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東電福島第1原発処理水問題:科学的に正しいことを述べているのに、なぜ中国は厳しく反応するのか

東京電力福島第1原発処理水の海洋放出に対する中国の厳しい反応が問題となっている。科学的に安全であることが証明され、処理の過程などがすべて公開されているのに、なぜ中国は反発するのか。

かつて政治学を専攻していた者が、権力現象としての政治という切り口からこの問題を考えてみたい。もちろん、これがは一つの見方にすぎないことはいうまでもない。

この件、わが国では困惑の感があるが、これは明らかに政治的な行動であって、科学的な正当性を主張しても、強く抗議しても、相手に行動を変えさせる効果はないだろう。

われわれは冷静に受けとめて、毅然とした対応をすべきだ。

今年のNHKの大河ドラマ「どうする家康」を見ている人は、敵の武田と通じているという信長の理不尽な言いがかりによって、家康が妻子を殺さなければならなかったできごとを想起してもらいたい。

ときに権力者は、自己の支配の障害となりかねない勢力に対して、反抗心をくじくために、無理難題を要求し、自己の力を思い知らせてそれに従うことを求めることがある。

その要求に従わせることができれば、相手がいかに不満であろうと、力を誇示でき服従を得ることができる。相手が従わなければ、従わせるために、より強い圧力をかけて、滅亡の恐怖を感じさせる。

そのような行為が、他の潜在的な反抗者の反抗心を殺ぐことになることもまちがいない。

米中の対立が深まり、日本を含む対中国の同盟関係が強くなることを牽制するために、中国は、日本に対して処理水の放出に言いがかりを付け、自分たちの要求に従わせようとしているのではないか。そして、恐怖に怯えたわが国が同盟から離脱するのを期待しているのではないか。

その場合、処理水の科学的安全性も、自国がもっと多くのトリチウムを放出していることも関係ない。とにかく自分たちの要求に従わせることが目的なのだ。

要求を飲めば許してやるが、飲まない場合には、福島沖産の水産物はもとより、全く関係のない日本の水産物や他の製品に対しても輸入禁止等のイヤガラセをする。それだけではなく、国内の反日活動を動員し、さらにわが国の官民の施設に嫌がらせ電話を大量にかける。

科学的正当性が証明できれば受け容れてくれると思っていたとすれば、わが国は考えが甘かったといわざるをえないが、わが国が要求を受け容れようとしないかぎり、力による脅迫はますます激しくなっていく可能性がある。

わが国は脅威を感じ、国内からも放出反対の声が高まる可能性があるが、それこそ中国の思う壺であろう。

屈服できない以上は、当面耐えるしかない。被害を受けた関係者への補償はすべきであるが、相手の要求を飲むことは、次なるもっと厳しい要求を突きつけられることになる。

しばらく耐え、相手が、日本に圧力をかけても効果がない、むしろ反発を招き、日本が離反し対中国同盟を強化することになりかねないと悟るまで、譲ることなくがんばることだ。

そのように悟ったとき、相手は作戦を変えてくるだろう。すべてなかったことにして笑顔を示して友好関係の形成を持ち出してくるか、他の懐柔策を提案してくる可能性もあろう。

それは、わが国にとっては相手の軟化であり、問題の解決へ近づくといいうる。しかし、実はそのような懐柔策の方がもっと怖いかもしれない。

強面で相手に要求を突きつける一方で、政権に批判的な相手の国内勢力を懐柔し、内部から結束を崩すことは、歴史を見る限り、国際政治における常套手段である。

いずれにせよ、この問題は、処理水の放出の問題だけではなく、現在の国際政治の文脈の中で考察され、検討されなければならない。

今回の件、わが国の外交のお粗末さを指摘する識者の見解が見られるが、「外交」が大事なのは当然であって、重要なのは、どのように対外交渉を行うかというその中身である。

政府の専門家は当然理解しているであろうが、メディアや有識者という肩書で意見を述べている人の中に、そのような外交の中身について触れたものは少ない。あるとしても後出しジャンケン的なものばかりに思われる。

今は、冷静に、国際社会が相手の理不尽さを理解するように、多面的に多様な手段を使って相手の不当さを国際社会に訴えていくことが大切であると思う。