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【禅 ZEN】只管打坐(しくわんたざ)

只管打坐。

「只管(しかん)」とは
「ひたすら、いちずに」
という意味のようですが、
いささか違和感があります。
「ひたすら、いちずに」には
一所懸命
というニュアンスがありますが、
一所懸命にやらなきゃ
という気持ちがあるようでは、
まだまだでしょう。
「只管」とは
「それしかない」
ということだとおもいます。
師のほうも、
ここは教育的な配慮を要するところです。
ダマされたとおもって坐ってごらん
話はそれからだ
ということじゃないでしょうか。
坐っていれば、
そのうち
「それしかない」ってことがわかるから、
と。


こちらの内容は、

『絶望しそうになったら道元を読め!』

『正法眼蔵』の「現成公案」だけを熟読する

発行 株式会社光文社
著者 山田史生
2012年2月20日 初版第1刷発行



【道元の言葉――箸休めコラム⑧】

を引用させて頂いています。




坐禅と余行

 道元禅師の説く「現成公案」の世界は、
只管打坐によってのみ現成せしめられるものか、
あるいはその他の行為実践によっても参入できるものかという問題である。これについてみると、
道元禅師は『正法眼蔵』において只管打坐を強調しているが、しかし、
他の行為実践による仏法への悟りをまったく認めないわけではない。
たとえば『正法眼蔵』「辦道話」の巻で、道元禅師は
「仏法に多くの門があるのにどうして坐禅だけを勧めるのか」
という問いを設けて、
「それは坐禅が仏法の正門だからだ」
と答えている。
さらに、
「ではどうして坐禅だけが正門であるのか」
という追求に対し、
「坐禅は仏教の開祖である釈尊が、
これによって悟りを開いた道であり、
代々の祖師もみんな坐禅によって仏教の悟りを得たのであるからだ」
と答えている。
 このように坐禅が仏法の正門であるというのは、
他の行は仏法の脇門あるいは裏門であるということであり、
他の行によって仏法を悟る可能性を認めないのではない。
ただ、正しい道は釈尊以来、
代々伝えられてきた坐禅の道であると坐禅の意義を強調するのである。
しかし、ここにいう他の行とは、
仏教内における戴計とか出観の行を指しているのであり、
これをさらに拡大して世俗のあらゆる業務にまで一般化してよいかどうか
ということになると微妙な問題を含んでくる。
微妙な問題であるというのは、
道元禅師の説く只管打坐の意味いかんにかかってくるからである。
只管打座意には二つの違った解釈がある。
一つは只管打坐の「只管」に重点を置く立場であり、
もう一つは「打坐」に重点を置く立場である。
 只管打坐の「只管」に重点を置けばどういうことになるかというと、
『正法眼蔵』の精神は只管という内容にあって、
打坐という形式にはないと見るのである。
この解釈からすれば、『正法眼蔵』の精神は、
農業をやっている人なら農業に、工業をやっている人なら工業に、
商業をやっている人なら商業に、
ただひたすらそれになり切ることによってつかまれるということになる。
 たとえば江渡狄嶺という人がある。
狄嶺は農業をすることを道にまで哲学的に高め、
「農乗」ということを提唱した人である
(斎藤知正『道元禅と現代』
二六一頁・二九二頁、昭和五十八年三月、記念著作刊行会)。
『正法眼蔵』を精読した人のようであるが、
農民は農業に徹すればよいのであって、
農民は坐禅しなくてもよい、
また坐禅できるものでもない、
只管農業すれば、
それが道元禅師のいう只管打坐である、
と主張している(同書二六一頁・二九一頁)。
 こういう解釈が道元禅師の立場から許されるかどうか、
ということを狄嶺は宗門の学者に質問している。
現代の宗門の代表的な禅僧である岸沢惟安、沢木興道の二老師にこれを尋ねたところ、
二老師はこれを肯定して、狄嶺の言うことを認めたということである。
こういう解釈からすれば、「正法眼蔵』は坐禅の書というよりも、
いわゆる行の書であり、その行はあらゆる職業のどんな行であってもいいわけである。
 江戸時代の禅僧に鈴木正三という人がある。
正三は『万民徳用』という書物をあらわして、
