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行政の現場とDX

7月10日付の朝日新聞デジタルに掲載された「女児虐待の疑い、AIの「保護率39%」評価参考に児相が保護見送り」という記事が話題になっていた。読んでみたが、掲載したメディアは、何を主張したいのだろうか。私には、わからない。

AIの保護率39%という評価に頼って児童相談所(以下「児相」)が誤った判断をしたとして、県の責任を問いたいのか。それとも、そもそもAIなど使わず、職員が判断すべきだと主張したいのか。単に事実を報道したというには、欠落している情報が多い。

虐待やいじめ等の課題に取り組む児相の負担を軽減し、できるだけ多くのこどもたちを救うために、こどもや親の個人情報を活用する際の個人情報利用のあり方のガイドラインの作成に、私も関わったことがある。

児相では、リスクがあると思われる子どもたちについて、医療機関での受診歴や学校、保育所等での学習、欠席の状況、さらには家庭環境や保護者の収入等についての情報を入手し、それに基づいて、リスクを評価し、ケアの必要性、ケアのあり方を決定しているのだが、必要な情報の入手を、これまでは文書や電話、FAX等の方法で問い合わせて行っていた。

そのような作業に多くのコストと時間がかかる。とくに、他の市町村から引っ越してきたような場合には、情報入手が困難であることが多い。情報が入手できなかった結果、起こった悲劇も少なくない。

児相の限られた職員で充分な情報を入手して判断することには限界があり、ベテラン職員の経験に依存しているのが実情だ。

そこで、このような作業をデジタル化し、オンラインで必要な情報を入手できるようにする。さらにいえば、それらの情報をAIで学習させるとともに、ベテラン職員の経験知を可視化、客観化することによって、職員の人手による実態把握の負担をできるだけ削減し、それによって利用できるようになった時間を、より多くの子どもたちのケアに向ける。

それには、デジタル技術を活用した情報の収集分析を行うべきである。

いくつかの自治体は、そのような試みに取り組んだのだが、収集するのがセンシティブな個人情報であることから、個人情報保護論者からは、情報の主体から「同意」をとれ、アクセスできる者を制限せよ、などと要求する意見が出され、ガイドラインの作成を担当した関係者は対応に苦労した。

児童福祉法にも、虐待防止法にも、必要な情報を保有している機関に要求することはできると規定されており、また守るべき対象が自分で権利主張できない、そして本来ならば保護してもらえるはずの保護者に保護してもらえないこどもであることから、ハイリスクのこどもたちを救済するために必要な情報の提供などは最優先されるべきであるが、そのような認識も共有されているわけではなかった。

また、一部の自治体は、データの収集利活用の可能性を示して、リスクの評価に用いるAIに過度に期待する計画を立てたことから、それについては懸念が示された。

いうまでもなく、AIは万能ではない。多数のデータを学習させてようやく人間が活用できるレベルに達するのであるから、現段階でそれに依存することはまだリスクがある。

しかし、今回のケースで、保護率39%というのは低いのか、高いのか。保護率の分布が示されなくては何とも評価のしようがない。限られた児相のマンパワーで、保護率60%、50%・・・というもっと高いケースが他にあれば、そちらを優先する決定が誤っているとはいえないだろう。その辺りのことには触れていないこの記事は、根拠を示さずに、県を批判しようとしているように読めて不愉快である。

なお、やはりこのような事務は、人間がやるべきであり、そのためにもっと児相の職員を増やせという評論家、有識者、ジャーナリスト等のコメントも見られるが、職員を増やすための財源をどのように手当するのか、他の福祉関連予算を削るのか、高齢者福祉を減らすのか、あるいは借金をしてまだ発言もできない子どもたちに将来返させるのか、それとも増税をせよというのか、それを論じずに児相の職員を増やせ、というのは無責任である。

また、仮に財源が見つかったとして、児相の職員のような専門職をすぐに増やせると思っているのだろうか。わが国の人口減少は生産年齢人口の減少が最も効いてくる。絶対数が足りない状態のときに、よほどの高給でも払わない限り必要な人材は雇えない。

だから、デジタル化を進めるのであり、まだ充分とはいえないまでも、AIを使うにせよ、データを活用して効率化し、人間がしている仕事を減らさなくてはならないのだ。

今、この国が向かいつつある状況をよく認識して、デジタル化の議論をして欲しいものだ。