昭和の時代 〜その2〜
昨日、昭和の時代に対する若い世代の認識についてコメントを書いたが、それについて昭和末期の世代──という言い方は失礼かもしれないが、昭和の終わりに生まれ、物心ついたときは平成になっていた世代──の方から、昭和時代の人間のマインドセットは戦前との連続性があり、「昭和時代みたい」という表現はそれを指して使われるのではないかという指摘があった。
気付かなかったが、いわれてみればたしかにそうだ。ものごとを行うときに根性を重視するとか、努力が足りないと批判するとか、体罰で指示に従わせようとするとか、DXによって楽にスピーディにものごとを進めていくよりは、──そもそもDXがよくわからないこともあり──人海戦術と精神論を説くのが、昭和の世代かもしれない。
こうした発想は、たしかに戦前、戦後連続している。それは、戦後世代の親の世代は戦争体験者であり、彼らは戦前に軍国主義教育を受け、まさに「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは努力が足りぬ」と教えられてきた世代であり、まだそれほど豊かではなかった戦後の時代に、子供たちへそのような考え方を教育したからである。
この親の世代の人たちは、その後高度経済成長の担い手となっていく。その過程で、頭の中は、戦前の軍国主義から脱却し、アメリカ流民主主義に染まっていったものの、日常生活における行動規範や社会的価値観は、親の世代から教えられたものを継承していた。
それは、戦前の家制度から逃れて都市で核家族の家庭を築いたものの、終身雇用制度の下で、夫は朝から夜中まで懸命に外で働く企業戦士、妻は家にいて家庭を守る専業主婦という役割分担の「サラリーマン・モデル」として定着していったといえよう。そして、まさに昭和のレガシーになったのが、このような社会を前提にして作られた年金制度や世帯単位の社会保険や住民登録の制度である。
今や就業する女性が多数を占め、単身者が増えてきたとき、住民登録にせよ、戸籍にせよ、社会保障にせよ、個人を単位とした方が合理的と考えられるが、それがこの昭和のレガシーによって、妨げられている。
さらに今日のジェンダーの平等はもちろん、LGBTQの権利まで認めようという時代にあって、このレガシーとの齟齬は、この国の進歩の障害になりかねない。
同様のことは、仕事の仕方についてもいえる。年功序列による管理職への昇進によって、視覚的にも働きの結果が示される制度はその象徴であろう。部長の個室と両袖机、そして決裁文書の部長印。これが昭和の働き方と思っている世代はまだ少なからずおり、その意識がDXの推進を遅らせていることはまちがいない。
おそらく若者たちが指摘する「昭和の時代みたい」は、こうした考え方、行為を連想して使われることばなのであろう。昭和世代としては、今どきの若者はわかっていないとか、宇宙人のようだと批判するのではなく、このような意識下の自分たちの行動や発想を自覚して、若者世代とコミュニケーションを図らなくてはなるまい。
若者世代も「昭和の時代みたい」と遠ざけるのではなく、時代は変わったのだと、古いものを破壊して、社会を変える”革命”を起こして欲しい。若者にその元気がないと、この国は、それこそ昭和のレガシーの重みでますます衰退してしまいかねない。それが、昭和の時代に革命を志した世代からの忠告である。