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日本、終わった? ── 若者を絶望させるな!

「日本、終わった」──最近、若者から何度かこの言葉を聞いた。

先日、そのことばを呟いた若者は、理系の大学院を出て現在情報系の職に就いていた。その若者がいうには、DXといい、デジタル庁ができるというが、それらは言葉の上の空回りにすぎず、わが国の社会が他の先進国が実現しようとしているような意味でデジタル化されるかというと、とてもそうは思えない。

コロナ対策にしても、それ以外でも、海外をみていると、もちろん試行錯誤はあるものの、新しい技術を使って社会を変えようとしているし、それに合わせて制度も変えてきている。何よりも、レガシーとなった仕組みを破壊し、新たな仕組みを作り出しているのは、新しい世代のリーダーだというのだ。その一例が、台湾のIT担当大臣オードリー・タン氏だ。

先日、「昭和の時代」ということばが若い世代にどのように受けとめられているか、昭和世代のマインドセットについて書いたが、たしかにわが国は、古い制度や発想に囚われて、改革への抵抗が強い。その若者の思いとしては、このままでは、わが国は、世界のなかで追いつけないほど遅れてしまう。だから、日本は終わった、というのだ。

国際経済やグルーバルな企業経営に詳しい人物の話を聞く機会があったが、その人物によると、日本に進出している外国系企業のトップは、日本のカントリー・リスクは高まっていると評価しているそうだ。そのリスク要因としては、第1に、自然災害。何よりも大地震、毎年全国各地を襲う風水害。そして、自然災害ではないが、原発のリスクもある。

第2は、安全保障上のリスク。米中関係や北朝鮮の核開発を始め、東アジアは、かつてないほどの緊張状態にある。しかし、平和憲法を信じているのか、この国は、実質的な国民と国土の防衛について真摯に取り組もうとしない。途上国の発展のために危険な地域で働いていた自国民とその協力者を、危機に救済できない国家は、国家としての基本的な責務を果たしているとはいえない。それも実力において救済できないのではなく、制度がそれを妨げているとしたら、とても主権国家とはいえない。

そして、第3のリスクが、国内のガバナンスの弱さである。国家として国民を救済するために必要な制度を作ることができないのみならず、サスティナブルな(持続可能な)財政運営ができていない。政党は、選挙での得票拡大のみに関心をもち、国民に必要な負担を求めることも躊躇している。

世界でトップレベルの平均寿命の高齢社会となりながらも、それを支えるための社会改革を実施できないでいる。GDPはまだ世界第3位の地位を占めているが、購買力平価による一人当たりGDPは近年どんどん下がり、2020年は世界30位、16位の台湾、27位の韓国を下回っている。世界は成長しているのに、わが国は足踏みをしているのだ。

今月、2021年9月、退任を宣言した菅総理の後任をめぐって、自民党の総裁選挙で世間は盛り上がっている。メディアも、エキサイティングなイベントとして連日候補者の素顔や公約を報道している。だが、率直な印象として、各候補が公約として掲げているのは、本来の意味での政策とはいいがたい。候補者の願望を述べてはいるのかもしれないが、その実現方法と可能性については空白だからだ。

わが国の議院内閣制の下では、与野党が政策論争を展開し、国民の支持を獲得すべく、国民にアピールすることが制度の期待するところだが、一党優位状態が長く続いているわが国では、与野党の政策における対決がみられない。与党内の候補者は、総裁選で勝つために政策の違いを強調するが、一度総裁として選出され首相に就任すると、政策は党として決めることになる。対抗する野党は、総裁選のあとの総選挙を意識して、野党の存在を忘れられないように(?)慌てて対抗する政策案を発表したが、これもとても与党と異なるインパクトのある政策案ではない。

若者が嘆くには、やはりリーダー不在という人物の問題だという。既存の体制を代表する人物ではなく、それをぶち壊し、大胆に新たな試みに挑戦する勇気とリーダーシップをもった人物が出てこないのか。安全第一で、全員の既得利益を守り、誰も反対しないようなボンヤリとした方向性しか示せない人物しか出てこないようでは、日本は終わった、と思わざるをえないというのである。

それならば、君たちこそ立ち上がるべきではないのか、と激励したところ、わが国のレガシーの重みと戦う意欲が失せつつあるという。このコロナ禍で、世界の国がデジタル技術を駆使して、情報を集め、対策にそれを活用しようとしているのに対し、わが国は、基本はまだ紙による情報処理と人海戦術から脱することができない。

電子投票にせよ、マイナンバー活用にせよ、できない理由、より正確には利用したくなり理由ばかり考えて、思い切って前に進もうとしないのだ。このように考える若者の中には、現在の日本に絶望し、自分の将来を考えたとき、海外に出て活躍の場を探してみたい考える者も少なくないという。

昭和世代の人間としては、このような若者の内なる声にも耳を傾けるべきだ。近頃の若者は、と批判するのではなく、変わりつつある世界を直視し、われわれこそ認識を改めるべきであろう。

ビスマルクのことばに、「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」というのがある。成功神話の経験からではなく、大きな変化を経験した歴史から学んで、この国を変えないと、文字通り、日本は終わってしまう。