その中で、農民は農業に精出すことが仏法の修行であると述べている。
正三は禅宗の僧侶でありながら、
「農民は何も坐禅しなくたっていいのである」
と言い切っている。
ちょうど狄嶺が農民は農民の道に徹することが仏法であり、
それが道元禅師の只管打坐の精神であるというのと軌を一にしているのである。
 これに対し、只管打坐の「打坐」に重点をおく立場からすると、
このような解釈は許されないことになる。
これは、どうして道元禅師が只管打坐を唱えたか、
その歴史的背景から坐禅の意義を重く見る立場である。
 道元禅師が只管打坐を唱えたのは、
看話禅の立場からは、坐禅の意義が確立されないからである。
というのは、未代に成立した看話禅は、
公案の工夫を禅の中心とするものであるが、
しかし公案の工夫は、坐禅を通してでなければならない、
という必然性はない。
坐禅によって公案の工夫をすることもできるが、
日常の生活を通して公案の工夫をすることもできる。
看話禅の立場からは坐禅を通しての公案の工夫は「静中の工夫」であり、
日常の生活を通しての公案の工夫は「動中の工夫」であって、
「静中の工夫」よりも「動中の工夫」のほうがまさる
とさえ言われるのである。
したがって、看話禅の立場からは、
仏法を悟るには、
必ずしも坐禅でなければならないという必然性はないのである。
 道元禅師が只管打坐を唱えたのは、こういう看話禅の坐禅軽視に対し、
仏法の正統を守るためであったろう。
このような背景において、道元禅師の只管打坐を見ると、
『正法眼蔵』をいわゆる行の書として見ることは許されない
と考えるのである。
これは、道元禅師の只管打坐の打坐に重点を置いて見る解釈である。
もちろん、このように坐禅を重視する立場からでも、
只管打坐の日常のあらゆる生活に生かさなければならない。
それは『正法眼蔵』においてい明らかに説かれていることである。
すなわち『正法眼蔵』の中では、着物を着ることも仏法の修行であり、
食事をすることも仏法の修行であると説かれている。
道元禅師の『永平清規』は
すべてこういう趣旨のもとに撰述されたものである。
しかし、道元禅師においては、
それらのもろもろの生活が仏法の真理であるのは、
それは坐禅を通すことによって仏法の真理となるのであり、
それ自身において直接に肯定されるのではない。
日常の生活が仏法の真理であるのは、
あくまで只管打坐に裏づけられたものでなければならぬと見るのである。
 このように『正法眼蔵』の精神は、只管打坐にあると解しても、
只管打坐の「只管」に重点を置く立場と、
「打坐」の方に重点を置く立場とでは
その解釈に微妙な相違が生まれるのである。
さて、それでは、そのいずれの解釈が
道元禅師の本意にかなったものかということであるが、
「只管」に重点を置く解釈は、
多分に現代において道元禅師に生きる、
または道元禅師を生かす道はどうあるべきか、
という実践的な要求に基づいた解釈であり、
そういうかかわりなしに、
道元禅師その人の思想はどうであったかということであれば、
これは問題なく只管打坐は文字通り坐禅の道であり、
その他の行によって替えられるべきものでないことになろう。
「辦道話」巻には、
「出家はわずらわしい世俗の仕事から解放されて坐禅辦道に専念できるが、在家は俗事に妨げられて修行に専念することができない、
どうしたら仏法の悟りに入ることができるか」
という問いを設けて、
「いにしえの天子や大臣は、いずれも政務が繁忙であったが、
皆坐禅辦道して仏祖の大道に入ったのであるから、
坐禅辦道する暇がないということはあり得ない。
ただこれ志のあるなしによるのである。
身の出家在家にはかかわらない」
と答えている。
道元禅師からは、天子が政務に励むことがそのまま仏法であり、
大臣が補佐に努めることがそのまま仏法である
とは決して示されていないのである。
政務の余暇に、努めて坐禅辦道し、
補佐のかたわらに努めて坐禅辦道し、
仏祖の大道に入った天子や大臣があるのだから、
一般人も努めて業務の合間に坐禅辦道しなければならない
と説いているのである。
それゆえに道元禅師その人の思想としては、
只管打坐は文字どおり坐禅道であり、それ以外の何物でもない。


