方の学者政治家であったようです。

 その一面を覗わせる和歌があります。

心だに まことの道に かなひなば いのらずとても 神やまもらん

祈らなくても良いと言っているのではなく、
人には普段から誠・真(まこと)を大切にしなければならないと、
道真公の本心をあらわしていると思います。

 しかしながら、この時代は天皇家の外戚や摂関家になろうとの政治的策略の時代でした、例えば「薬子の変」では藤原式家、「承和の変」に橘氏・伴氏、「応天門の変」に伴氏・紀氏、さらに後の「安和の変」に源氏の排除など、様々な政治的策略陰謀時代であった中で、道真公は誠(まこと)の道で政治に挑んでいたと思います。また、宇多天皇も道真公のその学識と誠(真)に信頼をおき、当時の藤原氏の台頭をおさえようと道真公を右大臣に任命したのですが、藤原氏の策略政治の前には勝てず、無実の罪をきせられるという陰謀のもとに昌泰4年(西暦901年)1月25日に大宰府に流され、道真公は政界から排除されてしまいました(昌泰の変)。

菅原道真公の心(社頭講話より)
静岡天満宮

『日本国語大辞典』の全文です。

心さえやましくなければ、ことさら神に祈らなくても、自然に神の加護があるであろう。
菅原道真の作と伝えられる歌。

「廿五日の聖【「广」+「苗」】の神事、〈略〉心だにまことの道にかなひなば、いのらずとても神や守らんのニくさの御歌を、句のかみにをき、あるはその要字をとりて、から歌にのべつらねて」〔歌林四季物語-ニ・春〕

「心だに、誠の道にかなひなば、誠の道にかなひなば、祈らずとても、神や守らんわれらまで、真如の月は曇らじを」〔謡曲・班女〕

「心だにまことの道にかなひなば、いのらずとても神やまもらんとの御神詠もあるぞかし」〔都鄙問答-ニ・鬼神を遠と云事を問〕『日本国語大辞典』

上の三つの文は、後の時代に「菅原道真」の歌が使われた実例になります。

【教えて! goo】心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らんの意味

心だに → 心さえ
誠の道にかなひなば → 誠の道にかなっているならば
祈らずとても → 祈らなくても
神や守らん → 神は守って下さるであろう

こうして分解してみると、文字通りなので、分かりやすい歌です。

【教えて! goo】心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らんの意味

上記のような澄み切った心のありようを修め、
誠の道にかなうよう生きていく。


それは、神の意志にかなうことであり、
そのような生き方をする中で、何がわが身に起ころうと
それは必然であり、神の意志でもあろう。

ならば、とりたてて、神様にこれを願う、あれを祈るという
こともなく、全てを神にお任せして、受け容れればよい。

そしてそれが、一番の安心・安全な道。
それは、諦めではなく、最高の心の充実。

大切なことは、誠の道にかなうよう、
自分の心を修めること。


*自分の願いがかなったら、神のご加護があった。
 自分の願いがかなわなかったら、神のご加護が無かった
 なんていうのは、「自分の願い」を基準にして、
  「神の意志」を推し量ることであり、本末転倒なんだねきっと。
  私たち人間が見える範囲、感じる範囲、考える範囲を
  超えて、神はその意志を、黙って、粛々と実現していく。

(参考)
  孔子(論語)は、
「天何をか言わんや。四時(しじ)行われ、
百物(ひゃくぶつ)生ず。天何をか言わんや。」
(天は何か言うだろうか。(何も言わないで)四季を巡らせ、
万物を生長させている。天は何か言うだろうか。)

心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん(菅原道真)
テンテン

誤解を恐れずに超訳させてもらいますと
「誠」はそれを芯に、真に抱いていれば
ことを成す前に、成されているも同然である。

それこそが「至誠」という境地ではないでしょうか。

【武士道 part 11】~第七章「誠」武士道に二言がない理由~
山崎 翔


禅語の中にも、

「歩歩是道場」
「行住坐臥」
「平常心是道」

のような、

ふだんの心がけを大切にする

ことばがありますね。


柴咲コウさんも

心に響いたのでしょうか……。

何かよい気持ち(笑)。



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