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規制と豊かさ─Singapore 1

 私は、2011年1月から3月までシンガポールに滞在して、アジア、とくに東南アジアの社会と行政について観察し情報収集を行った。その作業はまだ途上であったが、3月11日の東日本大震災のために、その後の観察は断念せざるを得なかった。今、当時書き綴ったコラムを読み返して、今でも、多くの方に伝える価値があると思い、このNOTEに掲載することにした。

 外国の国名を、たとえばアメリカを「米」、イギリスを「英」と漢字一字で表すが、東南アジアの小さくとも輝く国シンガポールは、「星」と表す。シンガポールは、漢字では「新加坡」あるいは「星加坡」と書くが、一字の時は「星」が多く使われるようである。

 このシリーズでは、2ヶ月という短い期間の観察ではあったが、この「星」の国で、10年前に見聞したことを公開していくことにしたい。当時、発展著しい東南アジアの実態をつぶさに観察した姿であるとともに、そのときから元気のなかった日本を外から眺めてみた姿でもある。

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 シンガポールの町はどこもとてもきれいであり、治安もよい。若い女性が夜一人で川沿いをジョギングしている姿をしばしば見かける。他方で、この国は、これもしばしばいわれているように、政府による規制も厳しい。あちこちに、これをしてはいけない、こうしなくてはいけない、といった掲示が掲げられている。実際にはそれほど守られていないようにも思われるが、まさに二つの意味における "fine country" である。

 このような規制は、一党独裁の下での強力なリーダーシップと有能な官僚機構によるものである。このようにいうと、非民主的な体制であり、国民は常に監視され、自由も権利も認められていない、「将軍様」の支配する暗いどこかの国を連想させるが、この国は、外国人として暮らした限りでは、全く逆であり、実に明るく豊かであって、人々は生活に満足している。昨年(2010年)の成長率は14.7%と驚異的な発展を遂げ、町では建設ラッシュが続き、高級車が多数走っている。車は多いが、精密なロード・プライシング・システムによって、東京のような渋滞はない。

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 この国で10日暮らしてみると、民主主義とは、豊かさとは何か、と改めて考えさせられる。観念的な人権論、成長論で、現実の国のあり方を割り切る議論は不毛である。より広く現実的に、その国が置かれている状況を踏まえて議論すべきであろう。シンガポールは人口400万、東西40キロ、南北20キロの小さな国であり、比べると遙かに大きい、マレーシア、そしてインドネシアに気を遣わなくてはならないとともに、国内は、中国系、マレー系、インド系と多民族、多宗教社会である。

 こうした状況の下でいかに安定して国の繁栄を維持していくか。多様な思想や意見の人々が話し合って合意に達し、それに基づいて国の意志を明確迅速に決定し、それをぶれずに実施していく。それは理想であっても、現実の人間は、それほど合理的でも知的でもないことは、歴史が示すところあろう。政治思想の難しい議論を持ち出すつもりはないが、あえて単純化すれば、貧しい民主主義か、豊かな独裁か、ということになるのかもしれないが、それぞれの国が置かれている状況を踏まえて考えてみる必要があるだろう。

 この国で現在の体制が支持されているのは、やはり国民が豊かさを実感し、現在はもちろん将来への期待をいだいているからである。国民が社会について不安を持ち不満が蓄積してくると、政府への批判が高まり政情不安へと移行しかねない。そうならず繁栄が続くとしたら、それは永遠に成長が持続する事が前提である。しかし、それは可能なのか。この国は、それを可能にするために、世界の情報を収集し、優れた人材を集め、常に世界のフロントランナーたらんとしている。

 翻って民主主義の国日本はどうか。国民の権利は保護され、自由も保障されている。しかし、将来は必ずしも明るくないようである。そこから強力なリーダーへの期待の声も聞かれるが、そのようなリーダーをどのようにして選ぶのか。また、強力なリーダーへの期待が、他面で危険を持っていることは歴史が示すところである。

 海外にいて、日本の新聞やニュースをみていると、日本はまだ強い、世界をリードする技術や能力があるという類の記事が目につく。何となく不満を打ち消そうと、強がりをいっているように聞こえる。冷静に現状を見つめて、大胆な改革を行い、できることを確実にやることが必要ではないだろうか。 (2011年1月22日)

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10年経ち、今のシンガポールがどのような状態か、私は知らない。このときから、コストのかかる民主主義と効率的な開発独裁のどちらが優れているかという問題設定はあった。

いかにシンガポールが美しく効率的であっても、やはり自由、とくにいいたいことがいえる言論の自由が保障される日本の方がよい、と思ってきたが、新型コロナ感染症の世界的な蔓延によって、事情が変わってきた。多くの国が取り組んでいる社会実験がどのような結果をもたらすか、今しばらく見守っていきたい。