 現代人にとっての只管打坐

 ただ現代の私たちが、道元禅師の教えに生きる、
または道元禅師の教えを生かすうえにおいて、
道元禅師の説く只管打坐をどのように理解すべきかということになると、
問題はおのずから別で、
そこに前に述べたような
只管打坐の「只管」に重点をおく解釈も生まれてくるのである。
このように
道元禅師の只管打坐の「只管」に重点を置く解釈が生まれるのは、
道元禅師のいう只管打坐の坐禅が
今日多くの人にとっては実際に行うことが難しいことによるのであろう。
浄土教で説く念仏や、日蓮宗で説く題目に比べると、
道元禅師の只管打坐は正直なところ難しい行である。
 道元禅師自身は、
坐禅は
どんな賢い人であっても、
どんな愚かな人であっても、
男であっても女であっても、
誰でもできる行である
と言っている。
また「普勧坐様儀』の中では、
道元禅師は
「坐禅は安楽の法門である」
と教えている。
こういう道元禅師の教えは、
その教えのたてまえからいえば、
誰でも行える易行であるが、しかし、今日、
道元禅師の『正法眼蔵』を読む人が果たして
どれだけ坐禅を実際に行っているであろう。
 そこに、道元禅師の説く只管打坐は、
「只管の精神」にあって「打坐の形式」にはない、
という主張も今日の要求として生まれてくるわけである。
道元禅師は只管打坐の坐禅を説いているが、
しかし、毎日毎日の「行」の大切なことも、
力を尽くして示している。
それは前述のように『正法眼蔵』すなわち現成公案の世界は、
全身心を挙げての「行」によって現成せしめられる
と述べていることでわかる。
それゆえに、現成公案の教えからして、
一番大切なことは、
いま、ここにあらわれた一事一行をゆるがせにしないことであり、
いま、ごこの一事一行に全精魂を込めることである。
いま、ここにあらわれた一事一行に全精魂を打ち込んで、
それに生きることより他に仏法の生活はないことになる。
それゆえに道元禅師は、
「いたづらに百歳生けらんは、
うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり。
たとひ百歳の日月は声色の奴婢と馳走すとも、
そのなか一日の行持を行取せば、
一生の百歳を行取するのみにあらず、百歳の他生をも度取すべきなり」
と説いて、
むなしく生きた百年の生涯は真実に生きた一日に及ばない
と示しているのである。
したがって、
いま、ここの一事一行に全身全霊を挙げて打ち込むことのほかに
道元禅師の教えはないことになる。
このように説くのが、
道元禅師の只管打坐の教えは
「打坐の形式」にはなくて「只管の精神」にある
とする解釈である。
 私は、現代において、
道元禅師に生きる道、
または道元禅師を生かす道として、
こういう解釈が生まれてくることは、
それだけの理由があると考えるものである。
宗門の人間としては、
『正法眼蔵』の精神は只管打坐にあって、
坐禅でなければ
道元禅師に生きる道または道元禅師を生かす道はない

と言いたいのであるが、
ただそのことを振りかざしただけでは道元禅師の教えは広まらない
と思うのである。
 ただここでは、
いま、ここの一事一行に全身心を挙げて打ち込むことのほかに、
道元禅師の教えはないというとらえ方に含まれている一つの誤り、
または誤る危険について指摘しておきたい。
それは全身全霊をもって、いま、ここの一事一行に打ち込むことが、
よく言われる全力投球とは異なることである。
只管打坐の坐禅とは没我の行であり、
自分を尽くすといっても、それは自分をむなしくして、
物そのものとなって考え、物そのものとなって行うことである。
しかし、全身全霊をもって一事一行に打ちこむという、
いわゆる「行」の立場では、自我の滅却がないままに、
それが道元禅師の「行」の立場と見誤るおそれがある。
『正法眼蔵』「現成公案」巻には、
「自己をはこびて万法を修証するを迷とす」
という道元禅師の言葉があるが、
いわゆる「行」の立場は、いくら全身を打ち込んでも、
その限りでは
「自己をはこびて万法を修証する」という
迷いの立場を免れないおそれがある。
もちろんいわゆる「行」の立場も、
それがきわめ尽くされるときは、
没我の行となるに違いないが、
没我の行となることの難しさは、
只管打坐することの難しさと択ぶところはないのではあるまいか。
 道元禅師の只管打坐とは、自我滅却の道である。
そういう自我滅却の道は、坐禅によるほかない
というのが道元禅師の立場である。
一歩譲って、それが坐禅だけに限られないにしても、
坐禅が仏祖から伝えられた正門であり、
最も容易な道であるというのが、道元禅師の信条である。
もちろん『正法眼蔵』を「行」の書として、
只管打坐とは、それぞれの業務の人がそれぞれの仕事に、
全身心を挙げて打ち込むことにあって、
そこに『正法眼蔵』の精神があり、
それが今日において道元禅師を生かす道である、
という主張も成立するであろうが、
それは『正法眼蔵』を思想書として見るもので、
宗教書としての『正法眼蔵』は、
そのような「行」の一般化を拒むものがあり、
そこに宗教書としての『正法眼蔵』の限界もあれば栄光もあると、
私は考える。



こちらの内容は、

『禅入門――2 道元』

正法眼蔵・永平広録

発行 株式会社講談社
著者 鏡島元隆
1994年4月15日 第1刷発行

を引用させて頂いています。



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